1 魔術師シエナ
――どうして、約束を破ったのですか?
どうして、私を頼ってくれなかったのですか?
どうして、一人で戦ってしまったのですか?
憎い、憎い。
あなたのことが嫌い。
自分勝手で、お人好しで、嘘つきなあなたが嫌い。
大嫌い。
だから、もしあなたにもう一度会えたなら、何度だって言ってやります。
あなたのことが嫌い。
大嫌い――ってね。
蒸し暑い夏を乗り越えたロデリック王国王都は、爽やかな秋の風に包まれていた。さわやかな風が吹き抜け、家屋の窓辺にぶら下げられたインテリアが揺れる。一見すれば普通のベルであるが、実はこれは魔力が込められた特製品である。夜になると自動的にベルの内部に光りが灯り、ランタン代わりになる。ロデリック王国で一般的に普及している、魔力を込めて作られた照明器具である。
魔術大国として名高いロデリック王国のあらゆる場所には、この照明器具のような魔術の産物――魔具がちりばめられている。照明器具だけではない。掃除用具や料理器具、保温効果のあるコートや暖房器具。外敵から身を守る護身魔具だって存在する。
魔力は、この世界に生きる者であれば誰しもが身に宿している。だが、その魔力が魔術師になれるほどの数値を叩き出せる者はそう多くない。ほとんどの人間は、「魔力が一応ある」程度で魔術師になることはできないものなのだ。
だから、どの国でも魔術師は重宝される。魔力数値が高く、さらにその力を適切にコントロールできる者は国立の学校への進学推薦を受け、身分にかかわらず奨学金で魔術師としての訓練を受ける権利――否、義務があった。そうして教育課程を修了し、王国魔術師団の承認を得た者が晴れて「魔術師」の称号を受けられる。ロデリック王国は近隣諸国と比べて、魔術師の称号を得た者の割合が高めである。
このロデリック王国魔術師団に所属する魔術師は――引退する者と学校を卒業して新規加入する者がいるので年度によって多少の人数差は出るが、平均すると百人程度である。便利な魔道の産物――魔具の生産だけでなく、医療や国内外への遠征など、仕事量はとにかく多い。人数が少ないので永年人員不足状態だが、魔術師が一人いればあらゆる作業がスムーズになる。
そういうわけで、魔術師は国民たちから畏怖されると同時に、重宝されている。
尊敬の対象となる魔術師は、驕ることなく国民のために奉仕することを教えられる。自分たちは偶然、魔術師としての才能を持って産まれただけ。その力を誇示したり無力な者を虐げたりしてはならぬ。その心得を王立学校時代に叩き込まれるのだ。
そんな清廉潔白な魔術師たちだが、先ほども述べたように永年人手不足。
加えてその仕事内容は、ハードなものが多かった。
「ベックフォード地方の例年調査? へぇ……これはまたシビアな内容ね」
書類を読み上げた女性が呟き、デスクに置いていた焼き菓子を摘む。
「しかも魔術師単身かぁ……大丈夫なの?」
「単身での遠征は前にも行ったことがあるし、野宿だって平気よ」
そう答えるのは、女性の向かいの席に座る者。
毛先がくるんと撥ねた豊かな髪は、赤みがかった茶髪。ほんの少し吊り気味の目は青色で、本日の秋晴れの空のように澄んだ色をしていた。
「それに、師団から馬車も借りられるし、旅費だってきちんと出る。あと――その紙の下の方に書いているけれど、今回は騎士団から護衛を選出してくださるそうだから。ベックフォード地方の調査は毎年行われているけれど、ちょっと厄介なところみたいで、毎年護衛騎士の同行を許可されているのよ」
「あ、本当だ」
該当箇所を指でたどった女性は、向かいの席の同僚を心配そうに見上げた。
「でもさぁ……騎士団ってことは多分、男でしょ?」
「まあ、あっちは男所帯だからね」
「ああ……また心配事が増えるわぁ……その男、シエナに手を出すかもしれないわよぉ?」
「そんなことないって」
赤茶髪の女性――シエナは同僚の危惧に苦笑する。
「業務中の心得や注意事項は毎度契約書に書かれているし、承諾のサインをするんでしょう? それに、あちらだってお仕事なんだから、私に手を出す暇なんてないよ」
