2 護衛騎士ルイス
だがしかし、翌日。
「はっははは! ご覧よシエナ! あたしの勘は、ばっちりと当たってたってことよ!」
魔術師団詰め所にて。
くるくると回って歓喜するのは、シエナの同僚であり友人でもあるチェルシー。職場だというのに、朝からテンション高めである。
だがテンションを上げているのは彼女だけではない。詰め所にいた他の同僚たちも寄り集まって、興味深そうにシエナの手元の書類を覗き込んでいた。
「ははあ……まさか、ベルリッジ家の三男が来るとはねぇ」
「ルイス・ベルリッジ。とんでもない大物を釣り上げたな、シエナ」
「いやいや、私が選んだわけじゃありませんから!」
デスクに伸びて資料を見ていたシエナは、慌てて訂正する。間違っても、シエナがルイス・ベルリッジをご指名したわけでも釣り上げたわけでもない。
(ルイス・ベルリッジって、あの人よね……大人気の)
シエナはだらしなく伸びた格好のまま、ルイス・ベルリッジについて書かれた項目を読みつつ、自分が知っている彼の情報と照らし合わせる。
ベルリッジ伯爵家の三男。さらさらのライトブラウンの髪に、宝石かと見まごうような澄んだ緑の目。気品に溢れた美貌は多くの女性を虜にし、物腰は柔らかで誰に対しても真摯な態度を崩すことのない好青年。
シエナだって王城勤めをしているのだから、噂だけではなく実際に彼の姿を見たことはある。濃紺の軍服を着こなす彼は、他の騎士たちと共に行動していても大変よく目立っていた。背はそこまで高くはないのだが、他の男たちに囲まれようと決して埋もれることはない。
そんな彼は大概、騎士の誰かと行動を共にしているが、たまに城の女性陣に囲まれている姿を目にする。シエナと同じ魔術師団に、数少ない女性騎士、女性官僚に貴族の令嬢。資料によると彼は今年二十四歳とのことで、方々から見合いなども持ちかけられているという。
だが、彼の評判がいい理由は見目や身分だけではない。
「ルイス・ベルリッジって、あんなに美形でモテそうなのに、浮いた話を一つも聞かないのよね」
「そうそう。どんな美女が迫ってきても爽やかにお断りするってことで有名だ」
同僚たちが噂話しているように、ルイスは非常に身持ちが堅くて誠実な青年だった。娘を堅実な男性のもとに嫁がせたいという親からすれば、これ以上ない優良物件である。伯爵家の三男ということだから爵位を継ぐ可能性はないに等しいが、逆に言えば自由な身の上。彼を狙う者が多いのも納得だ。
「……でも、どうしてそんな素晴らしい方が私の護衛になったのかしら?」
シエナが問うと、くるくるダンスをやめたチェルシーが自分の席に戻り、自分の唇に人差し指を当ててしばし考え込む。
「うーん……なんでだろうね? うちからも、ルイス・ベルリッジをご指名する人は多いそうだからね。でも、基本的にどんな依頼も断る方針だって聞いたわ」
「……それじゃあ、どうして指名もしていない私の護衛になったの?」
「知らなーい。二人きりの時間は長いんだし、せっかくだから理由も聞いてみれば?」
チェルシーは投げやりにまとめた後、「会議の準備しないとー」と言って詰め所を出て行ってしまった。
(理由を聞いてみる……か)
ひとつため息をついた後、シエナは時計を見上げる。
ルイス・ベルリッジとはこの後打ち合わせをすることになっている。
彼は魔術師の護衛任務は初めてということなので、細かい注意事項や日程確認、依頼内容などをシエナの方から説明する必要があった。もちろん、二人きりで遠征するのだから互いの人となりを知るという目的もある。
(……遠征予定期間は、約一月。仲良く……なったほうがいいよね)
肩を落とした後、シエナは資料をまとめて立ち上がった。
打ち合わせに向けて、シエナも準備をしなくては。
打ち合わせ場所は、騎士団詰め所にある応接間。
魔術師団から騎士団に護衛を依頼する形になっているので、シエナの方が資料持参の上で出向くのだ。
「シエナ・フィリスでございます」
「シエナ様ですね。ルイス・ベルリッジが待っております。どうぞ」
侍従に案内されて応接間に入ったシエナを迎えたのは、ソファに座っていた青年。
