信仰系補助魔法令嬢は最強騎士を支えたい
貴族が魔法を操り,家名と術式で階級が決まる王都ルミナールでは,派手な火球や雷撃が社交界の話題になり,地味な補助魔法は「召使いの技」と笑われることが多かった。舞踏会で拍手を浴びるのは,いつだって眩い攻撃術の使い手だ。
その偏見を,リリーは鼻で笑うことすらしない。ただ当然のように,補助の術式ばかりを磨いていた。理由は一つ。彼がいるからだ。
血の繋がらない親戚,ガレオン・アルスティア。二十二歳。見上げるほどの体格と,石像みたいに整った顔立ちを持つ男。騎士団でも指折りの実力者だが,強すぎるがゆえに周囲が距離を置いた。訓練場で木剣を握れば誰も近づかず,食堂で席に着けば半径三歩が空く。まるで災厄の前兆を避けるように。
けれどリリーは違った。
「ガレオン様。今日の立ち姿,神像より尊いです」
「……リリー。まず,俺は神ではない」
「存じております。神より尊いだけです」
ガレオンは額を押さえた。彼の困った顔を見るたび,リリーの胸は朗らかに弾む。信仰とはこういうものだ,と彼女は思っていた。崇め,見守り,人生の羅針盤とする。恋? そんな俗な感情を抱くなど,恐れ多い。
その日,王都の外縁で魔獣が群れを成し,補給路を断つ恐れがあると報告が入った。騎士団が出動し,ガレオンも先陣に名を連ねる。リリーは当然のように付いていった。十六歳の貴族令嬢が戦場に同行するなど前代未聞だが,アルスティア家の当主が許したのは,「ガレオンの背に隠れるなら安全」という,どうかしている理屈のせいだった。
森へ向かう途中,騎士たちがこそこそと囁く。
「補助の小娘が来たぞ」
「足手まといだろ」
「いや,ガレオンが守るなら平気か……」
リリーは気にしない。信仰に雑音は届かない。
魔獣は,森の奥の古い神殿跡に巣食っていた。狼の形をした影,甲冑のような鱗,口から漏れる黒い靄。数が多い。騎士たちが隊列を組み,攻撃術を放つが,靄が術を絡め取って鈍らせる。
「厄介だな」副隊長が舌打ちした。「吸魔の個体が混じっている」
その瞬間,ガレオンが前に出た。足元の落ち葉が沈むほどの踏み込み。巨体に見合わぬ速さで,一歩で距離を詰め,木剣を振るう。木剣が,骨を断つ音を立てた。魔獣の首が落ちる。次の一振りで,二体がまとめて倒れた。
騎士たちの士気が上がる一方で,吸魔の靄は濃くなり,周囲の魔力を腐らせていく。攻撃術の光が薄れ,隊列が乱れかけた。
リリーは,すっと両手を合わせた。補助魔法は祈りの姿勢が最も安定する。彼女の術式は地味だ。光らない。爆ぜない。けれど,効く。
「術式一二番,循環。術式三一番,緩衝。術式四九番,糸結び」
空気が,静かに整う。隊全体の呼吸が揃い,魔力の流れが途切れなくなる。吸魔の靄が絡みついても,魔力が別の経路から迂回して供給される。攻撃術の光が,少しだけ強くなった。
副隊長が目を見開いた。「今のは……誰だ」
「リリーです」本人は平然としている。「ガレオン様が眩しいので,見失わないように,皆さまの目が冴える術を添えました」
「……冴えるって,それだけじゃない」副隊長は呆れ混じりに笑った。「魔力循環を全体に掛けたのか。補助でそれは,普通できない」
リリーは首を傾げた。できるからやった。それ以上でも以下でもない。
その間にも,ガレオンは前線で暴風だった。だが吸魔の個体が,彼の背後を狙って靄を伸ばす。通常なら魔力を削られ,身体強化が鈍る。ガレオンの大剣は重い。鈍れば致命的だ。
リリーは,彼の背に向けて指を伸ばした。
「術式六四番,固定。術式七二番,負荷分散」
ガレオンの足が地面に縫い付けられたように安定し,靄が体内に侵入しても,筋肉の強化に必要な魔力が別の層で保持される。彼の動きは落ちない。むしろ,より鋭くなる。
ガレオンが,振り返った。ほんの一瞬,視線が交わる。リリーは胸の奥が熱くなる。敬虔さが増す。ああ,やはり尊い。
ガレオンは眉をひそめ,口の形だけで言った。
「無茶をするな」
リリーは,口の形だけで返した。
「もっとお役に立ちます」
戦いは,ガレオンを中心に,少しずつ押し返されていった。最後に残った吸魔の個体が,神殿跡の柱の陰から跳びかかる。騎士が気づいて叫ぶが遅い。狙いは,ガレオンの首。
ガレオンが身を捻る。間に合わない。
リリーは,反射で術式を編んだ。
「術式九〇番,予備の一歩」
それは,目立たない補助の極北だった。本人が「予備」と呼ぶのも,それが派手な回避ではなく,「ほんの少しだけ,次の動作を早める」術だからだ。けれど戦場では,その「ほんの少し」が命の差になる。
ガレオンの身体が,通常より早く次の一歩へ移る。吸魔の牙が空を噛み,木剣の一閃が魔獣の喉を裂いた。黒い靄が散り,森に風が戻る。
静寂のあと,騎士たちがどっと息を吐いた。
「勝った……」
「ガレオンは相変わらず化け物だが……」
「いや,今の回避,おかしかったぞ」
皆の視線が,ガレオンからリリーへ移る。ざわめきが起きる。尊敬と困惑が混じった表情。リリーは,照れもせずにガレオンを見上げた。
「ガレオン様,今の,最高でした。神話に載せるべきです」
「載せなくていい」ガレオンは低い声で言い,リリーの頭に手を置いて,軽く撫でた。「……お前がいなければ,今のは危なかった」
リリーは瞬きをした。自分が? 危なかった? 彼が?
