15 嘘つきにならないために
翌日にはルイスも全快し、朝には恒例の特訓に出るようになった。一日養生しただけでも体力が落ちたらしく、「早く通常に戻らなければ――」と、訓練後に爽やかな汗を流しながら呟いていた。
ルイスも回復したことだし、そろそろ出発すべきである。
だがその前に、シエナは「寄っていきたいところがある」とルイスを誘った。
「この宿場町には、氷の守護神を奉る神殿があるそうなの」
ルイスを伴って歩くシエナは、そう説明した。
どの町にもたいてい一つは、守護神を奉る神殿がある。規模は場所によって違い、王城並みに立派なものから小部屋程度のものまで、様々だ。
そして魔術師は、自分の守護属性の神殿がある場合には必ず参拝するようにしていた。
魔術師が受け入れられるようになって、三百年。最初の頃は、守護神殿も幾度となく打ち壊されてきたという。
それが一般市民にも受け入れられるようになったのは、長い時の中で先人たちが骨を折ってきたからである。
一般市民とて、魔具を利用する。魔術師は、自分たちを見守ってくれる先人たちに感謝をする。
彼らが足を運び、祈りを捧げる神殿は皆のために開放されていた。
そしてこの宿場町には、氷、風、土の神殿があるということだった。氷の魔術を操るシエナは、是非とも参拝すべきである。
「なるほど――私はそこまで敬虔ではないのですが、シエナ様の魔術には何度も助けられてきましたからね。守護神に挨拶とお礼を申し上げるべきでしょう」
ルイスも同意してくれたので、こうして二人で神殿に参拝することになった。もしルイスが辞退するなら彼には時間潰でもしてもらおうと思っていたので、同行してくれるならばシエナも嬉しい。
町の人に道を聞きつつ、はずれにある神殿へと向かう。入り口に氷の守護神を象った像を据えた神殿は、一軒家程度の大きさだった。
「神殿と言いますが、見た目は普通の家屋のようですね」
「ええ、そういうものよ。外観はそれこそ、洞穴みたいなものもあるそうだから。ただ、入り口にこうやって守護神像を置いて、内装をきちんとしていればどれも神殿として認められるのよ」
「神官などはいらっしゃるのでしょうか」
「神官ってほどではないけれど、一応ね。たいていの神殿は、王都の魔術師団を引退した人が開くの。元々魔術師団に所属していたのだから身分ははっきりしているし、定期的に報告書を魔術師団に送ってこられるのよ。私たち魔術師が神殿に参拝するのは、守護神への感謝の気持ちを伝えるためでもあり、先輩魔術師の様子を拝見するためでもあるのよ。まあ、いつでもお会いできるわけじゃないんだけどね」
ロデリック王国は宗教概念が緩く、決まった宗派を定めていない。そのような中で、六つの属性ごとに分かれた守護神は神話に描かれるようなものよりもずっと身近で、民も親しみやすいため、定期的に守護神殿に参拝する者も多い。
身も蓋もない話、いるのかいないのか分からない神よりも、実際に魔具を利用している身からすれば六属性の神の方が信じやすいのだろう。とはいえ、属性の神というものも存在するのか微妙ではあるが。
シエナの言ったとおり、この神殿は見た目こそ普通の家屋だが内装を整えていた。
ドアを開けた先は広いホールになっており、調度品もタイルも壁も、氷属性の象徴である深いブルーの色彩で統一されている。二人の他に人の気配がないので、この神殿を管理する魔術師も留守のようだ。
「これは――見事ですね」
見渡す限り青の世界に、ルイスが素直な感想を述べる。シエナは振り返り、物珍しげにきょろきょろするルイスの姿に笑みを零した。
「氷の守護神殿には私も何度も来ているけれど――ルイスの言うとおり、どの神殿もとっても素敵なのよ。私の目も同じ色だからかしらね、ここにいるとほっとするのよ」
「ああ、確かにシエナ様の目は美しい青色ですね」
「宝石みたいなルイスの目には敵わないけれどね」
世辞を世辞で返し、シエナは神殿の奥へと進む。
壁際に据えられた氷の神像は、美しい女性を象っていた。何の材質なのか、深い青色に輝く石を削って造られた女神は俯きがちの姿勢で、胸の前に手を重ねている。
「あの女神像、シエナ様に似ていますね」
「いやいや、それはさすがに女神像に失礼だから」
「そうですか? 俯いた時の表情とか、似ていると思うのですが」
ルイスは大まじめに感想を述べているが、とんでもない。神像はどれも極限まで美化されている上、シエナはこの女神像ほど胸も大きくない。
別にルイスはそんなところを指摘しているわけではないと分かっているが、さすがに神像と似ていると言われても素直には喜べないのが、複雑な乙女心である。
シエナはルイスからふいっと視線を逸らし、女神像の前に跪いた。少し遅れて、ルイスもシエナの半歩後ろで跪く気配がする。
(氷の守護神に、感謝を――)
胸の前で手を握り合わせ、祈りを捧げる。
魔力を持って生まれたことで、辛い思いもした。
どうして自分だけが――と嘆いたこともある。
普通の子に生まれたかった、と両親に八つ当たりしたこともある。
(でも、辛いだけじゃない)
ルイスにも言ったように、「シエナ」を見てくれる人もたくさんいた。
シエナが魔術師だから出会えた人たちだってたくさんいる。
(私は、この力を正しく使います)
魔術師として、人の道を外れずに正しく力を使うことを、約束する。
『――嘘つき』
不意に脳裏に響く声。
はっとして、反射的に背後を振り返る。だがそこにいたルイスは頭を垂れ、静かに祈りを捧げているだけだ。
『シエナの、嘘つき』
違う、とシエナの心が叫ぶ。
嘘なんてつかない。魔術師の使命を踏みにじったりなんかしない。
ルイスが――偽ルイスが、笑っている。
唇を曲げて、邪悪に。そして、どことなく悲しそうに――
「――シエナ様!?」
遠のきそうになる意識が、切羽詰まった声によって呼び戻される。
気がつくと、シエナの体はルイスに支えられていた。青い絨毯の上に座り込んでいたシエナの腰に、ルイスの腕が回っている。
――ルイスの手のひらが、腰に触れている。
ずくん、と胸の奥が痛んだのは一瞬のことだった。
「ルイス……?」
「……許可なくお体に触れたこと、お許しください。いきなり体が傾いだので、気分でも悪いのかと――」
「ううん……大丈夫。支えてくれて、ありがとう」
そっとルイスの腕に触れると、服の下でびくっと筋肉が震える感覚がした。揺らぐエメラルドグリーンの双眸が、シエナをじっと見下ろしている。
(そうだ、彼は偽ルイスとは違う)
彼の唇は、あんな残酷な言葉を吐いたりはしない。
彼の手は、シエナの腕を拘束したりしない。
彼の剣は、シエナの脚を切り落としたりはしない。
彼は、偽ルイスとは違う。そしてシエナも、偽ルイスが詰るような人間ではない。
(私は、嘘つきになんてならない)
ルイスの腕を借りて立ち上がり、シエナはまっすぐ女神像を見上げた。
俯いている女神像と視線がぶつかり、なぜかその石でできた双眸が潤んでいるかのように見えた。




