21 屋敷調査1
翌朝、太陽が完全に昇ってからシエナたちは屋敷へ向かった。
善は急げ、と言うが、今回の出発は朝早くではなくあえて昼前にした。その理由は、ふたつ。
屋敷の調査には危険を伴う。場合によっては、近隣住民に避難を促すことや、緊急の連絡を行うことが必要になる場合だって考えられる。そういう時、朝早くや夕方になってよりも、日の高いうちの方が動きやすいと判断したためだ。
加えて、十年前の事件を鑑みてのことだ。
魔術の属性は、六つ。だが魔術師の怨念や歪んだ研究により、複数の属性を組み合わせた代物ができあがることがあるのだ。
町長の屋敷で読んだ報告書によると、以前の事件でもそういったねじ曲がった魔術――暗黒魔術が使われた形跡があったということだった。六属性の守護を踏みにじった魔術は強力だが、天の恵みである日光に弱いという傾向がある。人の薄暗い部分――邪念を練り込んだ結果だろう。
だから、暗黒魔術の可能性がある場合、調査などは日の高いうちに始め、日没までに終わらせるのが鉄則である。もしも日没までに終わらなければ、よほどのことでない限り翌日に繰り越す。微弱な暗黒魔術であれば、日光の光で大幅に弱らせることができるのだった。
「それじゃあ、ルイスはこれを剣の刃に塗ってね」
屋敷の前まで来たシエナは、ルイスに丸い蓋の缶を手渡す。蓋部分に魔術師団の刻印が施されており、見た目の割に重い。
「これは?」
「魔術師団特製の、対魔術強化塗料。一時的にではあるけれど、これを武器に塗っておけば魔術を受け止めたり魔具を安全に破壊することができる」
魔術師団から支給されたこの塗料缶のサイズは、手のひらに載る程度。ルイスの手はシエナよりも大きいので、彼が手にすると余計小さく見える。
「これ、高価なのよ。だから支給されたのはこれだけ。むしろ、使わないなら未使用のまま返せって言われているくらいなのよ」
「なるほど――魔術に対する抵抗力を強める効果があるのならば鎧にも付けたいところですが、そんな余裕はないのですね」
そう語るルイスは本日、軽鎧姿。旅の間も着ていた服の上に、胸当てと左肩を覆う肩当てを身につけている。
さらに騎士団員の証であるマントを左腕から背中にかけて纏っており、体左半分を防御、右半分を攻撃に特化しているスタイルとなっている。騎士剣は左腰部分にベルトで吊し、右手で抜刀できるようにしていた。マントで隠れているので見えないが、左腕には頑丈な籠手を付けており、攻撃を腕で受け止められるようにもなっている。
ちなみにこの服装は右利き用で、左利きの場合はマントや肩当て、胸当てなどの形状などが全て左右逆転するらしい。
「そうなのよ。……ああ、ちなみにそれは金属や鉄専用の塗料だからね。地肌に塗ったらひどい目に遭うそうだから、塗るのは剣だけにしてね」
「はは……分かりました」
ルイスは剣を抜き、缶に付属していた刷毛を使って塗料を刀身に塗っていく。塗布する要領は剣の手入れと同じなので、彼は慣れた仕草で塗料の半分ほどを刀身にまんべんなく塗り、日光にかざしてみた。
「ふーん……見た目には大きな変化はありませんね。ちょっとつやつやしているくらいでしょうか」
「それくらいでいいのよ。ギトギトになるまで塗ったら、鞘に収めた時にべっとり付いてしまうし、刃が滑ってうまく斬りつけられないことがあるらしいからね。……まあ、使わないのが一番ではあるけれど」
「……おっしゃるとおりです」
ルイスは眼差しをきつくし、剣を鞘に収めた。一番いいのは、今鞘に収まった剣が抜かれることのないまま、二人が屋敷の調査を終えることである。
念のためということで、残りの塗料もそのまま彼に持たせておいた。この缶も、これ以上活躍がないことを願うばかりだ。
「さあ、準備はできました。……行きますか、シエナ様」
「ええ、よろしく頼むわね、ルイス」
シエナはルイスをまっすぐ見つめて言った。
多めに魔具を持たせているからか、ロープをくぐって屋敷の玄関に向かう時点までのところでは、ルイスに異常は見られない。
「鍵は、町長殿が保管していたのですね」
そう言って、ルイスは町長から借りた鍵でドアを開ける。実質十年間雨ざらし状態になっているのでドアはかなりさび付いており、シエナの力では開かなかった。ルイスが両手でドアを押し、耳障りな音を立ててようやっと開いてくれる。
内装の見取り図も、町長から借りていた。間取り自体は、よくある屋敷のそれである。
まず、広々とした玄関ホール。前方には二階へと続く大階段が伸びており、踊り場で左右二手に分かれている。
曰く付きの屋敷を掃除もするわけもないので、埃っぽい空気と何かがカサコソ移動する音、よどんだ邪気が二人を出迎えてくれた。
「……仕事じゃなければ、すぐさま帰りたくなるような場所ね」
「右に同じです」