資料を胸に抱えたシエナは生ぬるい唾を飲み込んで、ソファから立ち上がってこちらまでやってきた青年をじっと観察した。
首筋までの長さのライトブラウンの髪に、エメラルドグリーンの目。身の丈はシエナよりも頭一つ分ほど高く、喉を反らして顔を上げなければならない位置に彼の双眸があった。
纏っている濃紺の軍服は、騎士団の制服である。階級によって肩章やマント、ワッペンなどに多少の差は出るようだが、基本的に全員同じデザインの軍服を着ることになっている。王宮勤め三年目であるシエナは今まで様々な騎士たちを見てきたが、彼は制服を抜群のセンスで見事に着こなしている。脚は長く、腰や腕も細い。ただ、もしかすると着痩せしているだけで、胸や腕の筋肉はすごいのかもしれない。
そんな彼を、魔術師団の女性陣は「王子様」と称える。
伯爵家の三男であり王子ではないのだがなるほど、近くで見る彼はまさに絵に描いたような貴公子然とした魅力を放っている。強烈な光を放っているのではなく、慎ましく内側から輝いているとでも言うのだろうか。
彼はドアの前で立ったままのシエナを見、手袋を嵌めた手を胸に当ててお辞儀をする。腰から下げた騎士剣が、微かな音を立てた。一通りの宮廷作法を学んだシエナでも見惚れるような、完璧な仕草である。
「お初にお目に掛かります。此度シエナ様の護衛に命ぜられました、ルイス・ベルリッジと申します。微力ながらシエナ様の職務の補助をいたしますので、よろしくお願いします」
「は、はい。こちらこそ」
シエナは慌てて返事をし、魔術師団制服であるローブの裾を片手で摘んでお辞儀をした。ルイスの爽やかな声に魅了され、言葉を失うところだった。
ルイスはそんなシエナを見てにっこりと微笑み、シエナが胸に抱えていた資料をひょいっと取って、お留守になったシエナの手を引く。
「お荷物はお持ちしますね。……こちらへどうぞ」
「い? ……あ、はい!」
手袋の嵌ったルイスの手は、大きい。布越しでも、その大きさとぬくもり、剣を持つために硬くなった皮膚の感触などがよく分かる。
ドアからソファまでという短い距離ではあるが、男性にエスコートされるなんて今まで経験がなかった。貴族の令嬢ならば日常茶飯事なのだろうが、シエナは偶然魔術師の才能があったために国立学校に通えただけの、平民。恥を掻かないために一連の宮廷作法は叩き込まれてはいても、男性からのエスコートを受けるなんて未経験である。
ちなみに魔術師団にも当然男性はいるが、「シエナ、ちょーっと来てくれぇ!」といった扱いしかされたことがない。それが魔術師団では当たり前である。
(……いや、これも貴族の子息として当然の振る舞いをしただけ。これは仕事、仕事の一環)
内心ドキドキしつつ――表面上は冷静なフリを装い、シエナはルイスに手を引かれてしずしずとソファに座る。先ほど案内してくれた侍従が茶の準備を進める中、シエナはルイスが持ってくれていた資料をテーブルに広げる。
「ルイス・ベルリッジ様。私の護衛になってくださったこと、感謝します。まさか噂に名高いルイス様が私のサポートをしてくださるとは思ってもおりませんでした」
「そうですね……私は基本的に、私の名前を指名する方の依頼は受けないことにしているのです」
「……それは、何かご事情がおありなのでしょうか」
そっと問うたシエナの顔を見、ルイスは微笑む。柔らかく穏やかな微笑みに、ついつい心拍数が上がってしまった。
「いえ、なんとなくですよ。……ベルリッジの名は便利なこともあれば、いろいろ厄介なことも招きかねないのです。私は結構面倒くさがりなので、厄介ごとは兄たちに任せて自分は気楽に過ごしたい質なのです。だから魔術師団からの依頼を受け持つとしても、ルイス・ベルリッジを指名しない人と行動を共にしたいと思っていました。……過去に、貴族出身の騎士を護衛に付けたがり、悪巧みをしていた者もいた、ということでしてね。私は三男ではありますが、騎士団での仕事や事情を家に持ち込みたくなかったので」
「……なるほど」
