ネクロフィリア
我は今、自宅の地下室にいる。
室内は明るく、清潔だ。
そして、我は目の前の”芸術品”に近寄った。
死体はゴチャゴチャと物を言わない。
なのに、2度と動かすことのない肉体からは、素晴らしいほどの魅力を感じる。
この感覚は日本の盆栽と似ている。
黙して語ることのない植物。
だが、変化はある。
生き物だからだ。
日々成長しているのだ。
人間には認識しにくいであろう時間感覚で。
盆栽とは、動かずとも絶えず変化していく、小さな小さな箱庭の中の自然芸術を愛でていくことに素晴らしさを感じるのである。
死体もまたこれと同じ。
時が経つにつれ、徐々に死んでいく細胞達。
それに伴い爛れ堕ちる肉。
肉体という限られた世界の中で発生する必然的な腐敗現象。
たまらなく性欲が刺激される。
男も女も関係なく。
今、我の目の前に置かれた1つの死体。
20代前半の若い女性である。
白人碧眼金髪の麗しい容姿。
犯したい。
ただただその女性の穴を犯したい。
だが、我慢しよう。
我の崇高な”使命”を遂げるために。
我は女性の前にビデオカメラを設置した。
画質が最も良く、長期使用にも耐えうるもの。
このカメラを使い、女性を1年間、ただひたすら撮り続けるのである。
腐敗の瞬間を肉眼で確認出来ることは、この世の真理の1つを見ることと同義である。
死体は死体でしかない。
が、死体は1年間という長い時を通じて、我の使命を遂げる芸術品へと昇華される。
ああ、楽しみだ。
自身の高ぶりを抑えきれない。
性交にも成功にも勝るこの高揚感。
我の下腹部が唸っていく。
我の誇りと戦っている。
歪みと歓喜の坩堝の中で、我は地下室を後にした。
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1年後、我はパソコンの前にいた。
ビデオカメラによる記録の容量は膨大である。
画質が良いため、容量を食うのだ。
しかも、24時間体制で死体を撮り続けたため、sdカードの量が半端ではなかった。
が、我の使命感の前では、こんなもの朝飯前である。
1週間寝ずに我は編集を続けた。
死体の変化を人間の忙しない感覚でも理解出来るよう、早送りしてお送りする小劇場である。
果たして、我の前には1つの芸術品の軌跡が収められたブルーレイディスクが1枚置かれている。
ああ……待ち望んでいた瞬間だ。
世の大衆へ、死体芸術の素晴らしさを訴えるための第1歩なのである。
我はブルーレイディスクをパソコンへ挿入した。
ソフトが自動で立ち上がり、再生が始まる。
そして……画面に少女の死体が映し出された。
少女は全裸である。
無垢な、産まれた時の姿。
血色が抜け、赤色だった2つの胸の先端は薄く変色していた。
爪も色素が抜け、その女性の元々持つ美しさが表面に表出したかのようだった。
……守ってあげたい。
死体の全身に神秘性を感じるから。
何者も触れてはいけないような……そんな感じがして。
盆栽は人の手で育むが、逆に死体は放置のままで良い。
むしろ、いかにして死体に触れたい気持ちを抑えるかにかかっている。
死体との接触を我慢することによる昂ぶり……エクスタシー。
そこに我と死体への見えない繋がりが生まれ、神聖が誕生する。
するとどうだろう。
死体がなんとも魅力的に見えるのだ。
この感覚を他の人間とも共有するべきである。
その使命が我を突き動かす。
だから画面を凝視した。
少女の1日がわずか十数秒で過ぎ去っていく。
そして、遂に明確な変化が起こった。
あらかじめ開いておいた眼球が埋没してゆく。
ガラス体がゲル状へと変質し、透明なタールのような粘液が涙のように伝い落ちる。
陥没した眼球の周囲には血液が混じり、我の目には新鮮なトマトのように見えた。
整った顔が、取り返しのつかない形に変容してゆく。
次いで口。
歯が1本1本丁寧に腐り落ちる。
歯列の美しさはもう永久に元には戻らないだろう。
舌の水分が完全に抜けきり、縮小しきったナメクジのような姿へと変貌する。
ナントモ魅惑的だ。
無性にキスしたくなってくるから困り者だ。
全身がミイラ化していくので、やせ細ってゆく。
豊満な胸の脂肪は凝固されることなく内容物が分散し、まるで老婆のソレに近い形状へと失墜した。
これは死蝋化などという面白みのない化学変化ではない。
常に時に対して従順な自然の流れとも表現すべき、自立する傑作なのだ!