同意したルイスがしゃがみ、足下に転がっていた棒きれを拾う。天井からぶら下がる巨大な蜘蛛の巣を彼が払っている間に、シエナは見取り図を開いて位置を確認した。
屋敷は三階構造。一階は玄関ホールに応接間、談話室や食堂がある。二階はプレイルームや書庫などがあり、三階は客間も含めた私室である。昨日シエナが手を突っ込んだ窓ガラスの部屋は、東側にある談話室だったようだ。
「例年の調査では、全ての部屋を回っている。随所で魔力数値を測定して、変化がないかを確かめているのね」
そういうわけで、今日もシエナは魔力測定器を持っている。あちこち歩き回ることになるので測定器の上部にベルトを付け、右肩から斜め掛けにしてぶら下げていた。これなら両手が空くので、見取り図や資料を持って歩くこともできる。
まずは、玄関ホールの測定。正直、触るのも嫌なくらい床もどろどろだが仕方ない。せめてもと、シエナが触れる箇所はルイスが先に布で拭ってくれたのがありがたかった。
「……そうだ、ルイス。体調に変化はない?」
ルイスが拭いてくれた床に手を触れて魔力を流しつつシエナが問うと、雑巾を叩いていたルイスは頷いて右手を挙げる。
「はい、この通り。魔具のおかげでしょうか、少し空気は重い気がしますが体調を崩すほどではありません」
彼の右手首には、大粒の魔石が嵌ったブレスレット型の魔具が。
シエナよりも抵抗力の弱いルイスは、体のあちこちに魔具を身につけている。今はしっかり着込んでいるのでほとんどは見えないが、実際はかなりの数である。鎧やマントを着る前はよりはっきり目立っており、本人も「なんだか、性悪な金持ちになった気分です……」と苦笑いしていたものだ。
彼の様子に異変がないのならば何よりだ。
シエナは測定器の針が振動をやめたのを見計らい、手を離した。針が示す数値は、やはり例年よりも大幅に大きい。昨日測定した応接間とほぼ同程度である。
報告書には数値に加え、「ルイス・ベルリッジに異常なし」とメモ書きしてから立ち上がる。
「よし……それじゃあまずは、一階からまわっていこう。例年よりも数値が大きいのには理由があるはずだから、原因がどこにあるのかを探さないとね」
「それに、住民が夜ごとに耳にするという『奇妙な音』の正体もですね」
ルイスの付け足しに、シエナは頷く。
昨夜は特に何も音はしなかったのだが、町長の話では三日に一度くらいの割合で、屋敷から奇妙な音がするのだという。
(不審な魔具は、十年前に処分しているはず。それに、何か異変があれば十年間の調査中に報告が上がり、場合によってはその場で始末することになっている)
この屋敷でかつて、邪悪な魔術師が道に外れた魔術の研究を行い、しかもその後この場で自害している。
事件から十年経過し、死亡した魔術師の怨念が今になって戻ってきたという可能性もゼロではない。それくらい、魔術師とは厄介な人種なのだ。
ルイスが先行して、蜘蛛の巣を払いカサコソ動く生き物を始末し、ドアを押し開けながら二人は調査を進めていく。おかげでシエナは大嫌いな例の黒光りする害虫や蜘蛛の巣、どろどろの床に難儀することなく測定を進めることができた。
「……ごめんなさい、あなたにばかり大変なことをお願いして」
シエナが食堂の床にしゃがんで測定をしている間に声を掛けると、部屋の隅で何かを叩き潰していたルイスは振り返って首を横に振った。
「とんでもない。私としては、仕事でもないのならばこのような劣悪な環境に淑女を出入りさせたくありません。淑女の道を開き、汚れを背負うのは騎士の役目です」
「う、うーん……私、淑女なんて呼ばれる人間じゃないんだけどね」
魔術師としての才能を持って生まれたが、シエナは一般市民。学校に入るまでは普通のやんちゃな少女として育ち、国立学校でもチェルシーたちと一緒にのびのびと生活してきた。礼儀作法などは一通り叩き込まれているが、ルイスたちのような生粋の貴族とはそもそもの生まれが違う。
ルイスは立ち上がり、片眉をはね上げた。
「そうでしょうか? 私からすれば、あなたは淑女です」
「まあ、男か女かので二択で答えろと言われたらそう答えるしかないものね」
「ですからそういうわけでは……いえ、何でもありません。それより、針が止まっていますよ」
「あ、本当だ」
こちらまで歩いてきたルイスに促され、シエナは測定器を覗き込んだ。
「うーん……やっぱり数値は高いね」
「他の部屋と比べていかがですか?」
「……ちょっとだけ、高いかも」
数値を書き込み、本日の調査結果を順に眺める。
玄関ホール、応接間、談話室、廊下、風呂場、食堂と見てきたが、食堂は若干ではあるが一番数値が高い。
「他にも――えっと、廊下のこの地点と、談話室もちょっとだけ高め。後は低い方かな」
「……屋敷の北東付近が高めということですね」
ルイスの言葉に、シエナは頷いて同意を示す。
「……これから二階に上がるけれど、北東には要注意ね」
「はい」
 




