3 魔術師と騎士の旅立ち
そうして互いの立場や呼称を確定した後、ようやっと遠征に関する打ち合わせに入る。ここまでのやり取りでかなり体力が削られた気がするが、シエナは気合いを入れて背筋を伸ばした。
「――今回私が命じられたのは、ベックフォード地方の調査。毎年定例調査をしているのが私に回ったのだけれど、調査ポイントは数カ所。約一月で全ての地点をチェックし、魔力数値に異常がないかを確認して回りま……回るわ」
「一月間――出発日が風の月六日なので、約六十日間ですね」
この大陸は一年が三百六十日で、六つの月に分かれている。ちなみに月の呼称は、魔力の属性六つと同じである。
頷いたシエナはテーブルにベックフォード地方の地図を広げ、赤い印の入った箇所を指でたどっていく。
「魔力測定装置は私が持っていくことになってる。知っているかもしれないけれど、この装置は魔術師にしか起動できず、魔術師でない人が触ると誤作動を起こす可能性がある。だからルイスさ――ルイスにも荷物持ちを任せると思うけれど、これには触れないように頼むね」
「分かりました。あいにく私は魔術師になれるほどの魔力を持っていないので、魔術に関することはシエナ様に一任します」
ルイスはそう言った。ちなみに書類を見る限り、彼の属性は一応「風」らしい。測定した結果、何となくの魔力は感じ取れる、くらいの潜在能力だったという。
「道中は、盗賊などの襲撃や野生動物の危険がある。獣はともかく、人間相手だと――他の魔術師と同じく、私は魔術で戦うことはできても、肉弾戦を行うことはできない。非魔術師に対する魔術講師は禁止されているからね。対人でも堂々と行使できるのは――相手が魔術師だった場合」
「その時には、むしろ私はお荷物になってしまいますからね」
「お荷物なんてとんでもない。ルイスには、魔術師団製の魔具をいくつか渡しておく。魔術師も、その肉体はただの人。懐に切り込めば倒すこともできるからね」
魔術属性は、六つある。炎、氷、風、雷、地、そして水。
全ての人間は、いずれかを守護属性としている。そうして強弱の差はあれど魔力を持って産まれ、それぞれの属性に応じた魔術を使う可能性を秘めているのだ。
シエナたち魔術師が対人で魔術を発動できないのには、理由がある。
かつて、魔術師や学校の制度ができていなかった時代には魔術師が結託して戦争を起こし、魔力の弱い者たちを殺戮していた。魔術師は非魔術師を蹂躙し、非魔術師は魔術師を捕らえて処刑する――そんな時代が。
魔術師と非魔術師の凄惨な争いが終結したのは、三百年ほど前。当時のロデリック国王の尽力により終わりの見えぬ戦いが収束し、共存が実現された。その背景には、非魔術師である国王が魔術師である女性を見初め、妃に迎えたという出来事があったと言われている。
今、平和な時代だからこそシエナとルイスは同じ空間に存在できる。三百年前から変わっていなければ、シエナはおそらくこの場にいなかった。魔力の弱い両親の元から産まれたシエナはおそらく、魔術師の素質があるであると判明した瞬間に抹殺されていただろうから。
その際、「魔術師は対人で魔術を行使しない」という約束が交わされた。魔術師側からすれば不満たらたらだっただろうが、こうでもしないと魔術師と非魔術師が共存することはできなかった。そうして現在でも、国立学校時代にシエナたちは魔術師としての心得を叩き込まれたのである。
とはいえ、道をはずれた魔術師はそんな精神を持ち合わせていない。邪道に走った魔術師が問題を起こすことも多々ある。
ただし、この任務中にもし道から逸れた魔術師と戦うことがあっても、ルイスがお荷物になるなんてことはない。シエナは相手が魔術師ならば遠慮無く魔術を行使できるし、ルイスも護身魔具を持っていればある程度の接近戦が可能になる。
「要するに、魔術関連は全て私が請け負って、護衛やその他手を借りたい時、非常事態にはルイスにも協力してもらう。それでいいかしら」
「はい、私の方からは何もありません。せっかく魔術師様の護衛に選ばれたのですから、お役に立ってみせますよ」
ルイスはそう言い、腰に提げた剣の鞘を撫でた。
