27 目覚め
目覚めは、思ったよりもスムーズだった。
ベッドから身を起こしたシエナはまず辺りを見回し、状況を確認する。
(ここは――トレインの町で取っている宿?)
内装に見覚えがあるし、壁際には宿に置いてきた道具一式を置いているので間違いないだろう。
ゆっくりと視線を動かす。
そして、壁際の椅子に座って俯くルイスの姿を認めた。
「ルイ――」
呼びかけようとして、やめた。彼の肩が規則的に上下しており、座ったまま眠っているのが分かったからだ。
胸の前で腕を組み、壁に背中を預けて俯く彼には、見たところ大きな怪我はなさそうだ。やはりあの戦いを無事に終え、シエナを担いでここまで来てくれたのだろう。
シエナはゆっくり、ベッドから降りた。寝起きではあるが、頭ははっきりしているし体調も悪くない。
ベッドサイドのテーブルにドーム形の蓋が掛かった食事が置かれているのを横目に、シエナはルイスの前にしゃがみ込む。ルイスも疲れているのだろう、シエナが近くまで来たというのに起きる様子はない。
よくよく見ると、彼の頬にはいくつもの細かい傷痕があった。髪も一部だけ短くなっているので、彼も少なからず雷撃を受けたのかもしれない。
(でも、私もルイスも生きている)
あやまちの未来の二人は、どちらも死亡した。
シエナは暗黒生物の魔術によってズタズタになり、ルイスもまた生物の最期のあがきを受けて。
ルイスが必死になって変えようとした未来が、こうして形になっている。
(今頃、ルイスはちゃんとシエナに会えたかな)
会えたならきっと、自分に対してそうだったように笑顔でずばずばと詰るのだろう。そしてシエナはきっと、しゅんとしながらもおとなしく彼の説教を受ける。自分ならそうするだろうから。
(……それからきっと、仲直りするんでしょうね)
シエナの方がどうなのかは知らないが、ルイスは「私のシエナ」にべた惚れだったようだ。だとしたら、いくら最初は恨み辛みを吐き出したとしても最終的には仲直りするだろう。
(……甘えたがりで、愛されたい。臆病――ねぇ)
夢の中でルイスが言ったことを思い返し、シエナはほんのりと頬を赤らめる。
「……そうなの? ルイス――」
小声ではあるが、彼の間近でそう問うてしまう。それが間違いだった。
ぱかっとルイスの目が開き、俯いているせいで影になっているエメラルドグリーンの目がシエナを凝視する。
「……あ」
「……」
「お、おはよう、ルイス。私もさっき目――」
「っ、シエナ!」
シエナの言葉を待たず、ルイスはすさまじい瞬発力を披露した。
シエナの肩を掴み、床に押し倒す。
シエナが「あれ?」と呟いた時には既に、ルイスはシエナを倒して床に組み伏せていた。
澄んだ双眸は陰になっており、彼の美貌には鬼気迫るものがある。体を起こそうにも、この状態で上半身を起こせば彼とキスしてしまいそうなのでじっとしておくしかない。
「シエナ……ああ、目覚めてくれましたか!」
「あ、うん、ルイス。でもこの格好は――」
「落雷を受けて、あなたは三日も気絶していたのですよ! 呼吸はしているものの、いつそれが途切れるのか――そんなことばかり考えてしまって……」
「三日!? あ、いや、それよりもこの体勢は――」
「シエナ、暗黒生物は私が倒しました。町長にも一連のことは報告済みです。もう、大丈夫です」
「う、うん。ありがとう。それとね、この状況は――」
「シエナ……もう、大丈夫ですよ。だから、もうちょっとゆっくり……眠って――」
早口でまくし立てていた言葉が急に間延びした感じになり、ふっとルイスの体から力が抜ける。
「え? ……うぐっ!?」
逃げる間もなく、シエナはルイスに押しつぶされていた。成人男性としては小柄な方で細身な彼ではあるが、筋肉は重い。加えて、気絶した人は重い。
抜け出すことを諦めたシエナはもぞもぞ体を起こして少しでも楽な姿勢になってから、彼の背中に手のひらを当てる。
(……ルイス、あんまり寝てなかったんだな)