さらに、筋線維と脂肪とで構成された皮下脂肪が、命のもがきとも取れるようなダンスを披露してゆく。
内臓部分が皮下組織から浮き出しているのだ。
肉体がデコボコの形状に変化し、余分な脂肪が減少していた。
そして、遂に彼女の肛門から✖✖✖✖が吐き出され、✖✖✖が✖✖✖として流れ出た。
男の精液のような粘液が✖✖✖からチロリと顔を出し、糞便と一緒くたになって✖✖となる。
完全な尿ではなかった為か、かなり生々しい。
美なる腐敗。
腐敗は決して醜くはない。
美しい肉体の進化だ。
微生物によってミクロの世界で解体されてゆくその女性は、人間の真の姿を獲得していた。
顔も、胸も手足も全てが以前の見た目から想像も出来ないほど……綺麗だ。
対して我の姿は、こんなにも醜悪である。
人間としての機能性は芸術と相反する。
物質界に適した肉体は、常に変化こそすれど、退屈な道具でしかない。
観賞用には耐えられない代物であろう。
人間の体は突き詰めれば、酸素、水素、炭素、窒素、リン、硫黄の集合体でしかない。
そんな人間の体を動かすものはいつだって”魂”である。
魂は動くと熱をもたらす。
極端に言えば、エントロピーである。
熱は決して純粋な世界の現象ではない。
この宇宙の大半は冷気で満たされている。
冷たいことが世界にとっての常なのだ。
人間の熱が冷め、こうした腐敗現象が発生することは、自然に還ってゆくことと同義である。
この世に神がいるとすれば、それは熱そのものである。
熱が”命”を作り出しているのだから。
ああ!
なんと醜悪な神か!!
この自然に対して抵抗しようと、戦っているのだ。
冷たさと戦っているのだ。
映像の終盤、女性は物質として報われた瞬間を迎えた。
一方の我は自然にイッてしまった。
こうして、1人の女性は1つの芸術品として昇華された。
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動画投稿サイトに、我の芸術をアップした。
映像は全世界に拡散されていった。
これを人々は拒否した。
一部のオカルト信仰を妄信している輩にはごく少数受け入れられたが……
殆どが非難の声を我に浴びせた。
我は、受け入れてほしかった。
芸術とは、こういうものなのだと。
なのに、誰からも拒否された。
異常者の烙印を押された。
何故?
我はこれを何の邪な感情もなく美しいものだと感じた。
それを人々に美しいものだと強要したつもりはない。
だが、情報が拡散した瞬間、どこの誰からも誹謗中傷を我に浴びせかける。
この世には法と呼ばれるものがあるからだ。
適切な死体処理……つまり、埋葬や火葬などの処理を施さなければ、死体遺棄と同様と見なされる。
結果、我の行っていることは法律違反だとのことだった。
人間の尊厳=死体の尊厳とのことらしい。
であるならば、我の行っていることは死体を乏しめることではなく尊重することなのだから、正しいのでは?
だが……世の中はそう思ってはくれなかった。
どうやら我は異常な思考を有しているらしい。
そうだったのか……
しかし、我がこの使命を純粋に正しいことと思っている以上、引くことはしまい。
あちらにはあちらの”正しさ”があり、こちらにはこちらの”正しさ”がある。
それこそお互いを尊重するべきだろう。
なのに、奴らは我の全てを否定した。
……何故だ?
人間の尊重が大事なのであろう?
であるならば、我の思考も1つの人間の思考として尊重されるべきでは?
……結果から言うと、我は投獄されることとなった。
地元警察に連行され、メディアにさらされ、好機の目で見られ、そして今檻の中にいる。
悔しかった。
こんな場所で変化もなく過ごしてゆくことが。
この中には芸術と呼ばれるものが一切存在しない。
犯罪者は表向き社会復帰という名の隔離の中、労働に明け暮れる。
そこにいる警備の者も、犯罪者の者も発展性すら見られない。
全てが停滞している。
地獄だった。
だから、我がこうして檻の中で首を吊ろうとすることも必然であろう。
我はこの地獄の中で、芸術品へと昇華して見せる。
夢に見た死体となるのだ。
決してネガティヴな感情で自殺するわけではない。
自身の未来を輝かしいものとする為、今ここで死ぬのだ。
自らの身をもって証明して見せよう。
我だけが正しいのではなく、”我も正しい”のだと。
むしろ、ネクロフィリアという者の存在の考え方はこの冷たい世界に実に即していると。
我がこんなに世の大衆達から否定されるのは、死の世界をただ単純に知らないか、宗教のような幻想を抱いているからであろう?
我にとって人間の死体は物質でしかない。
対して世の大衆は、やはり人間の死体=人間なのであろう。
認識の平行線。
相容れるはずもない。
だからこそ、どちらも”正しいこと”であり、”間違っている”ことなのだ。
法律など、所詮は多数決の正しさの象徴でしかない。
そんな世界に、価値は……感じない。
であるならば、我は喜んで自身の意志を貫き死体となろう。
ふむ……自殺とは、良いものだ。
新しい旅立ちである。
自殺は終焉でもあり、出発の儀式なのだ。
そして、肉体の昇華でもある。
エクセレント!
素晴らしすぎる!!
……では諸君、さようなら!
願わくば、もう2度と諸君らと出会わないよう、心の底から祈っている。