11 襲撃戦
流血注意
シエナとルイスの旅は、順調に進んでいった。
予定通りに町を出発し、あちこちの土地で魔力測定を行う。地点事の計測結果をメモし、地図にチェックを入れる。宿が取れたら宿に泊まり、野営は極力避けて行動する。
このまま順調に調査を進められたら――と願ったのだが、そうもいかないものである。
「シエナ様、報告です」
次の町へと馬車を進めていた昼下がり。
川辺で休憩を取っていたシエナは、ルイスの固い声に顔を上げる。
「何かあった?」
「はい。まだ遠くではありますが、私たちを取り囲む影が七騎ほど」
ルイスの報告に、魔力測定器のメンテナンスを行っていたシエナは修理道具片手に眉根を寄せた。
「……それは、盗賊の類? 騎士や商隊とかではなくて」
「明らかに私たちを包囲せんとする陣形を取っていますからね。休憩中で逃げ場のない私たちを取り囲むつもりなのでしょう」
「話は通じるのかしら」
「どうでしょうか……一網打尽にするつもりなら、さっさと矢でも射てくるはずですからね。話す気はあるのではないでしょうか。しかし、戦闘にもつれ込む可能性が十分にあることをご覚悟ください」
「……分かった」
いざこざの間に破壊されてはならないからと、シエナは魔力測定器などの貴重な品を馬車に詰め込む。馬は離れた場所に避難させ、もし乱戦状態になっても巻き込むことのないようにしておいた。
そうしてる間に、果たしてルイスの言ったとおりシエナたちは怪しげな風体の七人に取り囲まれてしまった。まずは相手を見るためと、シエナはルイスの背中に隠れる。
「男一人と――そっちは女か。まあいい」
明らかにならず者の出で立ちをした男が馬上で呟き、シエナとその前で剣を構えるルイスを一瞥した。
「ろくなものは持ってなさそうだが、有り金全部置いていけ」
「断ります。あなた方に譲るものは何一つ持っておりません」
ルイスは丁寧な口調で突っぱねた。
周りの盗賊たちは舌打ちしたり罵声を吐いたりするが、リーダー風の男が片手を挙げると、皆静まりかえる。
「その剣――おまえ、王国騎士団か? となると、そっちの女は貴族の令嬢か何かか」
「おや、そこまで察しが付くのでしたらお引き取りください」
「金が出せねぇなら、女を置いていけ」
「はっ。そんなこと、私が許すとでも?」
爽やかに挑発するルイス。そんな彼がちらっと視線を寄越してきたので、シエナは頷く。
「掃討する」――ルイスの双眸は、そう語っていた。
シエナは俯き、ゆっくりとその場に膝を折った。傍目からすれば、盗賊に囲まれて怯えているかのように見えるように。
シエナの意図を察したルイスはシエナが準備する時間を稼ぐべく、滑らかに言葉を紡ぐ。
「そもそも、二人に対して七人は卑怯ではないでしょうか? 私はともかく、こちらの女性は見ての通り可憐な淑女ですよ」
「俺たちはおまえみたいな高潔な騎士様じゃねぇんだよ。卑怯も糞もありゃしねぇ」
「戦いにハンデが出るのは仕方ないということですね」
ルイスの声は、どこまでも落ち着いている。その穏やかさが、盗賊たちの警戒心を煽ったのだろう。
鋼の鈍い音がする。全員抜刀したようだ。
ふうっとルイスが息をつき、剣の柄に手を掛けた。
「それならば仕方ありませんね――シエナ様、お願いします」
「任せて!」
言うが早い、シエナはそれまで地面に当てていた手のひらに一気に魔力を流し込んだ。
ルイスが時間を稼いでいる間に地中にシエナの魔力を広げていたため、一瞬のうちに魔力が浸透し、身の丈ほどある氷の柱が地面から突き出てくる。
巨大な槍のごとく地中から現れた氷柱に、周囲から悲鳴が上がった。
「うわっ!?」
「ま、魔術師か!?」
盗賊たちはあわてふためくが、シエナの目的は彼らへ攻撃することではない。
盗賊以上に、氷の柱の出現に動揺するものがあるのだ。
とたん、盗賊が乗っていた馬たちが鋭い悲鳴を上げる。何もなかった目の前に氷の柱が現れたのだから、平静を保つことができないのだ。
シエナとて、馬を傷つけるのは良心が痛む。馬を攻撃するのが一番手っ取り早いと分かっていても、動物を害するのはずっと避けていた。
だから、馬を脅して敵の混乱、敵の落馬を狙う。案の定、盗賊たちのうち数名は落馬して地面に投げ出され、他の者も大混乱の中でかろうじて下馬するしかない。
「魔術師だ! その女を殺せ!」
「シエナ様、お下がりください!」
ルイスが静かに言い、真っ先に切り込んできた盗賊の刃を剣で受け止めた。
ギッ、と鈍い音が響き、二者の間で小さな火花が散る。
白刃戦にもつれ込んだならば、シエナは魔術で敵を攻撃することはできない。シエナが魔術師であると分かった時の驚きようから、彼らは魔術師ではない。となると、シエナはルイスの援護に回ることしかできないのだから。
「ルイス、背後を固めるよ!」
シエナは叫び、自分たちの背中を守るように巨大な氷の壁を作り出した。ルイスの背中を狙おうとしていた盗賊が氷の壁に顔面衝突したのが、壁越しに透けて見える。
壁といっても材質は氷なので、叩き壊される可能性もある。だが、シエナが魔力を流し続ければ壁は随時修復できるし、ルイスは前方の敵のみに集中できる。