物腰は優美で、口調や態度は優しい。そんな彼だが、騎士団での実力はかなりのもの。書類の情報によると、普段の勤務態度も真面目で人望も厚く、部隊長昇任への話も上がっているという。
今後彼が部隊長などになった場合は、部下を指導する立場に回る。そうなると、単騎遠征任務に出ることもなくなるため、彼が昇格する前にできるだけ小規模護衛任務などを任せたい――と、書類には騎士団長からの一言も添えられていた。
(部隊長になるくらいの実力と人望のある方――本当に、護衛になってくれたのがありがたいばかりだな)
正面でにこやかに茶を飲むルイス。道中は、シエナが彼の護衛対象になる。
彼に見合うだけの自分になろうと、シエナは胸に誓った。
遠征出発の日は、チェルシーが見送りに来てくれた。
「シエナ、お仕事頑張ってね。あー、それにしても間近で見るルイス・ベルリッジ! 眼福だわぁ! 軍服姿も最高だけど、シンプルな旅着でも麗しいこと! んふふ!」
「そっちのが目的ね……」
「ふふ。だーいじょうぶ! 若い二人の門出を邪魔することはしないから!」
「なんか別の意味に捉えられそうなんだけど」
馬車に荷物を積みつつこそこそと会話をするシエナとチェルシーの傍らでは、ルイスが馬に馬具を取り付けていた。ルイスが御者を務めてくれるそうなので、彼の扱いやすいように手綱や馬具を調整してもらっていたのだ。
荷物の積み込みを手伝いつつも、チェルシーの視線はルイスに釘付けである。確かに、濃紺の軍服から一転して動きやすいジャケット姿になったルイスだが、立ち姿は美麗で生まれながらの気品は隠しようもない。チェルシーと一緒に彼の方を見ていると、不意にエメラルドグリーンの双眸がシエナを捉える。凝視していたことがばれたかとびくっとするシエナに対し、ルイスは眼差しを緩めて軽く手を振ってきた。優美な風貌に反する気軽な動作に、隣でチェルシーが「きゃん!」と歓喜の悲鳴を上げた。
「んー、本当にシエナってば幸運ね。旅先でどんなことがあったのか、後であたしにもちゃーんと教えてね!」
「う……取り立てて報告することはないと思うけど」
「いえいえ、このチェルシーの本能を侮らないでよ! 実際、『素敵な美男子がシエナの護衛になる』ってのは当たってたんだから!」
何も言い返せず、シエナは口をつぐんで木箱を持ち上げた。
(チェルシーって、魔術師以上に予言者の才能がありそうなのよね……)
チェルシーの突拍子もない「予想」が当たったのは、実はこれが初めてではない。昔から、「なんかこうなりそう」「これがうまくいきそう」などといった「予想」が、やたら当たるのだ。本人曰く、「なんか大地がそう言っている気がする」とのことだ。地属性の守護を受けた彼女は、シエナには理解できない何かを感じ取ることができるのだろう――多分。
仕度を終えたら、いよいよ出発である。
「お手をどうぞ、シエナ様」
シエナが自力で台に上がろうとすると、先に御者席に座っていたルイスがさっと手を差し伸べてきた。台に両手を突っ張った姿勢のまま、シエナの動きが止まる。
「え……いや、これくらいの段差なら自力で――」
「そうはいきません。あなたの手に木のささくれでも刺さったらいけませんからね」
シエナの主張はさくっと却下された。それでもシエナは食い下がったのだが、ルイスもまたルイスで笑顔のまま一歩も引いてくれない。
(……もしかしてルイスって――世話焼き?)
結果、シエナはルイスの手を借りて台に上った。たったそれだけのことなのだが、ルイスはやけに嬉しそうである。シエナが彼の厚意を受け入れたのが、そんなに嬉しかったのだろうか。
「それでは、出発します。少々揺れますので、気をつけてくださいね」
前置きをした後、ルイスが馬に鞭をくれた。頑丈な車輪がゆっくりと動きだし、土埃を上げながら馬車が速度を上げていく。
シエナは馬車の窓から顔を出し、後方を見やった。王城通用門前に立つチェルシーが、大きく手を振っている。
『旅先でどんなことがあったのか、後であたしにもちゃーんと教えてね!』
チェルシーの弾んだ声が脳裏に蘇る。
(……ううん、私は仕事で旅に出る。ルイスも仕事で、私の側にいる)
滅多なことなんて、起こらない。起こるはずがない。
今回ばかりはチェルシーの予想が外れるべきだろうと、シエナは過ぎゆく景色を眺めながら思った。