アクター
私はいくつもの私を持っている。
日常生活だけの私。
家族の前でだけ見せる私。
女優の時だけの私。
大衆に見せる時だけの私。
その他の私。
そう、私達。
全部私なの。
なのに、本当の私は一体どれなのか私にも分からない。
日常生活でプライベートを満喫していても、私は女優でいられる時の私の方が遥かにストレスを感じない。
私らしさを感じるの。
一方女優として演じている時の私は、やっぱり嘘を吐いている。
嘘というか、演技ね。
だからこれも私ではない。
じゃあ、本当の私って誰?
一体どれが私なのかしら?
もし、表面上使い分けているいくつもの私達を全て含めて私自身なら……
でも、そもそも私達を使い分ける必要なんてあるのかしら?
自分一つを貫き通す方が、よっぽどお利巧だと思うのは気のせい?
だって、この世界に生きる人間は私だけじゃないもの。
他にも演技をする人間はたくさんいるわ。
だったら、私以外の役を演じる必要がある時は、それに最適な役の人がすればいいんだわ。
そうやって相互補助し合いながら生きていけば……
自分という役を貫き通せば……もっと素敵な自分になれると思うの。
演技だけの話じゃない。
これは人生のお話。
自分に嘘を吐くよりも。
自分に正直でいた方が、いい人生を送れると思わない?
確かに、自分に嘘を吐いて得することもあると思うわよ。
臨機応変に対応できることも増えるでしょうし。
でもストレス、溜まらない?
鬱憤は溜まってるはずよ。
私だって、今負担がかかってるからこんな自問自答をしているのだし。
でも私は決して嘘を不正だし、悪いことだし、醜いことだなんて思わないわ。
嘘はどうしたって、人間の本質に関わることだもの。
人間にとって必要なものなの。
嘘を一回も吐いたことのない人間なんていやしないわ。
でも、そこから自分らしさを感じられる正直な世界に、葛藤の末踏み込めたなら。
その人は堂々とその道を歩めばいいと思うの。
自分に嘘を吐く苦しさを体験した人なら、道を間違えることはそうそうないと思うし。
人から自分の正直さを批判されたら、無視すればいい。
人を評価する大衆の殆どは自分を確立していないと思えばいいの。
人の個性を尊重した上でなら。
真っ直ぐ、自分らしく生きればいい。
かっこよく。
可愛く。
美しく。
優雅に。
飄々と。
けれど堂々と。
だから。
私だって……
私は私だって、言える日が来るのかもね。




