エピローグ
ユキやジル達が生まれる遥か遥か大昔。
かつて「日本」と呼ばれた、極東の島国のとある研究室前の廊下。白衣姿の男性が、向こうから歩いてきた同じく白衣姿の女性に声を掛けた。
「ユキ先輩! 先輩が開発したバイオ・ナノマシンの学会発表、大成功でしたね」
後輩の男性研究員から声をかけられ、ユキ先輩と呼ばれた美しい黒髪の女性が微笑んだ。
「ありがと。これで世界の医療技術が飛躍的に進歩することに期待したいわね」
それを聞き、笑顔で頷いた男性研究員が、少し不安な顔になって言った。
「ですけど、先輩。あのバイオ・ナノマシンですが、今後悪用されたり軍事転用されたりするおそれはないでしょうか。学会に各国の軍事関係者が参加していたって噂もありますし……」
ユキ先輩と呼ばれた女性が開発した、ウイルスサイズの極小バイオ・ナノマシンは、事前に登録した操作者の脳波等の生体情報を検知し、操作者の指示を受けて患者の体内に入り、自律的に治療行為を行うというものだった。
そして、常に操作者の周りや指定された場所に浮遊し、周辺環境に存在するタンパク質等を用いて増殖し、治療行為等に必要な一定数を維持する性質を持っていた。
バイオ・ナノマシンは、傷病の治療のために開発された。しかし、例えば、ガンの切除のように、治療と侵襲は表裏一体。操作者に悪意があれば、容易に殺傷行為に及ぶことが可能であるように思われた。
そんな男性研究員の不安に、ユキ先輩と呼ばれた女性がニッコリ笑いながら言った。
「安心して。織り込み済みよ。もし、そういった悪用が行われた場合は、バイオ・ナノマシンが一斉に操作者の指示を聞かなくなるよう、こっそりロック機構を遺伝子レベルで組み込んでるのよ」
「仮に、ロック機構が働いた場合、ロック機構のない新しいバイオ・ナノマシンが開発されたとしても、私のバイオ・ナノマシンがそれを乗っ取るようプログラミングしてるしね」
「す、すごいですね、ユキ先輩。でも大丈夫ですか? そんなことして……」
驚き心配そうな顔をした男性研究員に、ユキ先輩と呼ばれた女性が笑いながら言った。
「大丈夫よ。人類はそんなに馬鹿じゃないわ。きっと私のバイオ・ナノマシンを世のため人のために使ってくれるはず。ロック機構が働くことなんて、きっと来ないわ」
バイオ・ナノマシンのロック機構の作動は、ユキ先輩と呼ばれた女性のミトコンドリアDNAを「鍵」のひとつとしており、その「鍵」を有する操作者の指示により実施されることになっていた。
そして、その「鍵」を有する操作者は、無制限又は一定の制限を設けて、そのロックを解除することが出来るようになっていた。
ミトコンドリアDNAは、母から子にのみ伝わる。すなわち、「鍵」は母から娘へと伝えられていく。
……ま、さっきは「人類はそんなに馬鹿じゃないわ」何て言ったけど、世の中、何が起きるか分からないしね。
もし、ロック機構が作動するような事態が起きて、私が生きている間に対処しきれないときは、私の娘とその子孫に善処を託すとしましょうか……
「って、その前に彼氏を見つけなきゃだけどね」
ユキ先輩と呼ばれた女性は、そう独り言を言って笑うと、背伸びをしながら研究室へ入って行った。
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