第3話「静寂世界とパルミラの宴」5
毎週水曜日お昼頃更新です。(遅れることもあります)
「あちちっ!」
またまた、無意識に耳たぶへと、ポットを持ったせいで急速に体温が上がった右手が行く。
「ほらよ」
「うむ、いただこうかの」
「熱いからふーふーしろよ?」
「分かっておる」
あてがった木のカップに注いだミルクを、「ふーふー」パルミラは息で冷ましながら上手に飲む。だが、脂肪分の膜が口元に張り付いた姿は子供そのものだ。
その間にも俺はバターロールパンを切り分け皿に盛る。そこに暖炉から取り出した親父の秘蔵の一品をナイフで真っ二つにした後、丁寧に削り取り皿に投入。削る度にとろり、硬い外皮に守られていた水飴みたいな光沢がある液体は、生き物みたくうねりながらパンへと降り注ぐ。溶けたチーズは互いのお腹がなるのに相応しい、芳醇な薫りと酸味を醸し出していた。
「旨そうだぞ」
お屋敷の食事に比べたら大したものじゃないのだが、メイド様は目が釘付け、瞳がランランに輝いている。
「お前に言われるなんて光栄だな」
素人だから上手くは出来ないが、そこが素朴で良いのではないだろうか。などと自己採点は中々良い。
秘伝の自家製ヤギのチーズだから、お屋敷の大雑把な味付けとはまた違った、きめ細かやかな塩加減と酸味が特徴だ。
ミルクとお茶請けにパンとチーズ、我ながら無敵の組み合わせだと言いたい。
親父が魂注いで一から仕込んだこだわりの一品だ。知ったら後で気が動転しそうだが、ライトルガード家、先代メイド総長にお出ししたと、一言伝えれば丸く収まるだろう。親父の男泣きが目に浮かぶようだ。
「ううむ、これに見合った対価を我輩は持っていない。うーん、そうだ、街で散策等どうであろうか?」
「魅力的だが、それはまた今度。例の事を頼みたいのだが?」
勿体ぶりながらも、何を言いたいのか分かっていたので、レディに恥をかかせないように、やんわり話をすり替えた。
「ふん、分かって言ったのだ。毎回毎回難儀じゃの」
自分の主張が通らなかったのが不服なのだろうか、眉を吊り上げ頬を膨らませる。唇を尖らせるあたり巾着袋を彷彿させた。
「だが、どうしたのだ。昨日書いたばかりだぞ?」
「水浴びをしたら流れてしまったんだよ」
「なんと、それは災難だったのだ」
俺からの返事を返す代わりに、チーズをたっぷり巻き付けたパンを相応の対価分として「あふあふ」口へと押し込む。手掴みなんてお世辞にも上品とは言い難いが、メイドではない素のパルミラには似合っていた。
ただ、小振りな唇がリップを塗ったように照り返しているのはいただけないので、俺の綺麗だか汚いだか形容しづらいネズミ色の手拭きで口回りを丹念にぬぐってやった。
「すまんのう」
「世話のかかる妹だ」
「誰が妹なのだ。我輩の方がお姉さんなのだぞ」
「はいはい」
「ほれ、それよりさっさっと脱ぐのだ。それとも我輩のメイド技を披露して欲しいのかのう、坊や」
お返しのつもりか二重を細め、悪戯っぽくほくそ笑む。
本人はくつろぎながらも俺を急かす。寒いから気を使ってくれているのだろうか。だが、女に服を脱がせてもらうのは本当に勘弁だ。
なので色褪せている麻の古着を素早く脱ぐ。現役のメイドがうるさいので、ちゃんとたたむ事を忘れない。
別に自慢出来る程鍛えていないので、流石に遥か年上だろうが女子に晒すのは毎回抵抗がある。
「頼むわ」
「うむ、任せるがいい」
俺は直に床へ座り、椅子をまるで所有化しているパルミラに背を向けた。位置的には相手の方が高いからブランコ状態のおみ足がかする。
このロリっ娘とはとある事情で協力関係にある。
慕ってくれているが、別段、ドラマでよくある、過去に助けたとか、恩義がある訳じゃない。どちらかというと契約関係の方がしっくり来る。最も信頼でき、裏切る事は絶対にないパートナーだ。
