師の優しさと友への想い
崇慧の姿が陰陽寮から見えなくなって三日。
あれほど邪険に思えていた人間がいなくなったというのに、あいかわらず仕事は遅延している。
早くやらなくてはと思う気持ちはあるものの、彼のことが気になって仕事が手につかない状態が続き、自然と溜息を吐き出していた。
あのあと、晴明は普通に家に帰り、床に就いた。
崇慧の役には立たず、怯えていただけの自分だったが、それでも心は疲れ果てていたのだろう、あっさりと眠りにつくことができた。
そして陰陽寮に来てみれば、彼の姿がない。
怪我の具合が芳しくないのだろうということは想像に容易かったが、三日も音沙汰がないとなれば、もしや命にかかわる問題だったのかと、あの時やはり傍にいればよかったのかもしれないと後悔の念に囚われていた。
「……い……明……晴明!」
耳元で数回、大声で自分の名前を呼ばれて我に返る。
「は、はい! す、すいません!」
大声で返事をしながら立ち上がり、お勤めをとどこうらせているのを叱咤されると思い、何度も謝りながら深々と頭を下げ続ける。
「落ち着きなさい、晴明。さあ、顔を上げて」
ゆっくり、じわじわと顔を正面に向けると、苦笑いを浮かべている保憲がそこにいた。
雰囲気と見る限りの表情で、怒っているようには見えない。
それでも、どことなく緊張する。
いったいなにを言われるのだろうと怯えている晴明に、優しい声で語りかけてくる。
「身が入っていないようだけど、どうかしたのかい? なにか悩み事があるのなら、私でよければ相談にのるよ? 差し支えがなければだがね」
保憲の優しさに、涙腺が緩んでいく。
眉根を下げて唇を噛み締め、鼻を啜りながら泣くのを我慢している幼子のような表情に、師は頬を掻く。
「晴明、なにがあったんだい? 私に話してくれるかな?」
「保憲様ぁ~」
胸の中に飛び込んで泣き崩れ、背中を擦る手の温もりがさらに涙を流させた。
嗚咽を漏らしつつ、しだいに落ち着きを取り戻していくと、保憲の胸から顔を離し、大きく深呼吸をして改めて心を静めていく。
「す、すみません、保憲様」
「いや、かまわないよ」
頬に流れた涙を拭きつつ、鼻をすすり上げる。
見上げる師の顔が、心配げに自分を見ている。
この人には、真実を告げなければならない。
黙っていることはいけないことだ。
「保憲様、実は……実は……」
本当のことを言うつもりで口を開いたが、いざとなると続きを紡ぎ出せない。
これは、崇慧に対して裏切り行為になるのかもしれない。
浮かんだ思いに、鼓動が早鐘のように響く。
保憲に話したことで、せっかく話をするようになった彼との間に、修復できないほどの亀裂が生じるかもしれない。
いや、かもしれないではない。確実に元には戻らないだろう。
「晴明?」
声をかけられ、俯いていた顔を上げる。
「い、いえ、やっぱり、なんでもないです……」
「……それほど言いにくいことなのかい?」
「…………」
黙り込む教え子に、やれやれと頭をかきながら鼻から息を吐き出す。
「私も強引に聞き出すようなことはしない。いつか、君が話してくれるのを待つとしよう」
自分を悩ませる性格の悪い崇慧とは正反対の、常に優しい保憲に対し、心苦しさと罪悪感に苛まれ、下瞼に涙が溜まっていく。
ごめんなさい、ごめんなさいと心の中で何度も謝り、いつか必ず話します、と心に誓った。