「そういうことも多々あったため、騎士団長からも、私の方針に関しては何も言われていなかったのでね。そうしていて、騎士団長からあなたの護衛を打診されたのですよ。私とシエナ様、両者の意見が一致したということで、私も快く打診をお受けいたしました」
「……そうだったのですか」
貴族には貴族なりの背景、考えがあるのだろう。確かに、三男とはいえベルリッジ伯爵家の名に惹かれた者がルイスを側に据えたいと思うようになるかもしれない。彼の言い方からして、過去に悶着が起きたことがあったのだろう。となれば、部下の派遣を検討する騎士団長も采配に慎重になるのも当然だろう。
そうしてルイスに検討されたのが偶然、シエナの護衛任務だったというわけだ。
(私が依頼したのは、健康で真面目な人――ルイス様が希望したのは、ルイス様の名を指名しない人――ここで私たちの要望が一致したのね)
シエナは居住まいを正し、慎ましく頭を下げる。
「私は貴族ではないので、階級などについて明るくはありません。ですので、ルイス様とは任務を共にする仲間として接させてもらいますね。よろしくお願いします」
「はい。それではシエナ様もおっしゃる通り、仲間として接するためにもどうか私のことはルイスと気軽にお呼びください」
「え?」
確かに言ったが、どうしてそうなるのか。
きょとんと目を見開くシエナを、ルイスはおもしろがるように見つめてきた。なんとなく、先ほどまで振りまいていた王子様オーラが引っ込んで別の側面が見え隠れしているような気がする。
「私のことは、ルイスと呼び捨ててください。ああ、それと丁寧な口調も不要です」
「いえ、それはさすがに――」
「旅先での私たちは魔術師であるシエナ様と、シエナ様に同行する護衛という役割をするのでしょう? でしたら、お互い慇懃な態度を取るよりは私の方が若干下に出た方が自然ではないでしょうか。そうすることで、傍目からは主従に見えるのでは?」
「それはそうですけど――」
「いちいち事情を説明するのも億劫ですし、身分を明かす必要のない場ではあなたが主、私が従の立場でいるのがよろしいかと」
確かに、やんごとない身分の娘に護衛騎士が寄り添うというのは珍しいことではない。護衛されるのはシエナ、するのはルイスなので、二人の立ち位置的にも妥当である。
とはいえ。
「いえいえ、もし仮の主従関係にするとしても私が従者でしょう!」
「まさか。騎士よりも魔術師の方が貴重な存在であることは、子どもでも知っていること。私の仕事は、魔術師であるシエナ様をお守りすること。ならば私の方が従者の立場を取ることも当然では? それに、私が従者の立場である方がいざというときに動きやすい。護衛は、いつでも動けるように控えるものでありますからね」
「いや、でもさすがに呼び捨ては――」
「シエナ様。これも任務を円滑に進めるために必要なことだと思うのですが」
「…………そうですか?」
「そうです」
シエナを穏やかに説き伏せつつも、ルイスは始終笑顔を崩さない。なんとなく、彼はこのやり取りをおもしろがっているようにさえ思われる。彼は呼び捨てで命令されたい性癖を持っているのか――とまで考えて、それ以上はやめておいた。
(でも――確かに、魔術師と護衛の従者だという方が自然な姿に見えるよね。それに、「自由な身でいたい」とおっしゃるルイス様の頼みなんだから、お受けする方がいいんだろうかな)
かなり悩み、正面の席のルイスから無言の笑顔を送られ、さらに悩み、とうとうシエナは渋々頷いた。
「……分かりました。そのようにします」
「はい、やり直し」
「……。……分かった。そうするよ、る、ルイス」
「はい、よろしくお願いしますね、シエナ様。何なら、私に命令してくれても構いませんからね。『私の代わりに敵を殲滅しなさい!』とか」
「それはしない!」
やはり、彼は特殊な嗜好を持っているのかもしれない――と感じてしまった自分は、悪くないと思う。
全力で却下するシエナに対し、ルイスは満面の笑みである。
いろいろ突っ込みたいところはあるし彼の言いなりになっているような気もするが、彼は機嫌がよさそうなので、これでいいということにした。