13.招待状
ヒューガードは、執事のリチャードが差し出したジャケットに腕を通して、着替えを済ませた。
さっき降った雨のせいで、馬車に泥をはねられたため、屋敷に着替えに戻ったのだ。
まったく、忙しいというのに厄介なことだ。
着替えながら、明るい時間に屋敷にいるのは久しぶりだと気付いた。
屋敷には毎晩寝に帰ってはいるが、昼間とは全く様子が異なって見える——いや、実際これまでとは違うような気がする。
調度などはこれまで通りなのに、どことなく屋敷の中の雰囲気が明るくなったように感じる。
アデラインが屋敷の模様替えなどに手をつけたと報告は受けていたが実際に気にして見たことはなかった。
庭にも職人が入り込み、使用人たちもどことなく忙しく動いている。
屋敷の中に活気を感じるのも久しいと、ヒューガードは窓から庭を見下ろした。
「きゃあ!」
窓のすぐ下から女性の悲鳴が聞こえて、視線をやると見覚えのある女が、自分の背丈に近い大きな犬に飛びかかられていた。
ヒューガードはその光景に体を強張らせたが、すぐにそれは杞憂だったことを知った。
アデラインは飛びついてきた犬を抱き留めると、楽しそうな笑い声をあげた。
犬はアデラインから離れると、尻尾を千切れんばかりに振って、彼女の周りを走り回っている。
アデラインはスカートをひらひらと翻しながら、犬を追いかけたり追いかけられたりと忙しそうに駆け回っていた。
キャサリンは自分に泥がかからないように、遠巻きにそばにいるトビーに奥様を止めるよう懇願したが、トビーは呑気に笑っているだけだった。
「すみません、奥様!」
庭師の見習いの少年が慌てて駆け付けて、必死の様相で犬を捕まえるとリードをつけた。
「あなたの犬なのね。とても賢くてかわいいわ。でも、庭に入れるのは感心しないわね。芝を荒らしてしまうもの——ねえ、この子ソーセージは食べるかしら?」
結婚式以来初めて見る妻は、あの日の緊張と困惑で固まっていた表情とは違い、朗らかに笑っている。
それは、子供の頃の思い出に微かに残っている、あの夏の日のお嬢様の笑顔そのままだった。
デイドレスを泥だらけにしてしまい、キャサリンとポーラから叱られたアデラインは、お気に入りのシュミーズドレスに着替えた。
お説教を終えるとポーラは青地に金の箔押しが施された封筒アデラインに差し出した。
「ダストン子爵の夜会——?」
封筒の中身は招待状だった。
ダストン子爵は、まだアルマン侯爵家が斜陽になる前に付き合いのあった家門だった。
過去には王国の姫が嫁いだこともある由緒正しい家だと記憶している。
招待状の宛名はヒューガード・アルマンだったが、正式な夜会ともなれば妻を帯同するのは当然なのだろう。
夜会への参加は当然初めてだったが、問題はそこではなかった。
「4日後なんて——どうしましょう」
アデラインは困った表情でキャサリンとポーラを交互に見た。
クローゼットにはヒューガードから贈られたドレスが沢山入っていたが、格式の高い夜会に参加するにはどれも物足りない。
今から作らせても到底間に合わないのは明確だった。
「ご結婚の前に、旦那様が奥様のドレスを注文なさっておいでです。他のドレスより時間がかかってしまいましたが、本日ウィリアムが衣装屋に取りに行っておりますわ」
ポーラの言葉はアデラインを安心させるのに十分だった。
だが、その日の夕方に届いたドレスは、アデラインを存分に絶望させた。
「キャサリン……見て?100年前の王族かしら——まるで宝石の展示会よ?旦那様はこれをわたくしに着ろとおっしゃるのかしら……」
ふわりとスカートが広がった濃い青のイブニングドレスは、胸元や裾にふんだんに手編みのレースが使われた贅沢なものだった。
だが、これでもかと見せつけるように色とりどりの宝石が散りばめられた非常に華やか——と言えば聞こえはいいが、上品とは程遠いものだった。
「わたくし、こんなものを着て行くくらいなら裸で行った方がマシよ」
いつも明るく微笑みを絶やさないアデラインが、カウチに座って泣き崩れる姿を初めて目の当たりにして、キャサリンの胸はぎゅっと締め付けられた。
きっと旦那様は豪華なドレスをと手配してくださったのだろう。だが、平民の夜会ならまだしも、貴族の夜会ではこの過剰な装飾は恥さらしにすぎない。
生地は上質な絹だし、パニエを重ねてボリュームを出すスカートは流行の最先端で形は上品に仕上がっている。だが、この煌びやかに飾り立てられた宝石の数々がそれらを台無しにしている。
キャサリンは目の前に広げられたドレスに目を覆いたかったが、それ以上に両手で顔を覆って啜り泣くアデラインは見ていたくなかった。
この散りばめられた宝石さえなければとても素敵なのに。だが、しっかりと縫い付けられた宝石を取り除いてしまっては絹の艶やかな生地が台無しになってしまう。
キャサリンは少しだけ悩んでから、思いついたように顔をあげた。
「奥様、大丈夫ですわ」
キャサリンはアデラインの隣に腰かけると、アデラインの背中を優しく撫でた。
「この装飾をいくつか外して、金糸で刺繍を施せば素晴らしいドレスになりますわ」
その程度の手直しなら、この屋敷の針子でも十分可能だろうと、キャサリンは考えた。
翌日、キャサリンは衣裳部屋の針子を呼びつけると、ドレスの手直しの指示を出した。
「いいこと?3日以内に仕上げるのよ?」
ベッカー邸の針子は、キャサリンの予想を超えて優秀だった。
夜会当日の昼にアデラインの部屋に届けられたドレスは、キャサリンの想像を超えたものだったからだ。




