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陰陽双記譚  作者: 奥義 扇
胎動は人心の底から
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殺意は悲しき鬼女の嘆き

 崇慧(たかとし)晴明(せいめい)が駆けつけたとき、鬼気は周囲に溢れかえっており、邸の屋根には異形の姿をした鬼が四つん這いになって周囲をうかがっていた。

 夜の暗闇に映える金色の双眸は、目的のものを探していたが、それよりも早く、二人の姿を視界に捕捉した。

 大きな口からのぞく鋭い牙からは、とめどもなく涎が垂れ流され、ぶるぶると威嚇で躰を震わせると、辺りに撒き散らした。


「また鬼女かよ」


 つくづく嫌だとばかりに顔を振る崇慧(たかとし)に対し、晴明(せいめい)は鬼に背を向けてしゃがみこんでいた。


「お前、何をしているんだ?」

「僕には何も見えない。僕には何も聞えない。僕はここにはいないんだぁ~」


 両手で耳をぱたぱたと開いたり閉じたりを繰り返し、崇慧(たかとし)の言葉を聞き取ろうとしない晴明(せいめい)


「馬鹿だろ、お前」

「馬鹿でもかまわない、怖いのはいやなんだよ」

「そんなことをしても、あいつはお前を襲うぞ」

「な、なんで僕を襲うんだよ!」

「ここにいるからに決まっているだろう」

「じゃ、じゃあ逃げる」


 立ち上がって即座に逃げようとする晴明(せいめい)だったが、襟首をしっかりと掴まれ、この場から離れられない。


「なんでだよぉ~」


 すでに流れ始めている涙が、本気で怯え、嫌がっているのを示している。

 それなのに、崇慧(たかとし)は少年の心情を汲み取らず、やる気満々だ。


晴明(はれあき)、怖くて逃げ出したいだろうが、それは却下だ。俺の退魔を見ておくんだ」

「さっき見たからもういいよぉ~」

「大鴉なんて雑魚とは違う、本物の鬼だ。しっかりと見ておけ」

「無理無理無理無理! 見たくない、見たくない、見たくない、見たくないぃ~!」


 少年の叫びに反応し、咆哮をあげる鬼女。

 晴明(せいめい)は開けた口を両手で塞ぎ、ゆっくりと屋根の上を見る。

 どう拒否しようと、鬼は自分達を認識している。

 鬼は妖魔の中でも上位に位置するもの。

 そんなものに襲われれば、自分はひとたまりもない。

 いまここで頼れるのは、目の前に立つ若き陰陽師だ。


「た、崇慧(たかとし)。当然、退治するんだよね?」

「当たり前だ」


 崇慧(たかとし)は振り返り、鬼を睨む。

 前回とは違い、今回は完全に近いくらい鬼に堕ちている。

 理由はわからないが、前のときのように話をして心に揺らぎを生み出し、鬼だけ浄化するのは難しそうだった。

 そうなれば、最初から全力でいくのみ。


晴明(はれあき)、動けるのなら離れた場所にでもいるんだ」


 結局離れた場所に行くんじゃないかと片隅で思いながらも、鬼気迫る声色にびくびくしながら頷き、四つん這いの情けない姿のまま、直衣(のうし)を汚しながら離れていった。

 晴明(せいめい)が身を隠し、少しだけ顔を覗かせる。

 それを鼻で笑うと、すぐに真顔に戻る。

 鋭い眸で鬼女を睨むとそれに反応したのか、四足歩行の獣のように手足を動かし、屋根伝いに移動を始めた。


「ナウボウ アキャキャ ギャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ!」


 真言の終了間際に鬼が跳躍し、完了と共に鬼女がいた場所に閃光が昇る。


「ちっ!」


 一回で終わるとは思っていないが、それでも幾分か打撃を与えることはできると思っていたが誤算だった。

 肝心の鬼女は、常人ではありえないところに移動をしていた。

 邸の側面に、張り付いて自分を睨んでいる。

 崇慧(たかとし)は懐に手を入れ、一枚の呪符を取り出す。


凶悪(きょうあく)凶事(きょうじ) 凶事(きょうじ)災難(さいなん) 急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)


 書かれている文字を読み上げ、鬼に向かって投げつけると、ただの紙だった呪符は刃のようになって飛翔していく。

 鬼女は空気を吸い込んでお腹を膨らませると、気合と共に吐き出し、己に迫る呪符を朽ちた紙のようにぼろぼろにする。


「鬼気で呪符を消滅させた!?」


 鬼は自分を攻撃する敵をはっきりと認識し、牙を剥き出し飛び掛ってきた。

 振り上げた右腕の筋肉がはち切れんばかりに膨らみ、崇慧(たかとし)目がけて振り下ろされる。

 ゆっくりとした動きで、簡単に避けられる。

 ぎりぎりまで迫ったところで、呪符を放とうと懐に手に入れようとしたときだ。


崇慧(たかとし)! 逃げて!!」


 瞬間、崇慧(たかとし)は身を翻し、衣を引き裂きながら鬼の手が地面を削り、抉り取った。

  余裕で逃げられると思っていたが、実際は違った。

 人間、命の危機に見舞われたとき、周囲の動きが緩やかになるというが、まさしくその現象に襲われていたのだ。

 鬼の手は目の前まで近づいていて、晴明(せいめい)の声がなければ切り裂かれていただろう。


『邪魔を、するなぁ―!』


 鬼の金目が開き、晴明(せいめい)を睨みつける。

 びりびりと周囲が振動し、壁を支えに立っていた晴明(せいめい)は、ぺたりと地面に腰を落とした。

 殺される。晴明(せいめい)の頭の中で、その言葉が膨れ上がっていく。

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