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陰陽双記譚  作者: 奥義 扇
邂逅は夜の帳の中
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怨嗟の想いを焼き祓え

 四度(よたび)、呻き声が響いてくる。

 今までよりも苦痛にまみれている声に、一層真言の声が高まる。

 緊張からか、さっきまで湧き出ていた唾液がなくなり、口の中がからからになる。

 こんな場所にいたらトラブルに巻き込まれる、逃げ出さないといけないという思いもあるが、どうなっているのだろうという好奇心が勝って、不用意な一歩を踏み出した。

 それが災いした。

 暗い中、前ばかり注視していたため、足元を見ていなかったのだ。

 庭石に足を取られ、無防備に転げると、思い切り声を出してしまった。

 途端、中から聞えていた真言が止まり、代わりに獣のような咆哮が聞えてきた。

 すぐに口に手を当てて黙り込み、しまったと後悔したのも束の間、蔀戸(しとみと)を突き破り、青白く光るものが出てきた。


「な、な、なぁ――!?」


 ここでさらに叫んでしまったのが悪かった。

 声に反応すると、邸外に向かっていた方向を転換、本来の姿を現して晴明(せいめい)に襲いかかってきたのだ。

 長い黒髪と色柄の衣を靡かせ、それが真っ白な顔を際立たせていた。

 頬まで裂けた口からのぞく滑る牙。

 黒目のない白眼には血管が稲妻のように走っており、凄まじい形相で晴明(せいめい)を睨みつける。

 それだけ見ると、怨みをもった悪霊のようだが、こめかみの上に尖った異物が二つある。


「そ、そんな……お、鬼!?」


 思いがけない物の怪の登場に晴明(せいめい)が叫ぶ。


『そなたも、わらわの恨みを晴らす邪魔をする者か!!』

「ち、違いますぅ―!!」


 倒れていた晴明(せいめい)は、涙を流しながら這いずるように邸に向かって逃げだす。

 簀子(すのこ)にあがり、部屋の中に入れば陰陽師が助けてくれる思い、賢明に手足を動かすが、悪鬼の手が晴明(せいめい)直衣(のうし)を掴み、一気に中庭まで引き戻す。

 鬼女の振り上げた手が、晴明(せいめい)の喉元に向かって突き出される。

 両手を顔の前に出し、恐怖で眸を瞑って顔を背け、死を覚悟する晴明(せいめい)


「オン キリキリ バサラ ウン ハッタ!」


 鬼気を切り裂く鋭い声が響くとともに、晴明(せいめい)と鬼の間に障壁が一瞬で出現して、突き出した鬼の手が壁に阻まれる。

 見えない壁に衝突した尖った爪を起点に、波紋が広まったかと思うと、一気に集束、衝撃波が発生して鬼女の躰を弾き飛ばすが、地上に落下する前に空中で制止する。


『憎い、憎いぞ! なぜ、わらわがこのようなひどい仕打ちを受けねばならぬのじゃ!!』


 障壁に打ち付けて傷ついた右腕を庇いながら、晴明(せいめい)から邸に白目を向ける。


「お前が鬼と化そうとしているからに決まっているだろう」


 背後からの声を聞き、晴明(せいめい)は鬼から眸を外し、顔だけを後ろに向ける。

 ちょうど(すだれ)を手で払い除け、黒衣の狩衣(かりぎぬ)を纏った陰陽師が姿を現したところだった。

 まだ幼さが残っており、自分と年齢も変わらない、それでいて眸はそれを感じさせないほど大人びている。

 晴明(せいめい)のよく見知っている、そして不満を抱いている人物が登場したのだ。


「そ、そ、そんな……た、た、た、崇慧(たかとし)!?」

「お前は、安倍……」


 晴明(せいめい)に出会ったことに気まずさがあったのか、崇慧(たかとし)は顔をしかめながら背を向けた。


「な、なぜ、君がこんなところに?」

「それは俺が聞きたい。どうしてこの邸にいる?」

「ぼ、僕が先に聞いたんだよ」

「黙れ、俺の質問に答えろ」


 崇慧(たかとし)の詰問にビクつき、思わず視線をそらす晴明(せいめい)


