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10 偽ルイスの謎

『……エナ。シエナ』


 微睡みの彼方から、名前を呼ばれる。


 シエナは、ゆっくりと瞼を開いた。そこに広がるのは、薄暗い草原――のような世界。

 漆黒の空には星も月も浮かんでいないが、それでも夜の草原はぼんやりと明るい。


 部屋着姿で体を起こしたシエナは、少し離れたところに立っていたルイスとばっちりと視線を合わせてしまった。ラフな寝間着姿の自分と違い、ルイスはしっかりと軍服を着込んでいる。青系統の上着とマント、黒のスラックス。ライトブラウンの髪は艶やかで、手袋ときらりと輝く歯の白さが闇の中でも際立って見える。


「……ルイス」

『やあ、こんばんは。今日も可愛らしいですね』


 底抜けなほど爽やかな笑みと共にそう言われ、シエナは鼻の頭に皺を寄せた。


 ここにいるのは現実のルイスではなく、夢の中で遭遇する偽ルイスだ。今回で、彼と出会うのも三度目である。その笑顔はルイスと同じはずなのにどことなく胡散臭く、王子様モード全開の笑みのままでさらりと暴言を吐いてくる得体の知れない人。


 昨日の夜に遭遇した際、「大っ嫌い」と言い放たれたばかりなので、世辞を言われても「あら、ありがとう」なんて返せるはずもない。

 シエナはつんと顔を逸らした。


「……何かご用で?」

『おや、つれない態度ですね。私とあなたの仲だというのに』

「そんな仲になった覚えはないんだけど」


 今日一日はいろいろあったものの、せっかくルイスとの理解を深められたというのに。この偽ルイスに会うと、穏やかに膨らんだ心もとたんに萎えてしまう。

 ルイスはそんなシエナを見てくすくすと笑う。容姿や笑い方、話し方などは、現実のルイスと全く同じであるのがまた厄介だ。


『ああ、そういう強気なあなたも素敵ですよ』

「あなた、私のことを大嫌いって言ったじゃないの」

『ええ、ええ。私は嘘をつきません。あなたのことは相変わらず嫌いですよ?』


 もしかしたら気が変わったのかも――と一縷の望みを抱いて問うたのだが、あっけなく一蹴された。しかも相変わらずの笑顔で言うものだから、たちが悪い。

 げんなりとした顔のシエナに構わず、偽ルイスは歌うように言葉を紡ぐ。


『嘘つき。無鉄砲。分からず屋。――私があなたのことを嫌いな点を挙げれば、いくらでもあります』

「……念のために聞くけど、現実のルイスとあなたは別物なのよね?」


 夢に出てくる相手に聞いても仕方ないと思いつつも、シエナは問うてみる。


 現実の、優しくて上品、思いやりに溢れたルイス。

 夢で出会う、慇懃無礼で腹の内が読めないルイス。


(まさか、あの紳士的なルイスの本音がこれだなんて――言わないよね?)


 だとしたら、明日から彼の顔をまともに見られない。昨夜はあんなに親切にしてくれたというのに、内心ではシエナを馬鹿にしていたなんて思いたくもない。さすがに人間不信になってしまいそうだ。

 ルイスはシエナの不安な声を聞いたためか、ひょいっと片眉をはね上げて神妙な顔になる。


『……そうですね。ちょっと説明は難しいんですけれど、どちらかといえば別物です』

「……嫌な言い方ね」

『完全に別人だとは言い切れないんですよ。あれは私であり、私はあれでもあるんですからね』


「あれ」というのが、現実のルイスを指しているのだろう。

 彼の言うことが真実ならば、現実のルイスと目の前にいるルイスは微妙な差はあれど、同一人物のはず。だというのに、彼は現実のルイスを「モノ」であるかのようにぞんざいに呼ぶのが気になる。


「……ルイスがあなたみたいな腹黒だなんて、思いたくないんだけど」

『あはは、ご安心なさい。私はあれよりもちょっとばかり捻くれていますからね。いやはや、私にも可愛い時代があったというものです』

「わけ分からない」

『今は分からなくて構いません。理解は求めていません。私は、こうして夜ごとにあなたに会えるだけで十分なのですからね』


 すいっと、ルイスが距離を詰めてくる。足下は草地なのに、あまり感触がない。ルイスがシエナに接近してきた時も、草を踏みしめる音などはしなかった。


 二歩ほど前方に、ルイスがいる。

 現実のルイスと同じ端整な顔を緩めて、彼はシエナに微笑みかける。


『愚かで、分からず屋で、裏切り者のシエナ。大っ嫌いなシエナ』

「……」

『あなたを見ているだけで、胸の奥が苦しくなる。あなたのことが嫌いで、憎くて、恨めしくて――いっそのこと、今ここで首でも絞めてしまえば、こんな思いはしなくて済むのではないかと思ってしまいます』

「なっ……!?」


 唇を引き結んで黙っていたシエナも、今の発言にはぎょっと身をすくませた。反射的に、自分の両手を喉元へと宛う。

 ルイスは怯えるシエナを上から下まで見た後、ゆっくりと右手を持ち上げた。白手袋の嵌る手が迫ってきて、シエナは身を強ばらせて彼から距離を取る。


「……こ、来ないで!」

『……ああ、怯える姿も可愛らしい。あなたは本当に、いろいろな表情かおを私に見せてくれる』


 薄く笑うルイスの手は、シエナの首――ではなく髪に触れ、そっとくしけずった。彼の指先が頭皮に触れる感触が、はっきり伝わってくる。

 どく、どく――と心臓がせわしなく脈打つ。偽ルイスが触れているのは肌ではなく髪なのに、彼にまでこの脈動が伝わってしまうのではないかと不安になってしまう。


『こんなに辛い思いをするくらいなら、ここであなたの命を奪い、永遠に目覚めさせない方がいいのでは? この穏やかな夜の世界で、永遠に時を過ごせたら? ……そんなことさえ思ってしまいます。……ああ、そんな恨めしい顔をしていますけれど、これも全てあなたが悪いのですよ?』

