少年
ついさっきまで自分を喰い殺すために必死に襲いかかってきた青年だったものの欠片を冷たい目で見下ろしながらイトは何も考えずにぼーっとしていた。
おしゃべり者の青年にチョコレートを貰ったあの日から、イトは3年間を地下の秘密基地で過ごした。
秘密基地の居心地はとてもよかった。
マトモな食料を手に入れる方法があるのだから当然のことではあるが、秘密基地にいる人は人間を食べようとしないからだ。
外にいる人間を食べる人間たちはみんな赤く濁った目をしていた。
イトはその赤く濁った目が大嫌いだった。
赤く濁った目をもつ人間はみんな「人間を『食べる』人間」だ。
イトに襲いかかってきた人間もみんな赤く濁った目をしていた。
秘密基地にいる人間はみんな赤く濁った目をした人間から逃げてココにたどり着いたらしい。
秘密基地にいる人間は食人者たちがみんな赤く濁った目をしていることから「レスモ」と呼んでいた。
運がいいことに秘密基地には1日50回まで名前を唱えた食料を出してくれる不思議な箱があった。この箱は人間が食べたり飲んだりするものなら何でも出せるらしく、「開け、○○」と自分が食べたい物の名前を唱えれば何でも出してくれた。
この箱がなければイトたちも人を殺して食べるか飢えて死ぬしかなかっただろう。もっとも、イトだけはなぜか望んだ飲食物が箱に頼まなくても自然と手に入ったので箱が無くても人を食べたり飢えて死ぬことはなかっただろう。
とにかく、イトたちはこの不思議な箱のおかげで3年間生き延びることができた。
だが、不思議な箱による安寧の日々はいつまでも続きはしなかった。
事件はイトが秘密基地の暮らしに慣れ、秘密基地にいる12人に信頼関係が芽生え始めた11月29日におきた。
その日、イトはいつも通り生活必需品の調達のためにレスモが徘徊する街へと出掛けていた。
レスモたちはどうやら餓死することがないらしく、一度人を食べたら最後、その後はゾンビのように不死身になり、ただ空腹を満たすためだけに喰い殺しあっていた。
本当ならイトはレスモがいる外になど出ずに安全な秘密基地でジッとしていたい。しかし、この仕事はイトが一番適任だったのだ。
なぜなら、イトは異常なまでの幸運に恵まれていたからだ。
最初は不安の方が大きかった。襲いかかってくるレスモが毎回都合良く急死するだろうか、と。もし幸運に恵まれずレスモが急死しなかったらイトは間違いなく喰い殺されるだろう。
しかし、イトには不思議な自信があった。それに誰だってレスモがいる外になんか出たくなかった。ただ一人の少年を除いては。
一回目の生活必需品の調達にイトが街に出かけようとしたそのとき、イトと同じくらいの身長の少年がイトを呼び止めた。
「ちょっと待てよ、俺も一緒に行く。」
「でも、外にはレスモがいるから私が行くべきだってみんなで話し合って決めたじゃない。」
「そうだけど、運が良いだけなんだろ。それなら俺もいた方がいいに決まってる。」
「なぜ?」
少年は自分の大して力強くもない腕を指差しながら自信満々に答えた。
「だって、俺は強いから。ビルから飛び降りたお前を助けてやったのも俺なんだぜ。とにかく、お前がなんと言おうと俺はついて行くぜ。よろしくな、えーと…。」
「イトでいいよ。」
「そうか!よろしくな!イト!!あっ、ちなみに俺のことはクロって呼んでくれ。よっしゃ、そんじゃ行くぞ!!」
クロはイトを引っ張るようにして屋根のハッチを開き、外の世界へと飛び出した。
イトはクロが本当に強いのか、あっさりレスモたちに食べられてしまうのではないかと心配ではあったが、一人では心細いのも事実なので二人で街を目指すことにした。