ホームレス
俺は職を失った。
リストラだった。
人件費削減であった。
そんな単純な解雇理由を隠すこともなく、上司から報告を受けた。
絶望することはなかった。
希望を見出すこともなかった。
今の俺には、何もない。
何もないのだ。
「なんじゃ、若いの。そんな辛気臭い顔をしおって」
「……」
昼の公園のベンチで安酒片手にボーっとしていると、隣からじいさんの声がした。
異様な臭気にボロボロの服装、それに日焼けした肌。
姿を見るに、ホームレスのようだ。
俺はこんな奴から声をかけられるような雰囲気を出してたのか……ちくしょう。
「さては……リストラか」
「……なんで分かった」
「リクルートスーツ着て、昼間の公園にいる若い男となれば、営業中のサラリーマンかリストラされたての負け犬のどちらかじゃろ。酒持っとるってことは、後者に決まっとる」
負け犬ってか。
少しムカッと来たぞ。
「お前も負け犬だろーがホームレス」
「ホームレスが負け犬だと思っとるのか?」
「家がない、金もない、人脈もない。ないないだらけの人生を送ってるんだろ?」
「そんなこともないな。もし本当に何もないなら、ゴキブリのように生き抜くことも出来ないしの」
「……友達くらいはいるか」
「仕事もあるし、ホームレスの中には犬を飼ってる奴もいるくらいじゃ」
「ろくに予防接種もしてない野良犬だろ」
「飢え死にさせるよりは人道的じゃろ」
「人道的になれるくらいには余裕があるんだな」
「金はあっても人生に余裕のないお前とは大違いじゃな」
「……」
何故か言い返せなかった。
合っているとは思いたくない。
こんな臭いじじいの言うことなんか、真に受けちゃだめだ。
「人生、何のために生きるか分かるか、若いの」
「そんなの分かんねぇよ」
「そうか、わしも分からんがね」
「分かんねぇのかよ」
「だが、分からんからこそ、そんなに張りつめて生きても仕方ないんじゃないのか?」
「諭すような言い方をするな。人生を楽しみたいから、仕事して、金貯めて生きるんじゃないか。お前みたいなホームレス生活を送りたくないから……」
「そうやって、激務に体を酷使して人生の楽しみを見送っていくんじゃな」
「……人生の楽しみってなんだよ」
「それはひとそれぞれじゃ。その人にしか分からんよ。じゃが、人生に余裕を感じていなければ、それは見えてこないのう」
……激務に追われていると、視野が狭くなるってのは分かる気がする。
余裕がないのだ。
疲れていると体力がなくなる。
休日に遊びたいとも思わなくなる。
金はあるのに。
どうしてだろうな。
いざこうして暇な時間が出来ても、遊ぶ気持ちが沸かないのは。
本当に、どうしてだろうな。
「……幸せってのは、さっきも言った通り人それぞれじゃ。金持ちが幸せの奴がいれば、わしのようにこうしてホームレス生活を送ることが幸せという奴もいる。孤独に生きることに意味を見出す奴がいれば、大勢に囲まれて注目を浴びることに意味を見出す奴もいる。千差万別じゃ。じゃから、金を持っている=幸せというわけでもない。そんなことは、とっくにみんな理解しておるはずなのに。どうしてみんなは無理して金を稼ぎたいと思うか知っとるか?」
「そりゃあ……安全に生きたいからだろ。リスクを背負うのが怖いんだ」
ケガをしたことのない奴は、大人になってからケガをすることに対して異常に恐怖を感じるように。
怒られなかった奴が、大人になって怒られないよう恐怖心から最善を尽くそうとするように。
誰だって安定した道を進みたい。
くだらないことで不幸になりたくないのだ。
「じゃが、リスクを負うのが幸せの等価交換じゃ。幸せの切符を買いたいならば、まずそれに見合った行動を起こさなければの」
「無難な生き方を選択するから、俺はこうしてここにいるってか」
「それはただの不幸じゃ。無難な生き方をして、無難に死ぬ奴もおる。ただ、そういう奴は大概満足に死ねなかった奴じゃろうがのう」
「だけど、リスクを背負って玉砕したらそれこそ不幸だ」
「その不幸も糧とすればよい」
