12 襲撃戦の、あとで
一刻くらいして、ルイスは馬車に戻ってきた。
「連中は縛り上げて木にくくりつけておきました。騎士団での仕事中ならば連行したのですが、今はそうもいきません。次に立ち寄った町の警吏に報告をしておきましょう」
そう報告するルイスは、相変わらず血まみれである。
血液自体は乾いているのだが、彼のさらさらのライトブラウンの髪も黒い血の跡で固まっている。上着とマントの血液も黒い染みのように乾いていた。
「ありがとう、ルイス。……その、あなたに怪我はない?」
「特には。これも全て返り血で――あの、シエナ様?」
「何?」
「その両手は、何でしょうか?」
ルイスに問われたシエナは、きょとんとして自分の両手を見る。
ルイスの方へと差し出している、自分の手を。
「何って……着替えの手伝い」
「…………それは、大丈夫です。シエナ様の手が汚れてしまいます」
「私、そこまで箱入りじゃないから。今までの遠征でも血まみれの服を洗ったことがあるし、何なら同僚の上半身裸くらい見慣れているから」
「そういう問題ではありません」
「そういう問題なの。ほら、さっきの間に水を汲んできたから、背中や頭も拭いてあげるよ」
「いや、ですからそれは私が自分で――」
「これくらいでいいから、私にも仕事をさせて。……はい、そこに座って。はい、ばんざーい!」
なおも渋るルイス。シエナは強引だとは思いつつも彼の袖を引いてその場に座らせ、血まみれの上着を剥ぎ取った。ルイスは不満そうだが、その動きにいつものキレはない。
(当たり前だ。一人で盗賊を相手にして、その始末も全部任せてしまったんだから)
脱がせた上着はところどころ切り裂かれている。つまりは、服に飛び散る血液全てが敵のものではなかったということ。さすがの彼も、無傷とはいかなかったのだろう。
目を逸らす彼からシャツまで剥ぎ取ると案の定、脇腹に真新しい切り傷が見つかってシエナは嘆息する。上着とシャツもこの位置が切り裂かれていたので、多分そうだろうとは思っていたのだが。
「怪我しているわね」
「これくらい、舐めていれば治ります」
「さすがに自分の脇腹は舐められないでしょ? ……はい、止血するからちょっと大人しくしていてね」
傷に気づかれたことですねてしまったルイスの頭をぽんぽんと撫で、シエナは水で傷口を洗った。まずは泥などを拭い取ってから、新しいタオルを彼の傷口に当てる。そうして力を入れて押さえながら、微量の魔力を流し込んだ。
シエナの守護属性は、氷。
タオル越しに氷の魔法で患部を冷やし、出血を止めることができる。
加減を間違えると逆効果になるので、細胞が壊死しないよう丁寧に患部を冷やしていく。
「……手慣れていますね」
そっぽを向いたままのルイスが呟くので、シエナは苦笑した。
「まあ、ね。六属性の中でも氷魔法は手当てや救護にも適したものだから、こういう訓練も受けてきたのよ。だから、止血や軽い火傷程度なら私に任せてね」
「……かしこまりました」
ルイスも、氷魔術の効能は認めざるを得ないのだろう。渋々ながら了承してくれた。
ひとまず止血ができたら、体を拭く手伝いをする。ルイスは「自分でできます!」と主張するが、彼は浅くではあるが脇腹を負傷している。自分で服を脱ぎ着したり体を拭こうとすれば、せっかく冷やして出血を止めた傷口が広がってしまうかもしれないのだ。
そういうわけで、ルイスが自力では拭けない背中や髪などだけシエナが拭くことになった。体の前面や脚をシエナが拭くことは、さすがにルイスの矜持が許さなかったようだ。シエナとしても、さすがにそこまでするのはあんまりだと思ったので、ルイスに任せることにした。
(それにしても、やっぱりルイスもがっしりしているのね)
濡らしたタオルで彼の背中を拭きつつ、シエナはしみじみと思った。
騎士としては小柄な方で、胸板もそこまで厚くない。さらに着痩せするのか、他の騎士たちに交じると華奢でスマートな印象があった。ガチガチ筋肉の騎士たちならば、城でもしばしば見かけたことがあるので、どうしても彼らと比べてしまう。
ルイスの上半身は、ガチガチ筋肉騎士に比べると華奢ではあるが、しっかり筋肉が付いている。肩幅は広く、思いの外首も太い。いつも立て襟の上着を着ているので、分からなかった。
彼は、やや小柄で細身ではあるが騎士。その体は、剣を振るって戦うために鍛え上げられたもの。
あちこちに肉が付いている自分とは全く違う体だ。
