8 市場調査3
最初に立ち寄った露店と同じ手順で、他の店も回っていく。どうやらこの町の商人は露店と言っても、よい商売を心がけている者が多いようだ。
メモを取りつつ歩いていたシエナはふと、足を止めた。
(あれも魔具の露店――だな)
視線の先にあるのは、商品を木箱の上に載せてよく見えるようにディスプレイしている魔具の露店である。
シエナはブーツの紐を結ぶフリをし、その場にしゃがんで地面に手を触れた。紐を結ぶのに手間取っているかのように、時間を掛けてゆっくりと地面に魔力を流し込む。
(ん……すごく歪んだ魔力――その場限りの突貫工事ね)
靴紐を結びなおし、立ち上がったシエナは件の露店の全貌を観察した。
簡素なテントに、乱雑に積まれた箱。商人の周りには私物が少なく、テントの後方には薄暗い裏路地が伸びている。
(私物は置かず、露店商には不人気な立地で商売――逃げる準備は万端ってところかな)
怪しい店は、外観からして何か「臭う」ものがある。先輩魔術師やチェルシーたちと一緒に研修している間にもそう教わった。「臭い」を素早く嗅ぎ分けるられようになるのがコツなのだと。
シエナは背後を振り返り、ルイスに視線を送る。ちゃんとシエナの後をついてきていたルイスの緑の双眸と視線がぶつかり、シエナは例の露店を顎で示してみせた。ルイスの眼差しが露店へと注がれた後、彼の手が自然な動作で、腰に提げている護身用の短剣に触れる。シエナの意図を正確に理解してくれたようだ。
店主は、でっぷりとよく肥えた中年男性。魔力の反応はないので、魔術師ではない。ちょうど若い男性が品定めをしており、商人は熱心な様子で商品の説明をしていた。
シエナは何気ない動作で店に近づき、説明を受ける男性の隣で商品に視線を走らせた。置かれているのは、どれも見ただけでは用途がはっきり分からない箱形のものばかり。
「お目が高いね、お客さん! これは、内部に炎の魔力を込めた魔石をセットしているんだ。持ち運びもしやすいから、食料などを温かいまま持ち運びたい時に便利なんだ」
ちょうど客にそのように説明していたので、シエナもそちらに視線を向ける。商人が手にしているのは、一抱えほどの大きさの箱。引き出しのような構造になっており、彼の説明通りならば店で購入した食べ物を箱の中に入れ、保温状態で持って帰られるという代物なのだろう。
客が実際に引き出しの中に手を入れ、「おっ、本当に温かい」と呟いている。となれば、実際に炎の魔石は入っているのだろう。
(でも、きっとそれは寿命が三日と保たない不良品。客が気づく頃にはさっさとトンズラできるように、持続力と効果を調整させているのね)
さてどうしようかと、シエナは大通りを見渡す。
商人の不正を一度暴いたら、その瞬間にシエナが魔術師であることは周知の事実となる。となれば、それ以上調査を進めるのは不可能だ。バレると、悪徳商人たちはシエナに捕まる前に逃げてしまうだろうから。
そういうわけで、シエナは件の怪しい店の位置をチェックしてから一旦その場を離れ、一通り大通りを回ることにした。優良品を扱う店はもれなく確認し、町長に報告できるよう細かく特徴を書き付ける。
夕方前には、大通りのほとんどの露店を回ることができた。
(怪しそうなのは、あの時の店だけ――やりやすいな)
露店は、日が沈む前には撤収する。とりわけ今は、日没が早くなってきた秋。明日になると場所を移動されたり、最悪逃げられることもある。
シエナが再び例の店の場所に戻ると、まだ商人はそこにいた。ざっと見たところ、ディスプレイされていた商品が二つほど減っている。
(売られたか。となると、不良に気づく前に逃げてしまうだろうね)
