5 夢の中のルイス
調査の旅は順調に進んだ。
各地で魔力測定を行いながら、予定通りのルートをたどる。夜は、できることならば宿場町に駆け込む。どうにもならないときだけ、野宿することになった。見習い時代に野営訓練もしてきたので野宿も平気なのだが、どうやらルイスは極力野営をしないようにしたいらしい。曰く、「私は平気ですがシエナ様は女性ですし、不安です」とのことだ。
騎士道精神にあふれる彼の優しさに感謝しつつ、どうしても宿にたどり着けない日は妥協してもらって野宿しつつ、二人はひときわ大きな町に到着した。
「この町には、三日ほど滞在する。町長に挨拶したり巡回に出たりと、町の中でもやることはあるからね」
町の入り口で検問を受けた後、シエナはそう説明した。二人は旅着姿だが、シエナは魔術師団のカードを、ルイスは騎士団のバッジを持っているので身分証明はそれらを見せることで行った。
「他にも、市場に出回っている魔具の覆面調査もしていくわ」
「覆面調査……ですか?」
「ええ。こっちが魔術師だと分かっていたら、不良品や偽物を売りつけている商人はさっさとトンズラしてしまうからね。魔術師であることを気づかれないように店を回っていく方が収穫が多いのよ」
「それほどまで悪徳商人は多いのでしょうか」
ルイスが眉根を寄せて問うてくる。彼は「なんとなく魔力の粒子が見える」程度なので、見ただけでは魔具の良不良が分からない。
加えて彼は貴族の子息で、騎士団所属だ。貴族の屋敷や騎士団詰め所には不良品の魔具なんて置かれないから、悪徳商人の区別が付かないのも仕方ない。
シエナは頷き、穏やかな町並みを手のひらで示す。
「王都ではそうでもないけれど、地方にはそこそこ見られるわね。まあ、事情はいろいろだけれど。不良品を売りつけている商人も騙されていたってこともあるし、魔術師である本人が適当なものを作って売りつけているパターンもあったわね」
「なるほど――」
話している間に、ルイスは馬車の速度を落として本日の宿を探してもらっていた。ちなみにルイスは初めての宿場町で、「シエナ様の安全のために」と言って超高級宿を探そうとしていたが、丁重に断った。旅費の全ては魔術師団から出るとはいっても、そんな高級宿に泊まる必要はない。最低限のセキュリティやサービスがしっかりしているならば、少々布団が固くても文句はない……というのがシエナの主張である。
ルイスは若干不満そうだったが、シエナの指示に従って旅人向けの宿を探してくれた。もちろん、部屋は二つ。同性ならば同室でもよかったのだが、さすがに若い男女となると同室はよろしくない。
本日一泊することにした宿の主人には、「あんたたち夫婦じゃないのかい?」と問われたが、すかさずルイスが「いえ、私は護衛です」と素晴らしい笑顔で返していた。
(……なるほどね。確かに、お互い敬語よりは主従って役にする方が、自然に見えるんだろうね)
部屋の前でルイスと別れ、ベッドに腰を下ろしたシエナはふーっと長い息をついた。
思えば、王都を発ってから一人っきりになるのはこれが初めてだ。
(ルイスにも頼りっぱなしだったし、町にいる間でも休憩時間中は、ゆっくり体を休めてもらわないとね)
ルイスだけでなくもちろんシエナも、野宿中は体を拭くだけだったのでちゃんとした風呂に入りたい。コレまでの宿場町ではシャワーのみだったが、この宿は湯船に浸かれると主人が教えてくれた。それに、滞在中は私服で過ごす予定なので、旅着やマントも洗濯しなければ。
(やりたいことたくさんあるけど……ちょっと、眠い)
ドアの鍵は掛けた。ルイスには、用があればノックして呼ぶように言っている。
上着だけをのろのろと脱いだ後、シエナはふわふわのベッドに身を投げ出した。
夜の草原。
漆黒の空に、足首までの丈の草。
「前回」とは風景が違うが、シエナは確信を持った。
(ああ、ここは――)
『やあ、シエナ。また会えましたね』
さわわ、と足下の草が靡く。そうして、草原の先からやってきたのは――
「ルイス……?」
『ふふ、やっと名前を呼んでくれましたね』
おそるおそる問うたシエナに笑みを返したのは、紛れもなくルイス。ただし格好は旅着ではなく、城で面会したときと同じ、騎士団制服姿である。夜の草原を吹く風を受け、彼の左腕を包むマントがひらひらはためいていた。
ルイスはシエナの前で足を止め、口元に手を当てて小さく笑う。
『長旅、ご苦労様です。……今日はずいぶんとラフな格好ですね?』
「え?」
指摘され、シエナは自分の体を見下ろす。前回と違い意識はしっかりしているし、自分の体もきちんと把握できた。
今のシエナは、宿のベッドに倒れ込んだ時と同じ服装である。つまり、長袖シャツとスカート、タイツという出で立ち。ラフな格好と指摘されたが、上着を脱いだだけなのでそこまで破廉恥な格好ではないはずだ。
(……もしかして、眠った時の服装が反映されているの?)
下着姿で寝ることはないようにしよう、とシエナは胸に誓った後、咳払いして目の前の青年に向き直る。
「えーっと……あなた本当にルイス?」
念押しで問うと、ルイスは小首を傾げてにっこりと笑った。
『そう言っているじゃないですか。まったく、ぼけーっとしていて壁にぶつかるんじゃないかと、いつもヒヤヒヤしますよ』
「……はい?」
(ぼけーっと……って……え?)