日光を浴びるときらきら輝く髪も、今は血でべっとりだ。髪の房を丁寧に濡れタオルで拭っていると、やおらルイスがシエナを呼んだ。
「……シエナ様は、お優しいですね」
「……ん? そう?」
「私はあなたの護衛です。本来なら、このようにあなたの手を煩わせることなんてあってはなりません。負傷したとしても、自力で対処するべきなのです」
「……まあ、人によってはそうかもしれないけれど、魔術師団では負傷者を助けるのは当たり前だからね。さっきの止血方法も、今まで何度もやってきたし」
止血方法に慣れているのも男性の上半身裸を見ても動揺しないのも、今まで同じようなことをやってきたからだ。箱入りの令嬢とは違う。
「それに、ルイスは私を守るために戦ってくれたんだから。対人で魔術を使えない私の代わりに戦ったルイスのために、せめて私もこうやって傷の手当てや体を拭く手伝いくらいはしないといけないもの」
「あなたの体に傷がないなら、私はそれだけで十分です」
「うん、でもそういう結果になったのも、ルイスのおかげじゃない。私一人なら――さっきみたいに馬を脅したり壁を作ったりはできても、攻撃することはできない。だから、ルイスがいなかったら――こんな言い方もあれだけど、逃げたり私を見捨てたりしたなら、私はあの場で嬲り殺されていたでしょうからね」
「私はそんなことしません!」
突然声を大にして、ルイスは振り返った。
ついびくっとしてしまい、ちょうど髪を拭いている最中だったので、数本抜いてしまった気がする。
「私はあなたを守ると約束しました! 騎士の誓いは何があろうと反故にすることは――いっ!」
「ああ、もう! 体を捻ったら痛いんだってば!」
急に体を捻ったものだから、せっかく止血したばかりの脇腹の傷が裂け、じわじわと血がにじみ出てきた。
「体を動かさない! ……はい、じっとしていて」
「す、すみません」
再び止血をするが、今度は自分に非があると分かっているからかルイスは始終大人しくしてくれた。
夜になる前には、目的の宿場町に到着できた。
ひとまず町の警吏に盗賊襲撃の件を伝え、宿を確保できたのはいいものの。
夜になってから、ルイスは体調を崩してしまった。
「熱があるわね……やっぱり脇腹の傷が原因なのかしら」
ベッドに寝るルイスの額に触れたシエナは、うーんと唸る。
「意識があるなら、医者を呼ぶほどじゃないね。一晩寝て、また様子を見ればいいかな」
「……すみません、本当に」
ベッドに横になるルイスが顔だけをシエナの方に向け、眉を垂らしてうめいた。
熱があるといっても、額に触れたらほんの少し熱い程度。傷はもちろんだが、昼間にほぼ一人で戦闘して盗賊を縛り上げるなどの始末もしたのだから、疲労もあいまっているのだろう。
「いいのよ。予定通りに宿場町には着いたのだから、ルイスは一日ゆっくり休んでね。……もし体がしんどいなら、看病するけど」
「そ、そこまでシエナ様にしていただくわけには!」
「わ、分かったから、病人は寝る!」
そのままベッドから起きあがりそうな勢いだったので、とんっと胸を押してベッドに逆戻りさせる。ほんの軽い力だったのだが、ルイスの体はあっさりシーツに沈み込んだ。やはり、かなり疲れているのだ。
「それじゃあ、私は隣の部屋で休むからね。何かあったら、遠慮なく呼んで」
「……分かりました」
「いいのいいの。……今日はありがとう。お疲れ様、ルイス」
ルイスの瞼に掛かっていた前髪を払ってやって、なるべく優しい声でねぎらいの言葉を掛ける。
ルイスは最初、驚いたように目を見開いていた。何か言いたげに唇が開閉したが声になって発されることはなく、すぐに瞼が降りて安らかな寝息を立て始めた。安堵したため、体の力が一気に抜けたのだろう。
毛布を顎の下まで引き上げてやってから、シエナはルイスの部屋を出た。
(疲れているのも当然だよね。ずっと頼りっぱなしになっていたんだし)
心身健康な若い青年騎士といえど、年中無休で働ける超人ではない。それにルイスは体力だけでなく、いつもシエナのことを気遣っており精神的にも疲労していたはずだ。
(……私はルイスに護衛を頼んでいるのだから、実質的に彼の主人。ちゃんとルイスの体調管理もしておかないといけない)
任務は、あと半月ほど。
それまでの間、ルイスが今回のように寝込むことがないよう、シエナも注意を払っていかなければならないと考えたのだった。




