あなたの思い出買い取ります
「お願いします!買ってください!!」
私のお店は思い出買取屋という、ちょっと特殊な商品を扱っている古物商だ。
そして私こと店主が「ライ」いわゆるニックネームみたいなものだ。髪型はそこそこ長く後ろや横で縛ることが多い。体系はあまり背は高くないので、コンビニで身分証を求められることがよくある。
仕事場は両側パチンコ屋に挟まれたちょっと特異な立地なのだが、この立地の所以もあとあと説明しなければいけない。
さて11:30です、そろそろ来ますね。
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「カラン」入り口のベルの乾いた音が鳴る。
「いらしゃいませ。」
来てくれてありがとうという心持ちは微塵も感じないが、どれだけ店主の態度が悪かろうが、この店の買取率は極めて高い。
お客さんは男性、30歳くらいで無精髭、頭髪もお世辞に綺麗とは言えない髪型だ。かなり焦っているが、みんなこれが普通だ。ちょうど隣のパチンコ屋で打っていた人たちの軍資金がなくなる頃だから。
「こ、ここって思い出を買い取ってくれるんですよね?い、幾らくらいで買い取ってくれるんですか?」
男の問いに焦りが見える。
「1年10万円前後で買い取らせていただきます。」と私は伝えた。途端、男の顔色がみるみる変わった。
「1年で、じゅ、10万!?じゃぁ、5年売ったら50万ってことですか!?本当ですか!」男は歓喜に満ちている。そりゃそうだ、30歳で昼間からパチンコしている人間に50万は予想外の大金だ。
「ぜひ!買い取ってください!!んーそうですね、1年いや5年いや10年!10年分の思い出を売ります!」
落ち着いて欲しい……と思いつつも私はサービスの説明を始めた。といっても彼に説明を聞いている余裕などない。ギャンブルへの軍資金が増えたという事実で舞い上がっているのだから。
私はサービスの説明を簡単にまとめて一方的にだが説明した。
非常にシンプルなルールだが、もしこれを読んでいるあなたが私の店を利用することになるかもしれない。その時のために覚えておいて欲しい。
・記憶の返却は絶対不可能だということ
・記憶の欠損による弊害は一切その責を問わないこと
「・・・ということで、リスクを負ってでも思い出を売却いたしますか?」と問うと、男はすぐ承諾した。
「思い出の売買成立ということで儀式に入らせていただきます。お売りいただく思い出は0〜10歳の誕生日まで。痛みや気分が気持ち悪くなると言った精神的な揺らぎがあればおっしゃってください。」
「では、ここに一冊のアルバムがあります。アルバムに手を当てながらこちらのお茶をお飲みください。再び目を開けたら記憶は無くなっています。」
男は怪訝そうに問う「毒とか入っていませんよね?」その問いに「ただの甘茶ですよ。しかし毒よりも辛い体験をするかもしれませんね」私は憂いを浮かべながらそう答えた。
男はゆっくりお茶を飲み目を開けた。何も変わりのない風景、早くパチンコ台に戻りたいという焦燥感も変わらなく残っていた。
「サービスは終了です、こちらが売却金です。」と100万を手渡すると、
「ありがとうございます!ありがとうございます!」と男は頭を下げて隣のパチンコ店に足早に戻って行った。
その日は5万負けてしまう男であったが、まだ95万も残っている。何も心配いらないと謎の根拠とともに帰宅した。
*****
そんなことがあった週末、男は母の顔を見るため田舎の実家へ帰省した。何やら見合いの話らしい。
「こんなグータラな男を誰が選ぶんだか……」とあまり乗り気ではない。実家に着くと母がアルバムを開いていた。
母はあまり病気に強くなく、最近自分の死を悟ったかのようにいつもアルバムを開いていると父から聞いた。
何を見てるの?と聞くとアルバムを差し出してくれた。「小さい時は遊園地楽しかったね、特にお化け屋敷はいくつになても怖がりで……」
「何の話だ?」と思いつつもアルバムの写真を見る。
すると本来写っている私の顔が私ではないのだ。全くの別人。人でもなく人のような何か。
そして母は誰かが産まれた時から小さい時の話を延々としているが誰のことだ?この人から俺が産まれたのか?母から受けた暖かい感情にぽっかり穴が空いてしまった。
「あなたは俺の母親か?」と問おうとしたがこれ以上の言葉のナイフを振りかざすわけにもいかず、やめておいた。
初めて歩いた時の感覚・母の背中で子守唄を聴きながら眠った気持ち良さ・小学校入学で涙を流した母親……いわゆるそんな世間一般の母親のイメージが全くない。
「もしや!!」私は急いで昔の自室の押入れから卒業アルバムを引っ張り出した。
「分からない……」全員の顔が人なんだが人ではないのだ、顔も何も覚えていない。行事の写真も同じだった。
男は自分が失ったものが、あまりにも大切なものだということに今気が付いた。母親の愛をお金に変えてしまった事実を心底後悔した。
「明日あの店に行こう、そしてどうにかしてもらおう……」そう男は決意したが、それは叶うことはなかった。
*****
「すみません、例の記憶を返していただきたいのですが。」と男は申し出る。
私は「記憶の返却は不可能ですと言いましたよ。このお約束は必ず守っていただきます」と答えた。男がすぐさま大声を出した。
「大切な記憶だっていってんだよーーー!!!!」と男は椅子を蹴り上げたが、私は動じなかった。大抵の人間はこうなるからだ。
私は続いて問いただした「ではなぜ尊い思い出をお金にしようとしたのですか?一瞬の快楽のためではありませんか?私どもは慈善事業ではなくビジネスでサービスを提供しております。一時の気の迷いとはいえ、ルールは守っていただかなくては。」
男は大粒の涙を浮かべこう言った「本当に返してくれないのですね。」
私は頷いた。
「そうですか……」と男は肩を落とし店を出ていった。隣のパチンコ屋に入ったかどうかは想像するまでもない。
私はお気に入りのソファに腰掛け、儀式の際に白紙だったアルバムを持ち出し、浮き出た「男の0〜10歳までの記憶」を丁寧にゆっくり読み進めた。
人の記憶は美味しい。泣きも笑いも悔しさも恥じらいも含めて全て素晴らしい。
「明日はどんな思い出が見れるのかしら、スリリングなやつがいいわね」と、私は思いを走らせた。
(MBSラジオ短編賞1)