13 花の中で眠る者1
そこは、闇に包まれた草原地帯。
(またこの場所か……)
そのど真ん中で目覚めたシエナは、やれやれと天を仰ぐ。
ここしばらくは偽ルイスの夢を見ることがなかった。こちらもこちらで、野営中などでルイスと交代で睡眠と見張りをしなければならない時に偽ルイスと遭遇すれば、きっとイライラしてしまったことだろう。もしかすると、偽ルイスも空気を読んでくれたのだろうか。
(宿泊中でよかった……いや、こんな変な夢、御免被りたいけど)
はあっと嘆息し、草原を歩きだす。
来てしまったものは仕方がない。
きっと、あの意味不明なことばかり言う偽ルイスと会わなければ、目覚められないのだろう。
(でも、珍しい。今までは、あっちの方から会いに来たのに)
彼方まで続く草原を歩きつつ、シエナは思う。
できることなら、さっさと朝を迎えたい。現実のルイスは、昼間盗賊と交戦した際に負傷しており、微熱状態で休んでいる。
偽ルイスにつきまとわれるくらいなら、現実のルイスの容態を確認したいものである。
草原は、果てしなく続いている。
脹ら脛までの丈の草は、脚に触れているはずなのにこれといった感触がない。
草だけでなく、足下の感覚もおぼろだ。シエナの足は軟らかな土を踏みしめながら進んでいるはずなのに、その感覚もない。リアルな時もあれば適当なところもある、なんともちぐはぐな夢だ。
(一体どこに偽ルイスは――あれ?)
ふと足を止め、シエナは目を細くして草原の果てを見つめる。
短い草ばかりが広がる草原だと思ったら、ほんのりと光の溢れる場所があったのだ。相変わらず空には月も星もないが、その周囲だけはぼんやりと輝いている。あそこに偽ルイスがいるのだろうか。
(いるなら、さっさと会ってさっさと話をしてさっさと帰ろう)
シエナは足を速める。立ち止まって眺めた時は距離がありそうに思われたが、目的の場所にはあっという間にたどり着いた。
そこは、不思議な空間だった。
辺り一面は草だらけだというのに、そこだけきれいに刈り取られている。そして宿の部屋一つ分くらいの円形に草が刈られた空間には、草の代わりに花で満ちあふれていた。
白、黄色、オレンジ色、ピンク色。花の種類は様々だが、どれもシエナが好きな花ばかりだ。色も淡い色のものが多くて、可愛らしい。どの花も微かな光を放っているので、遠くからも見えたのは花のおかげなのだろう。
だが、小さな花畑を見た感想は「可愛らしい」だけでは済まなかった。
花畑の中央。そこには、花に包まれるようにして眠る探し人の姿があったのだ。
横伏せ状態で、両手を顔の前に重ねている。脚と腰を曲げた格好なので、どことなく子どもっぽくてあどけない寝相にも見える。
前回と同じように軍服を着た青年は、花に囲まれて静かに眠っていた。一瞬、死んでいるのかと思ったが肩が微かに上下している。
シエナはぽかんとして、花の中で眠る青年――偽ルイスを凝視していた。
(何、この人。他人の夢の中で寝ているの?)
美青年は何をしても美青年なので、花に埋もれて眠るルイスというのはそれはそれは絵になる光景である。まつげが長く、微かに開いた唇も横伏せ状態だからか少しだけぽってりとして見える。無防備に眠る姿を見ていると、なんだか胸の奥が無性にぞわぞわとしてきた。
だがしかし、美青年だから何をしても許されるわけではない。ここで彼をすやすや寝かせておくわけにはいかないのだから。
シエナはため息をついた後、そっと花畑に足を踏み入れた。
とたん、微かにそよいでいた花たちが蠢いてシエナの足に絡みつく――なんてことはなく、花は心地よさそうに揺れているだけだ。相変わらず足下が何かを踏む感触はないので、せっかくきれいに咲いている花を踏みつぶしてしまう心配もなさそうだ。
花畑を進んだシエナは、ルイスの手前で座り込んだ。シエナが近づいても、ルイスは目覚める気配を見せない。
その寝顔は現実のルイスと全く同じで、目の前の青年を叩き起こすことが忍ばれてくる。
(いや、これはルイスとは別物。起きてもらわないと、私が困る)
「……ねえ、起きて」
ルイスの肩に手を掛け、軽く揺さぶる。ガクガク揺すぶるのは最終手段にしておきたい。
その結果、思いの外ルイスはあっさり反応してくれた。軽く揺すっただけで瞼が震え、のろのろと持ち上がる。エメラルドの目が半分ほど見えた辺りで、シエナは揺するのをやめてあきれ顔でルイスを覗き込んだ。
「やっと起きた? おはよう――といっても、人の夢の中で眠られても困るんだけど」
『ん……?』
ルイスはまだ半眼状態だ。
彼は億劫そうに体を仰向け状態にし、その格好のままシエナを見上げてきた。瞼が重そうで、とろんとした目がシエナを見つめる。
『……シエナ?』
「そうよ。ほら、今日のご用件は何? また罵声をぶつけたいの?」
『……よかった、シエナだ』
ちょっとばかり文句でも言ってやろうと思っていたシエナは、ルイスの弱々しい声にはたと口を閉ざす。
