第十九話 根源
アラームの発信源は、美鶴の首輪からだった。
耳障りな警告音が、静まり返った教室に響き渡る。
微かに呼吸をしている美鶴の姿を見て、ハルキの胸にざわつくものが生まれる。
「……美鶴くん、まだ意識があるんじゃないか……」
声が震えていた。
美鶴はかすかに身じろぎし、虚ろな目でハルキを見つめる。何かを訴えるような、助けを求めるような視線――
ハルキは迷わず美鶴の方に駆け寄った。
しかし――
ピピピピピ――!
アラーム音が一層強まる。
ハルキの手が首輪へと伸びかけた、その瞬間――
脳裏に、ある記憶がフラッシュバックした。
(胡桃の首輪が鳴った時……あのとき、胡桃の頭が真威人に当たって、二人とも……!)
あの時の惨劇。爆発の轟音。飛び散る血肉。脳の断片が床に転がる光景。
それを思い出した瞬間、背筋に冷たい汗が流れる。
「くそっ……!」
反射的にハルキは自分のジャンバーを脱ぎ、素早く美鶴の頭に投げつけた。
「う……ぁ……」
美鶴はうめくように声を上げながら、弱々しく手を伸ばしていたが、その動きも止まる。
そして――
――轟音。
爆発の衝撃が教室を震わせた。
肉片と血しぶきが、ジャンバー越しに飛び散る。
ハルキは目を背けることもできず、その光景を呆然と見つめていた。
美鶴の頭部は、もう存在しなかった。
耳鳴りがする。体の芯が冷える。震えが止まらない。
爆発が収まり、黒い布を持った兵士たちが現れた。
彼らは何の感情も見せず、黙々と美鶴の遺体に布をかける。慎重に、だが機械的に。まるで、ただのゴミでも処理するかのように。
その静寂を、突如として切り裂いたのは――
「うああああああ!!!」
「いやあああああ!!!」
絶叫だった。
華子と葉月の声。
ハルキが振り向くと、華子が木刀を振り上げていた。
その先には、震える葉月。
「やめろ、華子!」
ハルキが叫んだ。
だが、華子の表情はもはや正気ではなかった。
「この女さえいなければ、時雄は死ななかった!! そうよね!? 葉月、あんたがいたから、時雄は……!」
狂気じみた目。涙と怒りが混ざり合い、もはや彼女自身、何をしたいのか分からなくなっているのかもしれない。
木刀が振り下ろされる――!
その瞬間、ハルキの体が無意識に動いた。
「っ……!!」
咄嗟に華子へと体当たりする。
ドンッ!!
華子の体が弾かれる――そして。
「――ッッ!?」
木刀が彼女の手から滑り、弧を描いて宙を舞う。
そして、そのまま――
華子の口へと突き刺さった。
「ぅ……おお……あ……」
彼女の目が見開かれる。
一瞬、何が起きたのか理解できていないようだった。
だが、次の瞬間――
鮮血が飛び散る。
口から、喉から、勢いよく血が溢れ出す。
華子は喉を押さえ、何かを言おうとするが、声にならない。
そのまま、よろめくように後ろへと倒れ――
床に崩れ落ちた。
「……!!」
ハルキは呆然とその場に立ち尽くした。
華子の目は、まだ何かを言いたげにハルキを見ていた。
だが、やがて光を失い――
動かなくなった。
華子は死んだ。
荒い息を吐きながら、ハルキは自分の手を見た。
震えていた。
(俺……殺した……?)