「成功する前に心が擦り切れそうな話だな。そんな強い人間がこの世の中に溢れてるんなら、精神科なんてものは存在しないんだよ」
「不幸な奴がいるから、幸運な奴がいると言う話でもあるから、割と不思議ではないの」
「……ゲスだな」
「強い人間とはこういうものじゃよ」
……確かに、一理ある。
世の不条理。
そりゃあ、危険地帯に足を踏み入れなきゃ、幸運はつかみ取れないのは分かる。
だが、それでも足が前に出ない奴もいるだろう。
それを弱い奴と断定して、不幸呼ばわりするのもおかしな話ではない。
が、それでは……
「じゃあ、俺みたいな奴はどうすればいいってんだよ……」
本音だった。
俺ってば、ホームレス相手に何を言ってんだか。
同じ社会的弱者にこんなこと言っても、何にも解決策に繋がるはずもないのにな。
なのに。
ホームレスのじじいは、革新に満ちた笑顔で俺の目を真っ直ぐ見つめた。
それは、俺の心を深く観察するような。
そんな目だった。
「若いの。お前はこの世界が危険な要素で飽和していることに気が付いておるか?」
「危険なもの?」
「そうじゃ。例えばの……そこの道路じゃ。普通に飛び出したら、どうなる?」
「車に引かれてケガする」
「酷かったら死ぬじゃろ?」
「ああ……」
「死ぬ可能性がある場所が目の前にあるなんて、危険じゃのう。では、あそこにある鉄棒なんてどうじゃ?あれは使い方によっては危険じゃないかの?」
「……首から落ちれば、骨折して死ぬかもな」
「そうじゃ。では、あそこのブランコも同じじゃないかの」
「そんなこと言ったら、ここにある遊具全てが同じこと言えるぞ」
「それどころの話ではないわい。この世全てのものが、危険なものとなりえるのじゃ」
「……ここに落ちてる石ころでもか」
「頭に全力で投げれば相手は死ぬじゃろ」
「そこの砂場もか」
「口に突っ込めば窒息死するわい」
……詭弁のように聞こえなくもない。
いや、これは全部事実か。
「確かに、そうだろうな。けど、一体何が言いたいんだ?」
「これだけの危険に満ちた世界に人は住んでおる。なのに、人は普段この危険を予測したり意識することはない。忘れておる。何故じゃのう?」
「……いちいちそんな危険なことばかり考えてられないから。多分、そんなことを考えてたら何にも行動を起こせなくなるんじゃないのか」
「正解じゃ。ほら、気が付いたことはないかの」
……ああ、そういうことか。
「普段危険を意識しないスタンスで、行動を起こしていけば幸運に近付くってか?」
「無謀にではないぞ? ちゃんといつも通りにすればいいんじゃ。自然なスタイルで日々のあらゆることに挑戦すればよい。そうすれば、自ずと道は開かれるじゃろう」
「俺達は……安全地帯にいると思い込んでるだけで、本当は危険と隣り合わせってことか」
「そうじゃ。じゃから、突然の交通事故で若者が死んだら、不幸な事故だなんていう認識で悲しむ人間が出てくるんじゃ。本当は、そんな事故は不幸でもなんでもないわい。必然的な確率で発生した必然的な事故なんじゃ」
なるほど……
「どうじゃ、少しは新しい道を踏み出す勇気が湧いてきたか、若いの」
「そうだな……いい話を聞かせてもらったとは言っておくよ」
「お、少しだけじゃが笑ったの。いい傾向じゃ」
明日から……
いや、今日から新しい就職口を見つけてみるか。
今度は、俺の好きな道で。
「さて、貧乏なホームレスがこんないい話を聞かせたんじゃ。何か良い物はもらえんかのう」
「……最初からこれが目的だったのか」
「いくら自分の好きな道でと言っても、金は必要じゃろうがこのバカもん」
「現実は現実、か」
「人生何事も準備は必要じゃからの。金は溜めとくもんじゃ。幸いにもお前には金、あるんじゃろ? 少しぐらい恵んでくれてもいいんじゃないのかね?」
「……あんたも、何か新しい道を目指すのかい?」
俺が苦笑しながら言うと、じじいはニッコリとしてこう言った。
「人はいつだって挑戦をする生き物じゃ。じゃから歳なんて関係ないんじゃぜ」
その言葉に対して、俺もニッコリ笑顔で応えたのだった。