決めるなら、今日だ。
シエナは改めて、背後を確認する。夕飯の買い出しに勤しむ市民たちの波に呑まれることなく、ライトブラウンの髪の青年がこちらを見てきていた。彼もずいぶん連れ回してしまった。早めに決着を付け、彼も休ませてあげないといけない。
シエナはメモ帳をしまい、暇そうに爪をいじる商人へと近づいた。シエナの姿を認め、商人が顔を上げて人のよい笑みを浮かべる。
「おや、お嬢さんの顔はちょっと前にも見たことがあるな」
「あはは、覚えてた? さっきから気になってたの」
シエナも笑顔で答え、商品の前にしゃがむ。
ベテランの悪徳商人は、客が魔術師であるかどうかに敏感になっていることが多い。
シエナのように国立学校で学んだ魔術師ならば、相手が魔術師がどうかは雰囲気で察することができる。一方、中途半端な魔力しか持たない者ならば相手の正体を見破ることができないため、客の一挙一動にも注目する。一時間ほど前にシエナがふらっと訪れていたことに気づいたのも、彼の観察力ゆえだろう。
(負けるつもりは、ないけどね)
心の中で宣戦布告し、シエナは手近なところにあった魔具を示す。
「おじさん、これは何の魔具? 大きな鋏みたいね」
「おお、お目が高いね! これはね、癖毛をまっすぐにさせる最新の魔具だよ」
「癖毛を?」
仕事中ではあるが、ついつい興味もそそられてしまう。そんなシエナの反応が気に入ったのか、商人は得意そうな顔で鋏型の魔具を持ち上げた。
「そうとも。お嬢さんも、毛先がちょっとだけ撥ねているな。この魔具はね、雷の魔石と炎の魔石を利用している。要するに熱で髪を矯正させるんだよ」
(何それ、欲しい!)
この魔具を買うつもりはないが、なんとも心の惹かれる性能である。こういう魔具があれば、朝の寝癖もすぐに直るのではないか。こんなところで不正取引をせずに、これを作った魔術師と一緒に正規の製品を開発していけばいいのに、と思ってしまう。
「試しにやってあげようか? なぁに、一度くらいなら金を取ったりはしないよ」
「いいの? ありがとう!」
シエナは笑顔で礼を言い、リボンでまとめた髪の房を商人に差し出し、魔具を当てやすいように前傾姿勢になった。――地面に、両手をついて。
商人が、シエナの髪の房に魔具を当てる。ほんのわずかだが、魔具から魔力が流れ込んでくるのが感じられた。
(うっ、これはかなり巧みな――魔石の持続性は一日程度だけど、その分強力だ。こういう技術を、もっと別の面で活用すればいいのに!)
心の中で毒づきつつ、続いて地面に触れた手から魔力を流し、他の魔具にも手を伸ばしていった。あちこちから微弱な魔力を感じられるので、この癖毛矯正魔具だけでなく他の魔具もそこそこ手の込んだ魔石を利用しているようだ。
だがどれも例外なく、持続性に問題がある。魔石がもろくて、含蓄魔力が非常に少ない。この鋏形の魔具なんて、下手すると翌朝には壊れているかもしれないくらいである。
「よし、できたよお嬢さん」
「ありが――うわ、本当にまっすぐ!」
髪の房を見、ついついシエナは声を上げてしまった。
魔具を当てられた部分だけ、髪がつるつるのまっすぐになっている。焼け焦げた箇所も特になさそうなので、仕上がりは完璧だ。
(こんなにいいものを作るなんて――)
出来映えには満足だ。後は、商人の説明次第である。
「すごいね、おじさん! 私、毎朝髪が撥ねてしまって困ってるんだけど、これなら毎朝セットできるかな?」
「ああ、もちろん。お嬢さんはきれいな髪をしているからな、これで髪を矯正させたらいろいろなアレンジができるだろう」
(いろいろなアレンジ――いやいや、今は仕事中!)