寝起き直後だからか、ルイスはろれつがうまく回っていない。彼は眠そうな目を瞬かせ、シエナを見上げてとろりと甘く微笑んでいた。
――それは、現実のルイスも偽ルイスも、今まで見せたことのないような優しい笑顔で。
『……シエナ、シエナ。あなたは、ここにいるんですね』
「え? ……ええ」
『よかった……私は、怖い夢を見ていたんですね』
そう微笑むルイスは、右手を伸ばす。なんとなく手持ちぶさたに胸元に当てていたシエナの左手に、そっとルイスの右手が重なった。
驚くシエナに構わず、ルイスはシエナの手をきゅっと握った。手袋越しでもよく分かる、温かくて、大きくて、優しい手のひら。
「ゆ、夢?」
『はい……とても、怖い夢を。……でも、大丈夫です。あなたがいてくれるなら、私はそれだけで……』
「え? あの、ちょっと――」
『シエナ、行かないで。私の側にいて。シエナ、私の――』
そこまで囁いた後、はっとルイスが息を呑む。それまでは眠そうに半眼状態だったエメラルドの目がぱっかりと開いた後、ぐうっ、と低いうめき声を上げて両腕で顔を覆う。
激痛を堪えるかのように歯を噛みしめるルイスを見ていると、「偽」だからと塩対応に努めていた心が痛む。たまらず、シエナはルイスの肩を揺さぶって声を上げた。
「えっ!? ちょっと、大丈夫!?」
『う、うっ……痛……』
「どこか痛いの? 顔? 頭?」
『シエナ……私は……』
あわあわと声を掛けるしかできないシエナに、うめき声の狭間でシエナの名を呼ぶルイス。
――ふと、ルイスの動きが止まる。顔を覆っていた腕が取り除かれ、ぽかんとした表情でシエナを見上げていた。
だが、呆然としているのはルイスだけではない。彼の澄んだ双眸には、同じくぽかんと口を開くシエナの顔がくっきり映り込んでいたのだ。
「……」
『……』
「……あの?」
『……ああ、こんばんは。シエナですね』
とたん、ルイスはがばっと身を起こして、胡散臭いほど爽やかに挨拶してきた。
つい先ほどまで呻いていたのが嘘のような変わり身である。
(……今の、何?)
シエナは彼の肩を掴んだままだった手をゆっくり下ろし、そっと呼びかけた。
「……あの、偽ルイス?」
『っ……あはは、そうですか。あなたは私のことを、そんな風に呼んでいたのですね。なんという失礼な子なのでしょうか!』
「わあ、通常運転……」
『何か? 私はいつでも通常運転ですが?』
「でもさっき、寝ぼけて――」
『ふふ、何のことでしょうかね』
いっそすがすがしいほどとぼけられた。先ほどの出来事は、本人も認めたくない事故だったのだろう。
(寝ぼけている状態の方が、やけに素直だった気がするけど――)
それを口にしたら、目の前でにこにこ微笑んでいる男は静かに怒りそうなので胸の奥に封じておく。
そうして、別のことを尋ねた。
「……まあ、それはそれでいいんだけど。今回はいったい何の用? 私、怪我をしているルイスの様子を早く確認したいんだけど」
『怪我? ……ああ、そんなこともありましたっけ』
「え?」
『あ、気にしないでください。それより……私は別に、用事があってあなたをここに呼んだわけじゃありませんよ』
「は?」
先ほどの発言も気にはなるが、より大きな問題はこちらだ。
シエナはにこにこ笑うルイスに詰め寄り、三白眼で睨み上げる。
「用事があるんじゃなかったの? だってあなた、私を見て会いたかったみたいなことを言ってたじゃない」
『そりゃあ、会いたいと思っていた相手に偶然にでも会えたらそう言うでしょう。私はあなたに会えたなら、思い浮かぶままの呪いの言葉を吐きたいと思っていたんです。そこにぽっかりとあなたが現れたのだから、ええ、思いの丈を吐露させてもらいましたよ?』
あのろくでもない暴言は、「思いの丈を吐露」したと言ってもいいのだろうか。
(それじゃあ、偽ルイスが私をここに呼んだわけじゃないってこと?)
「……私たちが夢の中で出会ったのも、偶然ってわけ?」
『まあ、そういうことにしておきましょう』
「……それじゃあ、この空間は一体何? 今までとは様子が違うみたいだし、だいたいなんであなたはここで寝ていたの?」
シエナは、辺りでふわふわ揺れる花たちを手で示して問う。何度見ても、どの花も可愛らしい。シエナのために用意された花なのでは、と思うくらい趣味もばっちりなのだ。
(とはいえ、この偽ルイスがそんな風流なことをしてくれるとは思えないけど)
シエナのことが嫌いなら、シエナの苦手なカエルやムカデなどをてんこ盛りにして出迎えそうなものである。
偽ルイスは目を瞬かせた後、「ああ」と呟いて辺りの花を見やる。
『きれいでしょう? ここにいると、落ち着くのですよ』
「うん……まあ、きれいだとは思う。色も、可愛い感じだし」
『……。……そう言っていただけたなら、何よりです』
緩く笑ったルイスは立ち上がり、ぽんぽんとズボンを手で叩いてからシエナを見下ろしてきた。




