表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陰陽双記譚  作者: 奥義 扇
胎動は人心の底から
17/47

狂喜と絶望と復讐と

「な、なんの冗談でございますか?」


 自分の頬が引き攣るのがわかる。

 喉を通り過ぎて出てくる言葉が震え、それが全身へと蔓延していく。


「わしが冗談など言わぬことを知っておろう。そなたはこの子を、いや、この神を産み出すための、宿主(しゅくしゅ)でしかなかったのだよ」


 男は稚児を手に取り、高々と掲げた。

 眼球を見開き、高笑いをする男に、さっき抱いた違和感は間違いではなかったと確信し、恐れを抱き始めた。

 それでも、今は母になった強さがある。

 我が子を取り戻さなければと、出産を終えたばかりの躰を動かし、足にすがりつく。


「返してください! わたしの子供を返してください!!」

「そなたは人の子を産んだのではない、神を産んだのだ。素晴らしいではないか、神を産み落とすなど、できることではないぞ」

「なにを言っておられるのですか! その赤子は、わたしとあなたとの間にできた子ではありませぬか」

「……そうか、そなたは知る由もなかったな」


 天にかざしていた嬰児(みどりご)を胸に抱くと、足元の女を見下ろす。


「何をで……ございますか?」

「そなたが眠っている間、胎児に神を宿す祭儀をおこなっていたのだよ」

「な!?」

「そなたに死なれては、子も死んでしまうからな。女房を傍に置き、毎日様子を見に来ていたのだ。だが、これでもうこのようなくたびれた邸に来ることもない」


 男は満面の笑みで嬰児(みどりご)を見つめ、それから足にしがみつく女に目線を移し変えた。

 眸が鋭くなり、裾を握り締めている母のお腹を蹴り上げる。


「いつまでわしの衣を握り締めておる。汚らわしい! 貴様のような下賎の者が、わしのような貴族と一緒になれると本気で思っていたのか!!」

「あうぅ……」

「だいたい、わしには亡き妻との間に子供もいる。それを捨ててまで、そなたと夫婦(めおと)になろうなどと思うものか!」

「ひ、ひどい、わたしを騙したのですか……」


 ぽろぽろと涙を流し、唇を噛み締める女を前に、男は眸を細める。


「騙してなどいない。お前を幸せにしてやろうと思った」

「だったら! なぜ、このようなひどい仕打ちを……」

「なにを言っている。神を産んだ幸福者(しあわせもの)にしてやったではないか」


 女が絶句し、言葉を失う。


「それが、気に入らぬと申すか! いままで神を産んだ者などおらぬ。そなたがこの世で始めての人間なのだぞ。これほど光栄なことはない! 人知を超える力を持つ、神の母になったことを誇りに思えぬと? 名誉なことだというのに、これだから愚かな人間は度し難いのだ!!」


 狂気に満ちた表情で男はまくし立て、それとともに女を何度も何度も足蹴にする。

 激しい動作に頭髪も衣服も乱れ、荒い息を吐き出す。

 蹴られた場所を押さえ、悶えながら頭上を見上げる女の眸を見て、男は大きく深呼吸をする。

 母は強い。だが、それ以前に女でもある。

 母は女に戻り、我が子を取り返すことを半ば諦めた。

 泣き叫び、暴れてでも取り返したい気持ちは溢れているが、それをさせない恐怖で支配されていた。


「……一目、一目だけでもいいです。顔を、見せてくださいませぬか」


 抱きしめることが叶わぬなら、せめて顔だけでも見たい。

 そう思うのは、決して罪ではない。


「ふん、よかろう。神を産んだそなたにも、顔を拝む権利くらいはある」


 男は膝をつき、抱きしめている赤子をゆっくりと見せた。

 痛みで歪んだ顔をしていた女は、我が子の顔が見られるとほころんでいく。

 が、喜びで垂れ下がった眸が畏れで開かれ、絶句する。

 眸が深淵の闇のようにぽっかりと開き、唇は裂け、口からは長く伸びた舌がふらふらと揺れていた。


「……あ、あ、ああ……」


 わずかに言葉はもれるものの、石のように動けずにいると、稚児(ちご)の顔がゆっくりと女に向けられる。


『おぬしが、われを産みだしてくれた女か。感謝する』


 産まれたばかりの赤子が口を利けるはずもなく、到底子供のものには聞こえない、(いびつ)で神経を逆なでするような声を発する。


『礼に、そなたの命を吸い取ろう』


 裂けた口を全開まで開き、ちろちろと揺れていた舌が、獲物に噛みつく蛇のように女に襲いかかった。

 が、女の喉に接触する寸前に急停止し、眉間に皺を寄せる。


主様(あるじさま)、人の気配(けはい)が」

『わかっている。せっかくの馳走だと言うのに……』

「贄ならばいくらでもご用意いたします。いまは身を隠さねば。完全に力が戻りきる前に見つかれば痛手をこうむりましょう」

『しかし、この女をこのままにはしておけぬ』

「大丈夫でございます。(わたくし)にお任せください」


 男は倒れている女の耳元に唇を近づけると、囁いた。


「この子を手に抱きたければ、人のままでは無理だ」


 気絶しかかっている女が、ぴくりと反応する。


「昔、子をさらわれた女がいた。その女は、我が子を助けるためにどうしたと思う?」

「あ……あぁ、う……」


 女は横になっていた顔を上に向け、擦れていく眸で男を見る。


「鬼になったそうだ。そして、子供を取り戻したという」


 にやりと口角を上げる唇。

 その笑みが何を意味するのか、女は理解していなかった。

 それよりも、子供を取り戻す方法、そちらのほうが鮮明に心を支配した。

 鬼に、鬼に、鬼に。

 愛していたはずの男は自分を裏切り、我が子を奪い去る。

 抱きしめることも、手で触ることも許さない。

 男から、愛しい我が子を取り返さなければ。

 ただ、それだけが心を支配していく。

 鬼に、鬼に、と。

 びくんと、女の躰が激しく仰け反る。


「それでは、参りましょう」


 男は一瞥もくれることなく、退出していく。

 それでも、女がどうなっているか感じ取ることができる。

 微弱ではあるが、鬼気が溢れ出しているのだ。

 陰陽師であるためすぐにわかり、足の運びを早くする。

 子を神にし、女を鬼に落としてまで果たしたい復讐。

 それが、これから始まるのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