ルイスらしくない口調にぽかんとしていたシエナだが、ルイスはさらなる攻撃を放ってくる。
『あなたを護衛する私の身にもなってください。あなたは向こう見ずで、お人好しで、何を考えているのか分からない。大人しくしていればいいのに無茶ばかりで、人の話を聞かないし、約束を破る大嘘つきだし――』
「……は、はぁ?」
(この人、何を言っているの?)
さすがに聞き入れることができず、シエナは顔をしかめてルイスを睨み上げる。
「ちょっと待って。なんだか、身に覚えのないことばかり言われているみたいなんだけど?」
『私は嘘なんて言いませんよ?』
「私、ルイスに嘘をついたことなんてないし、そんなボロクソに言わなくてもいいじゃない!」
『……ふふ、そうですね。今のあなたはまだ、何も知らないんですよね』
急にルイスの言葉に不穏な響きが混じり、シエナは眉根を寄せる。
(「今は」――?)
ルイスは不可解そうな表情を浮かべるシエナを見下ろし、おもしろがるように目を細めて笑った。
『どういうこと? って顔をなさってますね。……ふふふ、今はそれでいいです。またお会いする機会もあるはずですからね』
「ルイス、なんでさっきからわけの分からないことを――」
『なぜなのか、教えてあげましょうか?』
そう言ったとたん、ずいっとルイスの顔が迫ってきてシエナの喉が悲鳴を上げた。
間近で見るルイスの顔。どこか中性的で柔らかな美貌。内緒話をするかのように、白手袋の嵌った指が己の唇に触れている。
エメラルドの双眸は、とろりと濡れた光を孕んでいた。背景が夜であることもあいまって、ルイスの美貌を妖艶な雰囲気に仕立てている。
(これは、本当にルイス――?)
あの丁寧で紳士的な彼は、こんなに距離を詰めてくるものなのか?
こんなに、怪しげな熱を孕む目で見つめてくるのか?
息を呑むシエナを、ルイスは目を細めて見下ろしていた。
その薄い唇が、弧を描く。
『それはね――』
世界が、かすむ。
ルイスの顔が霧に包まれてゆき、輪郭がぼやけ――
『あなたのことが、大っ嫌いだからですよ』
翌日は、曇り空だった。
宿の主人によると、今日の昼ぐらいからは雨が降るかもしれないとのことだ。雨は嫌いだが、馬車を走らせている間でないだけよかっただろう。雨天野宿なんて、できるだけ回避したい。
そんな、爽やかとは言えない朝。
シエナは宿の食堂で、むっつりと朝食を食べていた。
周りには他の宿泊客たちの姿があるが、ルイスはいない。彼は朝早くに宿を出て運動をした後、遅れて朝食を取ると主人に言っていたそうだ。
(うん、ちょうどよかった)
さくさくのトーストにバターの塊を落とす。トーストの斜面をバターが緩やかに滑っていく様を目で追いつつ、シエナは嘆息した。
シエナは基本、夢を見てもすぐ忘れる質だ。朝起きた直後は覚えていても、服を着替えている間には「そういえば何か夢を見たっけ」まで忘れ去ってしまう。
ところが、どういうことなのか。そんなシエナでも、今朝のルイスの夢だけは妙に鮮明に覚えているのだ。
起床して、服を着替えて、身だしなみを整えて食堂に降りた段階になっても、夢は色あせることがない。あせるどころか、間近まで迫ってきたルイスの眼差しや吐息、掠れた声などは時間が経つごとにはっきりと脳みそに刻まれていく気さえした。
幸せな夢だったなら、いつまでも覚えていられたら嬉しいだろう。だが――
(よりによって、あんなとんでもない夢――)
つるん、とバターがトーストの表面から落下し、皿に落ちる。
シエナはテーブルに頬杖をついた格好のまま、だんだん小さくなっていくバターを見下ろしていた。
「嘘つき」だの「お人好し」だの、少なくともルイスが思うはずもないだろうことをずばずば言われ、挙げ句そんなことを言う理由に「大嫌いだから」と告げられるなんて。
(私、嘘なんてついていない。お人好しとか向こう見ずとかは……まあ、そうかもしれないかも。――でも、少なくともルイスの前ではそんな振る舞いしていないし)
冷静に考えれば、夢の中のルイスと現実のルイスは別物である。実際のルイスは紳士的で優しく、夢の中のルイスは意味不明な人間。ただの夢だと割り切ればいい。
(割り切ればいいんだけど――やっぱり、ショックだ)
いつまでもあせることのない夢。妙にはっきりくっきりしているルイス。
そんな彼の端整な唇から発された、「大っ嫌い」。
(まさか、まさかだけど――実際にルイスが、私のことを嫌っているとか――ないよね?)
夢は、見る側の問題だ。夢に現れた側の感情や思考は全く関係ない――はずだ。多くの場合は、夢を見る側の感情や要望、体験が反映されるものである。
(……あれ? だとしたら、どうして私は夢の中でルイスに罵倒されたの? 私、ルイスに罵倒されたいって思っているの? え? そうなの??)
もしそうだとしたら、自分はとんだ変態である。
これは、以前チェルシーが押しつけてきた怪しげな本に書いていた、「心身への攻撃を受けることで快楽を得る」とかいう人種に該当するのか。
そして夢の中のルイスは、シエナの隠れた性癖を突いてきたというのか。
(いやいやいや! 私は誰かに罵倒されたいなんて性癖は持ってない! 相手が美形だろうと、罵倒されたいなんて思っていない! 断じて思っていない! はず!)
ぐうう、と唸ったシエナは頬に手を当てた。熱い。
やはり、この場にルイスがいなくてよかった。
(忘れよう……頑張って忘れよう!)
うんうん唸った末、シエナは無理矢理己に言い聞かせてからようやくナイフとフォークを手に取った。
ナイフで切り分けたトーストは、バターが染みこんですっかりべたべたになってしまっていた。