「まあ、いい。今はお前なんかにかまっている暇はない。邪魔者のせいであいつを浄化できなかったんだ。何かあったら責任を取ってもらうぞ」

「じゃ、邪魔者! 責任!? そ、そんなこと言われても……」


 喋っている最中にも関わらず、崇慧(たかとし)晴明(せいめい)の存在を消し去り、意識を鬼女に向ける。


『なぜ邪魔をする。わらわを捨てた男を怨むのがいけぬと……思い慕うのも許されぬうえに、怨むのもダメだと申すか!!』


 しゃがれた声で恨み言を募り、それと共に額の双角(そうかく)がぎりぎりと伸び始めるが、崇慧(たかとし)はまったく無視して真言を唱える。


「オン キリキリ オン キリキリ オン キリウン キャクウン!」


 呪印と真言の完了と同時に、ずんと(おもり)が圧しかかったように周囲から力が加わり、鬼の動きを止める。


『こ、この力……さっきまでと……違う』

「人として怨むのはかまわない。だが、鬼に変化(へんげ)してまで怨むとなれば話は別。相手を殺して満足しても、完全な鬼になれば殺生を繰り返すだろう。そうなる前にお前を止める」

『戯言を言うなぁ――!』


 不動金縛りの法で動きを封じているにもかかわらず、鬼はゆっくりと腕を伸ばし、目の前にいる晴明(せいめい)を掴もうとする。

 腰の抜けている彼は、ただただ怯えて頬を濡らしているだけで、生きて帰れたら絶対に陰陽師になんてならない、陰陽寮を辞めてやるとはっきりと心に決めていた。


「鬼に堕ちるなんて許されることじゃない。相手の男はお前のそんなところを読み取って去っていったんじゃないのか? 人としての誇りがあるのなら、完全に鬼になる前に浄化されるんだ」

『わらわのせいで、去ったじゃと……?』

「そうだ。他にいい人ができたとかじゃない。お前の疑り深い情念が相手を遠ざけたんだ。他の者と挨拶をするだけで責めたて、罵り、悋気(りんき)するお前に責があった。はっきり言えば、鬱陶しいんだよ」


 女の身辺の者達が思っていても口にしなかった言葉を、怒りを買いそうなことを、崇慧(たかとし)はずばりと言い放つ。

 いままで言われたことのなかった発言に衝撃を受けたのか、怒りが揺らぎ、眉間の皺と怒りで浮いた血管が薄くなっていく。


『……些細なことだとわかっていても、心が痛かった。いつも傍にいてほしいと……一緒にいたいと、わらわはそれだけを願っていた……』


 わずかに緩んだ心の隙を、崇慧(たかとし)は見逃さない。


「鬼の糧となる怨嗟(えんさ)を断ち切れ!」


 崇慧(たかとし)の一喝に、女は伏せた顔を上げて怯え、さらに大きな隙を生み出す。


「あまねく諸仏に帰依し奉る。禍者(まがもの)よ、鬼者(おにもの)よ。穢れし衣を脱ぎ、祓え。常世(とこよ)に退き、罪穢れを浄化の光で清め給え。不覚の心を業火の炎で焼き祓え!」


 崇慧(たかとし)の言葉が終わるとともに呪術が発動し、天空から鬼女の躰を包み込むように光が降り注ぐ。

 上空を見上げる女に苦痛はない。

 代わりに、身に潜んでいた異形の鬼が強制的に引きずり出され、苦悶の顔を(さら)け出す。

 女の躰よりも太い腕でしがみ付き、無理矢理(むりやり)女の体内に戻ろうとあがく鬼だが、それも徒労に終わる。


『―――――――!!』


 女性の躰から鬼が完全に抜け出すと同時に、柔らかかった光が一瞬で炎柱(えんちゅう)に変わり、天を貫く。

 煉獄の炎は崇慧(たかとし)晴明(せいめい)を赤く染め上げ、鬼を消し去ると、女を残して自然に鎮火した。

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