ついつい興味を引かれてしまう己の乙女心を叱り飛ばし、シエナは笑顔で言った。
「そっか! ……でもこれって、扱いは大変じゃない? あと、どれくらい魔石が保つのかも気になるし」
「それなら気にしなくていい。魔石の効力には自信があるんだ。今なら特価で売ってあげるよ」
「へぇ……! それじゃあね、質問していい?」
「ああ、何だい?」
「これさぁ、一日経ったら効力を失うでしょ? 魔石は、純度の低い屑石。見た目はきれいに磨いているみたいだけど、魔石ってそもそもの魔力のキャパシティって決まっているから、そんな突貫工事じゃごまかせないのよ」
――商人の顔から、笑みが消えた。
シエナはにっこりと微笑み、つるつるさらさらになった自分の髪に触れた。
「……この魔具を作った魔術師の名前、公表なさい。魔術師団で調査すれば、これらが正規の製品かどうかすぐに分かるからね」
「……てめぇ、魔術師か!」
怒声と共に、商人は立ち上がった。シエナが立ち上がるよりも早く、彼は足下の木箱を蹴り飛ばす。
とたん。テントの支柱が軋んだ音を立て、直後にはばきっと音を立てて真っ二つに折れた。テントが傾ぎ、シエナと商人の間に布の塊が落下してくる。
(なるほど、一蹴りすればテントが解体するるようにしていたのね)
だが、こちらだって黙って逃亡を見守るわけにはいかない。
通行人たちが悲鳴を上げる中、シエナはテントの布に触れる。
――魔術師は、人を傷つける魔術を行ってはならない。
(そう、人を傷つける魔術は、ね)
シエナがテントの布を掴んだ、とたん――
白い靄が辺りに立ちこめる。周囲の水分が凝固し、霜となり――やがてそれらは一瞬の後に、凍てつく氷へと姿を変える。
パキパキパキ――と小枝を折るかのような音がさざ波のように広がり、崩壊したテントはあっという間に氷の塊へと姿を変えていった。
「ぎゃっ!?」
路地裏の方で悲鳴が上がる。見ると氷の塊の向こうで商人が足下を滑らせ、その場に倒れ込んだところだった。やはり、裏路地を逃走ルートにしていたのだ。
「ちくしょう……騙しやがったな!」
「市民を騙して不良品を売りつけたのは、そっちでしょう」
罵声を浴びてもシエナは平然と返し、さっと手を振った。
氷の塊が形を変え、緩やかな斜面ができあがる。それは、さながら氷の芸術。
氷に足を取られながらも逃げようとした商人は、斜面をすーっと滑ってシエナのもとまで戻ってきた。尻で滑っているので、なんとも滑稽な有様である。
「さあ、観念なさい。私が魔術師であるということに発狂した時点で、あなたが後ろ暗いことをしているのは明白なのよ」
「……小娘の分際で!」
怒りと羞恥で顔を真っ赤にした商人がシエナを睨み上げてくる。
「俺をしょっ引こうってのか!? あーあー、これだから魔術師はなぁ! ご立派な魔術を見せびらかして、正義の味方ぶろうってのか!? てめぇら魔術師はいいよなぁ! ちょいっと手を捻れば俺たちなんてイチコロなんだろ? そうだろぉ!?」
商人の罵声に、シエナはわずかに眉根を寄せた。
煽ってきているのは分かっている。シエナが挑発に乗り、彼を傷つける魔術を使えば彼に分ができてしまう。
シエナが魔術でできるのは、彼が逃げないように逃げ道をふさぐのみ。氷の魔術で足を拘束などすればそれこそ、「魔術師が一般市民を傷つけた」と声を大にして言われてしまうのだから。
周囲で、通行人たちがざわついている。何事だ、魔術師か、とさざめきのように声が広がり、様子を見ようと集まってくる。
それを見た商人の顔が、邪悪に歪む。野次馬が集まるのは、彼にとって都合のいいことなのだ。