ルイスは盗賊たちよりも小柄であったが、騎士剣で敵の刃を受け止め、脇に受け流しながら懐に切り込んでいく。シエナは彼の背中を見ている形なのでその表情は読み取れないが、その背中がシエナに全幅の信頼を置いてくれているのが伝わってきた。
ルイスの剣が唸り、迫り来る盗賊を左下から斜め上に、一文字に切り捨てた。
鮮血が飛び、絶叫が空を震わせる。
宙を飛ぶ赤い軌跡を、シエナは唇を噛みしめて見上げていた。
悲鳴を上げることは許されない。
魔術師が戦えない代わりに、騎士が敵を斬るのだ。
それを、守られる立場である自分が目を逸らしてどうする。
「……! ルイス、右に避けて!」
辺りに視線を走らせていたシエナはとっさに叫び、ルイスが指示を受けて身を捻らせる。
ルイスの左側。右利きである彼の隙を衝くように飛びかかってきた盗賊はシエナが作り出した氷の壁に衝突し、氷面にビシビシッと亀裂が立った。相当な力でぶつかってきたのだろう、顔面から突っ込んできた盗賊が鼻血を出してその場に伏せ、すかさずルイスがその背中を斬りつけた。
「っ……! 魔術師てめぇ、よくも魔術を――!」
「黙りなさい」
シエナを罵倒しようとしていた盗賊はしかし、恨みの言葉を途中から絶叫へと変えていく。
盗賊の腹部を剣で貫いたルイスは、ゲホゲホ咳き込む盗賊の肩に足をかけ、蹴飛ばした。弾みで剣が抜け、腹部から血があふれ出す。
「戦いに卑怯も糞もないというのは、あなたたちの台詞でしょう。七人で私たちを襲撃しようとしたあなたたちを、私たちが返り討ちにした――それだけの話。彼女が魔術師であることは関係ない――そうでしょう?」
地面に伏せってうめく盗賊のこめかみを、ルイスのブーツのつま先が蹴り飛ばす。それっきり気絶した盗賊を一瞥し、ルイスはいまだにかろうじて立っていた残りの二人の盗賊に視線を向けた。
「さて……どうしますか? 残りは二人だけのようですが、まだまだ戦うつもりで?」
「てっ、てめぇら……!」
「ふざけやがって!」
二人は一丁前に威嚇してくるが、どう見ても戦える状態ではない。脚はガクガク震えているし、手に持った剣は今にも取り落としてしまいそうなくらいだ。
じゃり、とルイスのつま先が石を踏みにじる。それだけで盗賊たちはヒッと息を呑み、その場にへなへなと座り込んでしまった。
「おや、降伏していただけるのですか。それは僥倖」
「て、てめぇ……なんで、笑っていやがる……」
「何のことでしょうかね?」
相変わらずルイスはシエナに背中を見せているので、彼が笑っていたということに今気づいた。
ひょっとして彼は先ほど五人を倒した時にも、絶えず笑みを浮かべていたのかもしれない。彼が近づいただけで腰を抜かした盗賊たちも、その笑顔に気圧されたということか。
「やれやれ、手の掛かることですね。――シエナ様、すみませんが馬車からロープを持ってきてくれませんか」
「え、ええ」
それまでずっと地面に座り込んでいたシエナは急ぎ立ち上がり、氷の壁で隠していた馬車の方へと回った。
奥に避難させていた馬は悲鳴や血の臭いでおどおどしているが、大人しく待ってくれていた。ルイスが選んだという馬は、戦慣れしているようで助かった。
ルイスの指示通りシエナはロープを取り出し、彼の元へと戻る。辺りにはルイスによって切り捨てられた盗賊たちが転がっており、あちこちからうめき声が上がっている。
どす黒い血液が地面に吸い込まれていく様に思わず息を止めていると、振り返ったルイスが眉を垂らしてシエナを見つめてきた。
――彼の上着やマントは血にまみれており、なめらかな頬にも赤い飛沫が掛かっていた。
「ありがとうございます。……後始末は私がしますので、シエナ様は馬車でお休みください」
「で、でもこれだけの人数をルイス一人では――」
「慣れております。それに、血の臭いのする場所にあなたを長居させたくありません。離れたところで、お待ちください」
ルイスは一歩も引かなかった。
それは彼の使命でもあり、シエナへの気遣いでもある。
それに、一応手伝いは申し出ようとしたがシエナは人を縛ることも大の男を引きずることもできない。いても邪魔になるだけ、ルイスの心配の種を増やすだけだろう。
シエナはゆっくり頷き、ルイスにロープを渡した。
「……分かった。それじゃあ、馬車で待っているね。後は、お願いします」
「はい。ごゆっくりお休みください」
ルイスはロープを受け取り、笑った。ひたり――と、その前髪から血の滴が垂れた。髪だけではない。右手に持った剣にも血が滴り、先端からぱたぱたと滴った血液が足下の草地を黒く染めている。
(……私には、何もできない)
シエナは俯き、ルイスの仕事の邪魔をしないよう急いで馬車へ戻った。
氷の壁で隔離していたので、この辺まで来ると血の臭いもかなり薄れてくる。それに、戦闘中はルイスと氷の壁がシエナを守っていたので、シエナが血潮を被ることもなかった。
ルイスが被った血は、本来ならばシエナも受けていたかもしれないもの。
上着を脱いだシエナは、低く鼻を鳴らせる馬をぼんやりと眺め、ルイスが戻ってくるのを待っていた。