シエナが目を覚ましたことで安心してしまったのだろう。すうすうと静かな寝息が耳元に掛かる。
(……ありがとう、ルイス)
少しだけ癖が付いているルイスの髪をそっと撫でて。
「……で、これどうしよう」
なんとかルイスをベッドまで引きずり上げ、先ほどまでシエナが寝ていたところに寝かせる。布団が新品でないのは申し訳ないが、シエナ一人の腕力では彼を自室まで引っ張っていくことは不可能だった。
そうしてシエナは作り置きしてもらっていた料理を食べ、宿の主人たちと状況確認をした後、ルイスを残して町長の屋敷を訪問した。
ルイスの言ったとおり、彼が既にあらましを話してくれていたようで、町長はシエナが無事に目覚めたことを喜び、一件の説明をしてくれた。
――あの後、屋敷は崩れ落ちた。
崩れる直前にシエナを抱えたルイスが脱出して、二人は轟音を聞いて集まっていた町民たちの介抱を受けた。
ちなみに夢の中でルイスが言ったとおり、シエナの衣服は雷で焼け焦げており町の女性陣がルイスからシエナを引き取って治療してくれたという。
町長には一件の報告と礼を述べ、そして手当てをしてくれたという町民の名前を聞いて感謝の手紙をしたためた後、シエナは宿に戻った。
「ああ、シエナさんだね! お帰り!」
玄関に入ったシエナを出迎えたのは、宿の女将。彼女も、シエナを介抱してくれた一人である。
「女将さん、私の治療をしてくださったそうですね。ありがとうございます」
「いいのよ、それくらい! それよりも――早く上に行ってあげてよ」
「上?」
「ルイス様だっけ、優男の。あの人が目を覚ましてね、あんたを探しているんだよ」
「……そ、そうなのですか」
「そうそう、そりゃあもう、見ているこっちがはらはらするような慌てっぷりでね……話は後でいいから、顔を見せに行ってやりなさいよ」
「……分かりました」
女将への礼はそこそこに、シエナは客室へと押しやられた。途中宿の主人ともすれ違い、「愛されているなぁ、あんた」と苦笑いされた。
一体ルイスはどんなことを口走ったのだろうか。
「ルイス――ここにいる?」
そっと自室のドアを開けると、果たしてそこにルイスがいた。
ベッドに腰掛けていた彼はシエナを見るなり、はっとして体を起こす。
「シエナ! ……っ」
「大丈夫!?」
いきなり立ち上がったからか、ルイスは足下をふらつかせてベッドに逆戻りしてしまう。
急ぎシエナは彼に駆け寄り、頭痛を堪えるように額に手を当てるルイスの顔を覗き込んだ。
「立ちくらみ? ……やっぱり十分に寝られていないのね」
「っ……すみません。立ち上がると頭が――」
「いいのよ。ほら、寝て」
「し、しかしここはシエナ様のベッドでは――」
「立ち上がると頭痛がするんでしょう? だったら無理して部屋に戻らなくていいから。……あ、それとも布団、臭う?」
「まさか!」
「それじゃあほら、寝て。私はおかげさまで元気になったから、ね」
シエナがやんわりと諭すと、ルイスは渋々ベッドに横になってくれた。
シエナは上掛けを肩まで引き上げ、先ほどまでルイスが座っていた椅子を引っ張ってベッドサイドに座る。
「……先ほど、お一人でどこかに?」
ルイスが問うてくる。眠るつもりはなさそうなので、シエナも彼との会話に付き合うことにした。
「……町長さんの家に報告に行っていたの。お礼や報告を兼ねてね」
「……左様ですか」
「町の人には、治療のお礼の手紙も書いてね……そうそう、ルイスは私を連れて脱出してくれたのでしょう? ごめんなさい、はしたない姿になっていたようで……」
「なっ……! ……あなたが謝ることではありません。落雷を受けたのですから、不可抗力です」
ルイスははきはきと答えるが、その頬と耳がうっすらと赤く染まっている。
彼も緊急事態で必死だったとはいえ、夢のルイス曰く「ほぼ全裸」のシエナを見たことになるのだから、そこまで冷静にはなれないのだろう。