なのでもちろん、俺が何者で、持っている異能もつぶさに熟知していた。でなかったら、背中を無防備に預けたりはしない。
「おお、見事に真っ白だぞ。余程強くこすらない限り普通では落ちない筈だが?」
「魔力が切れたんだろ。何せ魔神の眷属とガチでタイマン勝負を繰り広げたからな」
「何を戯けた事を。ともかく直ぐに気付いて良かったのだぞ」
パルミラは俺の背中を叩く。「いた!」二人だけの狭い世界に軽快なサウンドが響いた。音に比べてダメージは無かったが、昔からスキンシップが過激だ。
「これがないと色々と面倒だからな」
「廃棄冒険者とはよく言ったものなのだ」
「ネーミングセンスが皆無なあいつの割にはまとも部類だ」
実はさる事情があって、俺の能力で背中にあるものを書かないといけなかった。詳しい説明は追々するとして、早く刻んで欲しい。夜が寒気との別れを惜しんで引き留めているのか、普段から乾布摩擦していない普通男子なので身震いが止まらない。
「でも、こんなバグがバレたらナガテの命が危ないから必要悪とも言える」
大袈裟ではない、本当の事だ。稀な特殊体質の為、非常に苦労していた。
特に伯爵家にも管理責任としておとがめがいくので、秘中の秘にする必要性があった。
「内容は我輩に任せて貰って良いのだな?」
「ああ、任せる」
俺は手を上げ、握っている太くて長い物……、要はマジックペンを渡す。発明家グレンシールが作った優れものだ。性能的には前の世界のと代わり映えしないが、こちらのは魔法的成分が内包しているのでマジックペンと言う。
パルミラは俺の背に描く。
近くの鏡に映っている姿は、まるでキャンバスに落書きしている子供のようだ。鼻歌の音程は外し気味だが、踏み台の軋む音が聴き心地が良かった。また、妖精が俺を違う世界へといざなう。
「大好きだぞ、我輩のご主人様」
薄れ行く意識の中、首筋に温かくも柔らかい何かが当たった気がした。
◇◆◇◆
俺がこの世界に産声をあげて16年と6月。温もりがあの時の陽気に酷似しているのか、まだ何者でもなかった頃に記憶が巻き戻る。
「ナガテ、これをあげるわ」
陽光が降り注ぐ裏庭一面に咲く野花。名前までは知らないが、光景と香りは今でも頭に染み付いている。
「花冠?」
「従者の儀式」
そんなものは無いと後で知った。
幼稚なお遊びだった。だが、異世界人ではなくナガテとして、心に今でも残っている大切な出来事。
「ずるい、ナガテにぃにわたしもあげる!」
「駄目だ、ナガテはオレの舎弟だぜ!」
妹と幼馴染みは不満顔。
「僕は一生、アルシャンを守るよ」
ナガテに出来の良くない不格好な冠を乗せて、「当然よ」フランス人形の様な出で立ちの少女は、この年頃特有の天真爛漫の笑みを見せてくれた。
◇◆◇◆
「むにゃむにゃ」
屋根裏の寝所には来訪者が静かに寝息を立てている。敷き布団代わりの藁がまだ新しいので青臭かった。
叩き起こすのは酷というものだ。
勢いが無くなった薪に再び活力を与え、俺は相棒のヨージェフを枕に三度目の就寝。床で痛いが犬の体温が心地よい眠りを誘った。
残念ながら、今度は何も見なかった。
朝起きたら我が愛犬が俺の顔面にフォールを決めており、「うー、うー!」もう少しでスリーカウント、いるかどうか怪しい神の元へ強制送還になるところだった。
力ずくで巨体を剥ぎ取ると、我が目を疑う。
隣には不思議な事に、「すーすー」夜遊び好きな不良メイドが、抱き枕の如く俺にくっついているのだ。
そして、不幸とはコンボで続くもの。
「……ゲス」
第一発見者はお嬢だった。パルミラを探しにきたのだ。
扉は音を立てず、静かに定位置へ戻った。