フレンド
彼が横たわっていた。
俺は彼の傍で彼を労わっていた。
今までの苦労を。
努力を。
歩みを。
「お前がいなければ、ここまで来ることは出来なかったよ」
「それは俺もさ。ありがとう」
雪が舞う。
積雪は膝ほど。
休む場所はない。
凍え死にそうな気温に、荒れる風。
世界は真っ白に輝いている。
ホワイトスモークの中で、俺達は静かな時間を過ごしていた。
「思えば、お前とはバカばっかりやってたな」
「小学校の卒業式の時には一緒に校長先生と自撮りとかしてみんなを笑わせたり」
「ああ、そんなことやってたな」
「中学校はステロイド使って筋肉だるまの体育教師に腕相撲挑んだけど、返り討ちにされてさ……すんげぇ泣いたよな」
「なけなしの金を叩いてステロイド手に入れたもんな」
「高校では教師がそんなバカやるんだったら登山でもして来いってオススメして、悔しいから実際にやってみたらこれがまた楽しくってな」
ああ……思い出が巡っていく。
楽しかった思い出、悔しかった思い出。
今なら全て思い出せる。
駆け巡っていく。
世界の有様を。
克明に。
必死に。
俺達は思い出に生きている。
「しっかし、ここまでお前と人生を共有するとは思ってもみなかったな」
「他の連中はすぐに縁が切れたんだけどな」
「なんつーか……お前とは縁が切れないで良かったよ。ほっとしてる」
「照れくさいこと言うな、バカ。俺まで照れるわ」
「友情、だな」
「ああ」
良い表情だった。
良い心地だ。
最後の瞬間はどんな風に終わるだろうと思ってた。
今は分かる。
こんな気持ちでこの世を見渡すことの出来る幸福を。
そうだ……幸福なんだ。
彼と一緒にいれて。
俺は確かに、幸せだ。
「お前とは高校卒業してから色々な山を登ったけど、どの山でもお前と喧嘩してたな」
「登山ルートを選んでる時にお前が俺とは別のルートがいいって必ず行ってたっけ」
「しまいには別々で行こうって言ってたっけか」
「結局お前が傍にいなきゃしっくりこなかったから一緒に行ったけどな」
「一人だとな……なんか違うんだよな」
「一人で見る景色のなんと味気ないことだっつってな」
「だから……今見ることの出来る風景は、きっと綺麗さ」
「きっとな」
その言葉に呼応したのか。
ホワイトスモークが突如晴れだした。
やっと。
やっと景色が拝める。
「ああ……ここまで来れて、良かった」
横たわっている俺の友達が呟いた。
俺もその言葉に頷いた。
そこからは全てが見渡せた。
エレベストの山頂。
全てが光で弾けていた。
真っ赤な太陽が輝いていた。
他には誰もいない。
静かだ。
けど、心は騒めいていた。
命が明滅していた。
俺達のゴールが、ここにあった。
「これが、世界一の山か。やっと、拝めたな」
「俺達の目標、達成したな」
「目標の次、考えてなかったな」
「そうだったな……」
「じゃあ、どうする? 次はどこへ行く?」
今、感動してたところなのに、もう次のこと考えるとか、お前はやっぱりお前らしいよ。
「……どこにしような?」
「山はもう飽きたな。次は……深海とか、空がいいんじゃないのか?」
「どっちも難しいな」
「なに、お前なら大丈夫だ。絶対行けるよ。俺が保証する」
「お前の保証なんかあてになるのか?」
「はっ、言ってろ。本当に、お前は絶対行けるんだからな」
……予感がした。
もうすぐなのだと。
彼の手を握る。
ピクリとも動かない。
凍傷だった。
手を切断しなければならないほどの。
彼は分かってる。
だから次のことを考えているのだ。
必死だ。
必死なんだ……!!
「なぁ……どうして俺だけなんだ。俺だけどうして生きるんだ」
「そりゃ……どうしてだろうな? 俺だって……行きたかったのに。生きたかったのに……」
「なんで……なんで……」
「おいおい、お前が泣いてどうするんだよ。俺だって泣きたいんだよ。どうして……」
涙が出た。
心からあふれ出たものだった。
呆れるくらい涙が出てくる。
止まらない。
止まってくれない。
クソ……
クソクソクソ!!!
俺は……ここで友達を、親友を見送らなくちゃいけない。
それがとても悲しくて。
切なくて。
どうしようもないんだ!!!!
「ちくしょう!!! どうして俺達はここから先離れ離れなんだ!! 答えろよ神様!!!」
「……でも、満足してるぜ、俺は。ここで、人生が終わってもいいってくらい」
「けど……けど!!!」
俺は……やりきれないよ!
辛すぎる!
「お前、そこまで俺を……」
「当たり前じゃないか! 人生の半分以上お前と一緒に過ごしてきたんだぞ!!」
「だったら、今、ここで卒業だな」
「お前は……!!!! それでいいのかよ……」
「いい。だって、お前に看取られる。嬉しいじゃないか」
彼の目にうっすらと……涙が……
「本当は、家族がいてくれればベストなんだけどな……こんなバカな俺がここまで来ちまったんだ。それは望めなくても仕方ない。けど、こんなバカに付き合ってくれたバカには……見届けてほしかったんだ」
……何も言えなかった。
彼の言葉の、その大きさに。
そんな……悟ったように言わないでくれ。
「お前は今までバカをやってきた。だから、もっとバカなことが出来るはずさ」
「俺は……お前がいたから……」
「俺がいなくても出来るさ。ずっと、見てる。ずっと、お前のバカを見ながら笑ってる」
ずっと、俺を見ていた。
大丈夫だなって、確かめるように。
だんだん、彼の目が閉じられていく。
時間がなかった。
ああ……これじゃあ、言うしかないじゃないか。
選択肢なんて、最初からなかった。
俺は……
「行くさ。どこまでも。大丈夫。お前は安心して、俺を見てろよ」
「……ああ。友達、だもんな」
俺を見ながら、俺の一生の友達はそう言った。
そして……目を閉じた。
俺はずっと手を握っていた。
握って、彼を見ていた。
もう、彼は目を開けなかった。
開けてくれなかった。
でも。
彼が俺を見ているような気がした。
すぐそばで、あいつが……
「ずっと……見ていてくれ」
俺はそう覚悟して。
彼とお別れをした。
またいつか、再開の約束をして。