「分かんないわよぉ? カタブツで真面目な騎士様も、一緒に行動するうちに職務を越えた思いを抱いてしまって……きゃっ! 素敵!」
「……小説の読み過ぎ」
わざとらしく悲鳴を上げた友人に苦笑し、魔術師シエナは紙を受け取って改めて文面を読む。
シエナに課されたのは、ロデリック王国西部ベックフォード地方の調査。詳しい調査内容や路程も挙げられている。ベックフォード地方ではここ十数年ほど、毎年定期調査を行うようになっていた。各地で魔力測定を行い、過剰な反応が出ないかを確認するものだ。
調査には、魔術師団の備品である魔力測定器を使用する。魔力測定装置が異常な数値を叩き出す場合――それは、近くに情緒不安定な魔術師がいるか、最近その近辺で派手な魔術が作動されたかのいずれかだ。
情緒不安定な魔術師は、国立学校での教育を受けていない者である可能性が高い。自身の魔力と付き合うための教育を受けていないまま大人になれば、魔力の暴発を起こしてしまう。そういった者を早期発見して王都に連れて行くのも仕事の一つだ。うまくいけば、大人になってからも教育を受けて精神を安定させることだってできる。
また、魔術師としての教育を受けながらも、「はずれ者」として邪道に走る者もいる。魔術師の魔力は膨大だ。シエナは氷の魔術を得意としているが、本気になれば一般人の十数人くらい、一瞬で氷の刃によって串刺しにできる。もちろん、そんなことはしないが。
だから、魔術師たちは自分たちと同じ魔術師を律さなければならない。利便性と危険性は、いつだって魔術師たちにとって隣り合わせなのだから。
「それじゃ、シエナの護衛になる騎士様が誰なのかは、また後日連絡があるのね?」
「うん……といっても遠征出発が七日後だからね。明日には連絡があるそうよ」
「ほうほう。ちなみにシエナの方からご指名はしないの?」
魔術師の護衛として騎士の同伴が推奨されることはたびたびあるが、いくら仕事とはいえ性格の不一致や意見の相違だって起こりうる。魔術師にも騎士にもそれぞれ個性があるのだから、双方ある程度の希望は調査されることになっていた。
たとえば、中には男性恐怖症の女性魔術師もいるのでそういった場合は「女性騎士限定」となる。条件は厳しいが、男性騎士だと仕事も進まなくなるからだ。必ずしも希望が通るとは限らないが、希望を書くのは自由である。
「特には。健康的で真面目な方であれば私は十分だもの」
「健康で真面目って……そりゃあ、指定も何もしていないようなものじゃない!」
確かに、健康でない騎士や真面目でない騎士がいるとは思えない。
「いいのよ、ちゃんと仕事が遂行できれば」
「そーう? あたしとしては、素敵な美男子が護衛に選ばれて、真面目で一生懸命なシエナと運命の恋に落ちたー! ってのを期待してるんだけど」
「……運命の恋なんて、そんじょそこらには転がってないと思うけど」
「いーじゃん! 夢を見るのは自由でしょ!」
「……チェルシーは楽しそうだね」
一人できゃっきゃとはしゃぐ同僚チェルシーは、自分よりも他人の恋に敏感だ。彼女とは国立学校時代からの知り合いでもう十年近い付き合いになるが、子どもの頃からこんな感じなのでシエナもすっかり慣れている。というか、ある程度のスルー力を身につけている。
(それにしても、素敵な美男子、ねぇ)
ペンを指先でくるくる回しつつ、シエナは苦笑いする。そうして視線を動かし、壁に掛かった鏡を見やった。
そこに映るのは、平凡な顔の女。肩胛骨を擽る長さの赤茶色の髪に、青色の目。基本的にデスクワークなので肌は白いが、隣できゃっきゃと笑うチェルシーに比べるとずっと地味な十八歳。
もし、もしもチェルシーが語るような「素敵な美男子」が現れたとしても、シエナとしては遠くから観察するのみ。期待に胸を膨らませているチェルシーには水を差すようで悪いが、シエナに限ってはそんなこと起こりそうにない。
(そんなこと、物語の中だけだよね、きっと)
一人はしゃぐチェルシーを一瞥した後、シエナは作業――不良品魔具の修理――を再開するべく、デスクに向かった。