震えが止まらない。
その時――
スダの冷淡な声が響いた。
「あら、一気に二人も減りましたね」
その言葉は、まるで何でもない事実を述べるかのようだった。
「残りはたったの二人ですか……。でもまだ時間は7時間も残っている。……やっぱり、6時間以内にしておけばよかったかなぁ?」
クスクスと笑うスダ。
その声が、不気味なほどに響き渡る。
ハルキは拳を握りしめた。
その時、かすれた声が聞こえた。
「……ありがとう、ハルキくん……」
葉月だった。
震えながら、それでも必死に微笑もうとしていた。
どこか安堵したような表情で――
だが、ハルキは葉月には近づけなかった。
今の自分がいる根源が、自分が好きだった彼女だったからだ。
胸の奥に、鈍い痛みが広がる。
だが、それを振り払うように、ハルキは息を呑んだ。
(終わらせる……絶対に)
残り、二人。
そして、この地獄は、まだ終わらない。
スダの嘲笑混じりの声が、静まり返った教室に響く。
「どうします? まだ時間はたっぷりありますよ。語り合うのもよし、もう決着をつけるのもよし。凶器ならそこら中に転がってます。ただ、血液が固まってるせいで切れ味が悪いんですよね。まあ、その分、痛みは増すかもしれませんが……」
淡々とした口調。楽しげな笑み。
それがハルキの神経を逆撫でする。
だが、彼の意識は目の前の葉月に向けられていた。
彼女は震えながら、涙に濡れた瞳でこちらを見上げる。
「ハルキくん……ごめん……ごめんなさい……」
か細い声で、訴えるように言う。
葉月は両手を握り締め、震えながら懇願するように続けた。
「殺そうとはしないで……お願い……」
彼女の涙を見ても、ハルキの心は微動だにしなかった。
静かに葉月を見下ろし、低い声で呟く。
「……君は、たった一言で周りを動かしてしまった。気づいて、それを取り繕って……優しいふりをして、自分は悪くないって思い込んでたんだろうね」
葉月は必死に首を振る。
「ええ……でも、悪気はなかったの……本当に……」
ハルキは乾いた笑いを漏らす。
「悪気がなかった? それで済むならどんなに良かったか……」
その言葉の裏には、押し殺した怒りが滲んでいた。
「でも、それで僕は自信を失ったんだ。サークル内だけでなく、学校中の友達に裏切られて、笑われて……。誰かがいじられれば、自分は安全だって思ったやつら。見て楽しんでたやつら。見て見ぬふりをしたやつら……全部が、この結果さ」
視線が、教室の隅へ向く。
黒い布をかけられた遺体たち。
もう動かない彼らの姿が、ハルキの脳裏に焼き付く。
静かに、教室の隅に転がっていた剣山を拾い上げる。
錆びた鉄針の先端には、微かに乾いた血がこびりついていた。
手に取ると、重みがあった。
「スダの言った通り、じわじわ死んでいくのも悪くないかもね」
剣山を眺めながら、ハルキはゆっくりと葉月に向かって歩き出す。
足音が響く。
「う……うう……やめて……」
葉月の声が震え、後ずさる。
それでも、ハルキの足は止まらない。
「僕はね、君の『一言』のせいで三年間もいじられ続けたんだ。それも、君が何も気にしてない顔で過ごしてた間、ずっとだよ……」
葉月はその場にへたり込む。
震えながら、涙を流し、何度も「ごめんなさい」と繰り返す。
しかし、ハルキの表情は冷徹そのものだった。
静かに、剣山を振り上げる。
葉月の瞳が恐怖に引きつる。
「――さあ、どうする? ハルキくん」
スダの声が響く。
彼は腕を組みながら、微笑を浮かべていた。
「君の復讐は完成するのかな?」
その声は、静かにハルキの心を蝕んでいく。
「復讐ってさ、やり終えた後は結構スッキリするものらしいですよ。……まあ、やったことは消えませんけどね」
ハルキの手が、剣山を強く握り締める。
指先が白くなるほどに。
葉月は泣きじゃくりながら、震える手を差し伸べる。
「お願い……もう、こんなの嫌……」
その言葉を聞きながらも、ハルキの腕はゆっくりと振り下ろされようとしていた。
スダの笑みが、より深くなる。
この地獄の終焉は、すぐそこまで迫っていた。