第1話 一時停止
夜会は盛況だ。
楽団の奏でる流れるワルツに合わせて踊る紳士や淑女。
流行のドレスに身を包み、お互いを褒めあう夫人たち。
グラスのワインを飲みながら当たり障りのない会話に興じている者たち。
喧噪の中を、ヴィルジニーは歩いて行く。
一人で。
エスコートの男性を伴わずに。
しかし、凛として背を伸ばして。
ヴィルジニーの歩みに、大勢の者たちが目を奪われた。
「ほう……」というため息すら、あちらこちらから聞こえてくる。
ヴィルジニーが着ているドレスが美しいから。
アクセサリーが豪華だから。
赤みを帯びた緩やかに長い金の髪や瞳が派手だから……ではない。
仮に、使用人のお仕着せを着ていたとしても、ヴィルジニーから溢れ出る気品は隠しようもない。
存在するだけで、人目を引く。
麗しく自信にあふれた令嬢。
それが、ヴィルジニー・ディ・マドゥアス侯爵令嬢だった。
ヴィルジニーの歩む先に居るのがレオン・デ・アスカリッドだ。
レオンはアスカリッド王国の第二王子であり、そして、ヴィルジニーの婚約者。
髪も瞳も空の青のようなさわやかな色。
外見だけなら文句のつけようもないが、中身はない……と、ヴィルジニーは思っている。
王命だから、仕方なく、愛する人と別れて、これまでレオンを支えてきた。
が、さすがにそろそろ限界だ。
婚約者だというのに、夜会に迎えにも来ない。
婚約者だというのに、ヴィルジニーをエスコートすることもない。
『友人』たちと共に過ごす時間が大切で、婚約者は後回し。
それだけではなく。
小動物のようなかわいらしい娘がレオンに寄り添って微笑んでいる。
レオンの『非公式の恋人』であるポーレットという名の男爵令嬢。
と言っても、ジルー男爵家の系図にポーレットの名が記載されたのは、わずか一年前。
それまでは平民の母と共に、市井で暮らしていた。
ポーレットはジルー男爵の愛人の娘だ。
前ジルー男爵夫人が病死したため、愛人が正妻となり。その娘であるポーレットも正式に男爵令嬢となっただけ。
当然、貴族としての礼儀も常識も持たない。
だが、ヴィルジニーの淑女としての完璧な微笑みとは違う、ポーレットの飾り気のない素朴な笑顔にレオンは惹かれたのだ。
今も。レオンは熱に浮かされたような目をポーレットに向けている。
レオンはポーレットの幼女のような小さな手に、そっと自分の手を伸ばした。
ポーレットも頬を薔薇色に染めながら、レオンの手を柔らかく握り返す。
唇が触れてしまうかもしれないほどに、近寄った二人の顔。
ヴィルジニーが一人で、レオンに近づいて行くのに気がつきもしない。
カツン……と、わざと踵を鳴らした後、ヴィルジニーがその歩みを止めた。
「……アスカリッド王国の第二王子、レオン殿下に、ヴィルジニー・ディ・マドゥアスがご挨拶を申し上げます」
「……ヴィルジニー、キサマなど呼んではいない。さっさと去れ」
「そうは参りません」
レオンとヴィルジニーの声に、夜会の会場に流れるワルツの音が小さくなった。
踊っている男女が訝し気に顔を見合わせる。
ヴィルジニーの声が聞こえた者たちは会話を止め、ヴィルジニーとレオンたちに注目した。
そして、ヴィルジニーが朗々とした声で言った。
「レオン第二王子殿下、あなたとの婚約を『一時停止』させていただきます」
婚約破棄ではなく。
解消でも白紙化でもなく。
一時停止。