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SFってなんなんだろう?

SFってなんなんだろう? ――科学とSF――

作者: 宮沢弘

連載にしとけばよかったと、とっくに後悔しているこのシリーズですが。「科学」という言葉にたどり着いたので、たぶんこれで終わりです。えーと、たぶん。


SFは、普通にはサイエンス・フィクションということになります。私は思索小説スペキュラティブ・フィクション派ですが。


さて、サイエンスだとすると、「サイエンスとはどういうものを言ってるのか」を少しばかり考える必要があります。


ここで 創元SF短編賞受賞作「ランドスケープと夏の定理 -Sogen SF Short Story Prize Edition-」(高島 雄哉,東京創元社, 2014)を取り上げてみたいと思います。これが都合がいいのです。


この作品には宇宙ステーション(とくに言えばその形かもしれません。ちょっと制御が面倒になりそうな形ではありますが)、ラグランジュ点などのおなじみのものから、特異点――技術的ではない方の――が出てきたりします。ですが、なにより「知性定理」がいいと思います。もちろん著者もそこに力を入れていることは言うまでもありません。


さて、知性定理については本を読んでいただくとして、説明から私が勝手に推測するに、構造主義の考え方の影響があるように思えます。構造主義の、あるいはある種の構造主義においては、位相変換とか、あるいはその言葉で説明される考え方があります。えと、たぶん。で、構造主義とか位相変換という考え方が知性定理の記述に実にピッタリきます。えと、私にはですが。


構造主義については、少しだけ終りの方で書いときます。ここでは、言語とか音声、社会人類学、民族学なんかから来ている考え方とだけ書いておきます。


あれ? でも、言語も音声も社会人類学も民族学も… 普通には文系と考えられる分野ではないでしょうか。実のところ、ここですでにややこしい話もあるのですが、それは置いときます。


なぜ、文系の分野から影響を受けている思われる部分に、私はSFらしさを感じるのでしょうか? 結論を言えば、「私はそこもサイエンスの範囲だ」と考えているからです。


では冒頭の、「サイエンスとはどういうものを言っているのか」という話に戻ります。結局は、そこに出てきている「サイエンス」という言葉は、「サイエンスそのもの」ではなく、「サイエンティフィックな考え方」ということになると思います。


「SFってなんなんだろう?」(副題がないやつ)では、ポドゥを参照し、そこからヒューゴーとキャンベルの言葉を引いていました:

* 時代の科学的、技術的な知識に基づき、未来についての

 エクストラポレーション(外挿)に挑む、そんな、進歩の概念と

 結びついた教育的文学(ヒューゴー・ガーンズバックの言を元に)

* 科学知識をエクストラポレートすることに留まらず、小説の

 筋立てにおける発想においても科学的な手続きを真似たり

 模倣したりする(ジョン・W・キャンベルの言を元に)


ここでのエクストラポレーション、外挿とはどういうことなのかを説明するには、「ランドスケープと夏の定理」がまさにうってつけです。「サイエンスそのもの」ではなく、あるいはそれだけではなく、「サイエンティフィックな考え方」と書いいたのは、まさにエクストラポレーションの例として挙げたかったからです。


「異端の文学」にて、こんなことを書いておきました:

* ガジェット: ガジェットが未来的ならそれはSFなのでしょうか?

 これまた異論はあると思いますが、新元素、天才発明家の発明。

 「もう、そういうのいいいや」と思える時代を私たちは経験しています。


「ランドスケープと夏の定理」にはガジェトも登場しますが、それよりも知性定理のサイエンティフィックな考え方にSFらしさを感じるのです。そして、知性定理は、その設定をしたことでによって、文明の衝突における相互理解に関してかなり強力な基盤となるサイエンティフックなアイディアを提供しています。もう、ここがワクワクドキドキです。だからこそ、「ランドスケープと夏の定理」を読んだ時に思ったのは、「知性定理そのものについて長編で読みたい」という事でした。


  ****


えー、構造主義がどうたらについて。


最近では、「ポスト・ポスト構造主義」というジャンルもあるらしいですが。「構造主義」というのは、まぁ名前がずっと残るように、ブームになったとか影響が大きかったものです。この考え方の起源を誰に置いたらいいのかは悩むところはあります。ただ、まぁ、ローマン・ヤコブソンとクロード・レヴィ=ストロースの出会いは大きな出来事だったとは言えるように思います。


ヤコブソンは言語とか音声とかの研究をしていました。ここが、「起源を誰に置いたらいいのかは悩む」ところなのですが。関連しそうなアイディアは、ソシュールがどうたらこうたらとかありまして。まぁ、それはともかく、そこで使われえいた考え方をレヴィ=ストロースは社会人類学、民族学に応用したということのようです。これが爆発的に受けた。


というのも、構造主義というはえらく強力な考え方です。それだけでなく、扱いに困るくらいと言ってもいいかもしれません。分析的であり、相対的であり。きちんと何かを構造主義的に扱おうとすると、そこには科学的な考え方と共通するものを私は感じるわけです。ここのところを説明したいところなのですが、もう想像しただけで面倒臭い。ですから皆さんに丸投げします。ですが、そのあたりの本を読む過程も楽しいです。もし興味を持った方がいらっしゃったら、その方々には「楽しい」ということは保証します。そんなに深入りしなくても大丈夫です。


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