「そんな。ガレオン様は無敵です」
「無敵じゃない。俺も……削られる」言いかけて,彼は言葉を飲み込む。騎士たちの視線がある。彼はいつも,強者の仮面を被る。誰も近づかない理由の半分は,その仮面のせいだ。
帰路,夕陽が森の影を長く引き伸ばした。リリーは歩きながら,今日のガレオンの動きを思い返し,うっとりしていた。
「ガレオン様。さっきの最後の一閃,腰の捻りが神域でした」
「……神域禁止」
「では,聖域です」
「余計だ」
ガレオンはため息をつき,しかし口元は僅かに緩んだ。リリーはそれを見て,「今日も救われた」と心の中で手を合わせる。
宿舎に戻ると,騎士団の医務室で簡単な診察が行われた。ガレオンの腕に浅い傷があると分かった瞬間,リリーの顔色が変わる。
「医師様。最優先で処置を。包帯は私が巻きます」
「リリー,落ち着け。これくらい」
「これくらいが積み重なると,いつか尊い命が」
「尊い命って言うな」
リリーは包帯を握りしめたまま,真剣な目でガレオンを見た。
「ガレオン様が倒れたら,私は何を信じて生きればよいのです」
医師と騎士が,咳払いで笑いを誤魔化した。ガレオンは赤くなった。大柄な男が耳まで赤くなる様は,なぜか滑稽で,周囲の緊張が解ける。
「……リリー」ガレオンは小声で言った。「そういうのは……困る」
「困るのですか。では,私の信仰を,もっと万人向けの言い回しに改めます」
「やめろ。改めなくていい。いや,よくない。……違う」
言葉が迷子になり,ガレオンは自分の口を閉じた。いつからだろう。妹のように守りたい,それだけでいい,そう思い込もうとしていたのに,リリーが笑うと胸が温かくなる。彼女が傷つきそうになると,背中が冷える。彼女が自分を見上げる目が,信仰でしかないと分かっているのに,その目を独占したくなる。
それは,騎士として最も厄介な感情だった。
包帯を巻き終えたリリーは,満足そうに頷いた。
「これでガレオン様は,明日も神像です」
「神像じゃなくていい。……明日も,来るな」
「来ます」
「来るな」
「来ます」
押し問答が続き,周囲の騎士たちは肩を震わせた。あのガレオンが,十六歳の令嬢に言い負かされている。今日の戦いより珍しい光景だ。
その夜,リリーは自室の机に向かい,補助術式の書を開いた。紙の上には,地味な円と線の組み合わせが並ぶ。彼女はそこに,新しい改良案を書き足していく。今日の「予備の一歩」は,もっと安定させられる。負荷分散も,彼の体格に合わせて最適化できる。彼の強さは眩しい。だからこそ,影を作らないように支える。それが信仰者の務めだ。
翌朝,訓練場に現れたリリーを見て,ガレオンは頭を抱えた。
「……なぜいる」
「ガレオン様がここにいるからです」
「理由になってない」
「信仰とはそういうものです」
ガレオンは,諦めたように笑った。近づく者のいない半径三歩に,今日もリリーだけが踏み込む。彼は彼女を遠ざける言葉を探しながら,結局見つけられない。代わりに,剣を構えた。
「なら,せめて後ろにいろ」
「いいえ。少しだけ,横です。ガレオン様の動きがよく見えますので」
彼の喉が鳴った。困ったようで,嬉しいような表情。周囲の騎士がまた笑う。王都で一番強い男が,一番無自覚な信徒に振り回されている。
そしてリリーは今日も,地味な術式を磨く。本人は気づかないまま,誰よりも彼の戦いを支えているのに,ただひたすらに,彼の実力へ惚れ惚れしていた。