(……下手に出たら、言質を取られてしまう)
シエナは顔をしかめ、口を開いた。だが――
「……さて、そこまでにしてもらいましょうか」
シエナの視界が、柔らかな布地で覆われる。ふわりと漂うのは、清潔な石けんの香り。
いつの間に、ここまで移動したのだろうか。
腰に提げていた短剣を抜き、ルイスがシエナと商人の間に立ちはだかっていた。
「先ほど彼女が言ったとおりです。これ以上罪を重くしたくないのならば、さっさと観念なさることですよ」
「な、なんだてめぇ!?」
新手の敵に動揺した商人が、焦った声を上げる。ルイスの背中で視界が覆われているので見えないのだが、商人が顔面蒼白になっている様が容易に想像できた。
「てめぇも魔術師か!?」
「いえ、私はたいした魔力も保たぬ一般人です」
「一般人が剣を向けるか、普通!?」
「ああ、失礼しました。一般人ではありますが、騎士の称号は得ております」
騎士の称号――つまり、ルイスは商人を引っ捕らえる権利を持った人間なのだ。それを悟った商人は、言葉を失う。
通行人たちのざわめきを受けつつ、ルイスは悠然と述べた。
「……ああ、抵抗はなさらぬように。こちらにいらっしゃる魔術師様は、魔術を使わなければ、無抵抗のか弱い女性。婦女子への暴行は、騎士として見過ごすことはできませんからね」
ヒッ、と商人が息を呑む声がする。なんとなく、ルイスの声色も今までとは違うような。
(言葉は丁寧だけど、迫力がある――)
ルイスの背後でシエナが感心しているうちに、商人がその場にがくっと膝をついたことで決着は付いた。
ルイスが素早く商人を縛り上げ、その間にシエナは氷の魔術を解除して辺りに散らばった不良品の魔具をかき集める。これらは一旦町長に報告した後、魔術師団に送って調査を行うのだ。
「シエナ様、私はこやつを警吏に引き渡して参ります。シエナ様は先に町長殿の元へ報告にお行きください」
ルイスに言われ、シエナは頷いた。周りの通行人たちもざわついているので、既に警吏は呼ばれているだろう。集めた魔具も、彼らに運んでもらえばいい。
(まずは、報告に行かないとね――)
そう考えていたシエナは、ばっちりと先ほどの商人と視線を合わせてしまった。ルイスによって薫製中のハムのように縛り上げられていた商人は、怒りに燃える目でシエナを睨んだ後、ペッと唾を吐き出す。
「けっ……これだから魔術師はよぉ。俺たちを騙した挙げ句、騎士を顎で使って後始末をさせるんだろう? てめぇがやったことならてめぇで始末までしろよ、なぁ? ……ああ、そうか。魔術師様は、魔術を使えなかったらただの害虫だもんなぁ!」
「……それが、魔術師の作った魔具を売る者の言葉か」
顔をしかめるルイスの皮肉も聞き流し、彼に引きずられつつ商人は歪んだ笑みでシエナを睨め付けてくる。
「いくら綺麗事を言っても、所詮てめぇらは卑怯者、皆の嫌われ者なんだよ! あはははは、ざまぁみろってんだ!」
「いい加減、黙りなさい」
静かにルイスが言い、商人を縛り上げる紐を思いっきり引っ張った。ぐっと商人は呻き、ルイスが紐を持つ手をねじったことで商人の体も反転し、シエナとの視線が外れた。
そのままルイスに引きずられていく商人から、シエナはそっと視線を逸らした。そうして代わりに目に入ってくるのは、町の人々の表情。
ある者は、見事な氷の魔術を疲労したシエナに対して目を輝かせており。
ある者は、商人の捨てぜりふに顔をしかめており。
そして、ある者は――
(……分かっていたことだ)
シエナは嘆息した後、顔を上げる。
秋の夕暮れ時の空は、憎らしいほど美しかった。