「な、んで――?」

『あなたはいけない子です。悪い子だから、私はあなたを憎らしく思う。もっともっと、ひどい言葉を吐きたくなるんですよ』


 きゅっ、と彼の指先がシエナの髪をきつく摘む。引っ張られたわけではないので痛みなどはない。

 シエナはその場に凍り付けられたかのように動けず、ルイスの酷薄な笑みから視線を逸らすことができなかった。


『……ねえ、覚えていてくださいね、シエナ。あれが何と言おうと、私はあなたのことを何よりも憎んでいるのだと。私をこんな気持ちにさせたのは、あなたのせい、あなたが悪い子だからなのだと』

「……私、は――」

『さあ、もうすぐ朝です。また、美しくて残酷な一日が始まりますよ』


 ルイスの言葉を受けたかのように、シエナたちを見下ろす夜空が徐々に明るんでくる。地平線の彼方から淡い光が漏れ、濃紺から青、水色、白へと空が色を変えてゆく。


『……忘れないで、シエナ』


 視界がぼやけ、髪に触れていたはずのルイスの存在も薄れていく。


『憎くて、可愛らしくて、誰よりも残酷な――私だけの、シエナ』












「おはようございます、シエナさ――えっと、体調が優れないのですか?」


 朝一番に、特訓を終えたルイスに心配されてしまった。

 今日、シエナはいつもより少しだけ寝坊してしまった。慌てて身支度を調えて食堂に降りると、他の客の姿はなくなっていたが、かろうじて朝食サービスの時間に間に合ったのは不幸中の幸いだった。


 そうしてのろのろと食事をしていると、特訓を終えたルイスがやってきたのだ。

 体を動かした後で水を浴びてきたのか、ライトブラウンの髪は少しだけ湿っている。いつもはさらさらと風に靡かせている髪が水分を吸ってしっとりぺったりとしており、普段よりも少しだけ雰囲気が幼く見えるようだ。


 問題なのは、ルイスではない。シエナである。


「……ううん、ちょっと寝坊しちゃって」

「やはり、昨日の疲れが出たのかもしれませんね。無理だけはなさらないでください」


 ルイスに心配されてしまったが、寝坊の原因はもちろん昨日の仕事ではない。


(……今日の夢は、いろんな意味でひどかった)


 向かいの席に座ったルイスが優雅に朝食を食べる光景を見つつ、シエナはぼんやりとジュースをすする。


 夢の中で現れるルイス――暫定、偽ルイス。

「大嫌い」ならばそれでいいのに、あろうことか彼は「可愛い」などもさらっと言ってのけたのがシエナを混乱させている。


(可愛いと思っている相手を、大嫌いとか憎いとか、普通言う!?)


 偽ルイスの言いたいことが分からない。彼と遭遇するのももう三度目なので、もうあれがただの夢ではないことは分かっているのだが。


 魔術師の中には、予知夢に近い才能を持つ者も出てくるという。「なんとなく意味ありそう」な夢を見る者はそこそこいる。同僚のチェルシーが、「なんとなくそうなりそう」とよく口にするのも、彼女に未来予知めいた能力があるからだろうと言われている。魔術師の生態は全てが明かされているわけではないのだ。


 だとすれば、あの偽ルイスの夢は一体何を表しているのだろうか。

 可愛いと言われ、大嫌いと言われ、憎いと言われ、首を絞められかける。


(……絶対本人には言えない!)


 ルイスならば真面目に話を聞いてくれるだろうが、真面目だからこそ彼を困惑させるだけだろう。「私は今日の夢で、あなたに可愛いけど憎いから首を絞めたいと囁かれました」なんて言われたら誰だって困惑するし、相手の正気を疑うだろう。


(偽ルイスが言うには、一応二人は別物らしいし)


 優雅な仕草でパンにバターを塗るルイスが、内心ではシエナの首を絞めたいと思っていた――なんて思いたくもない。そもそも、彼はシエナを信頼はしてくれていても「可愛い」なんて思うことはないだろうから、二人のルイスはやはり別人であると認識していいのだろう。


(といっても、全くの無関係じゃないみたいだしなぁ)


 城に戻ったら、魔術師団の図書室で夢に関する書物を借りて調べるべきだろう。











 朝食を終えたら、今後の予定確認だ。

 食堂の朝食時間が終わったので、給仕が淹れてくれた茶を飲みつつ昨日の確認から行う。


「昨日の一件から、シエナ様が魔術師であることは周知の事実となりましたからね。今後は、市民に扮しての調査は不可能でしょう」


 ルイスの言葉にシエナは頷く。


「まずは町長に報告しないとね。昨日の事件はあらかた伝わっただろうけれど、他の露店商に関する調査結果はまだ私の手元にある。それを伝えたら、後は細々した用事を片づけるだけね。この町も明後日には出発するから、買い出しとかにも行かないといけないし」


 シエナの任務は、約一月。ベックフォード地方の数カ所を期間内に回らないといけないので、各町や宿泊施設への滞在を事前予定より延ばすわけにはいかない。


(偽ルイスは置いておいて、現実のルイスは私を信頼してくれている)


 ならば、彼の信頼に応えられる自分でありたい。

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