お盆休み
その1998年のお盆休みに賢とさと子と一緒に実家に帰った。賢は5か月になっていたが、まだ首が座っておらず、少し成長が遅れていたのが気になっていたのであるが、まぁ個人差もあるからと思って、さと子には言わないでいた。このころになると、さと子が私の両親や姉に関する陰口をたたくようにもなっていた。最初は私もまたマタニティーブルーなのかもしれないとか、子育てでナーバスになっているのかもしれないと思い、なるべくさと子の話に付き合うようにしていたのであるが、次第にそれがエスカレートしていっているのがはっきりしてきたので、マタニティーブルーとか、そういう問題じゃないというのがわかってきて、さと子がもともと持ち合わせている性格的な問題もあることが分かったので、またかっていう気持ちも私には芽生えていた。この時もお盆で帰省しているのに、なんであんたのお姉さんがここにおるんよ。下関の義母の家に行くのが筋じゃないん。本当あんたのお姉さんは楽することばっかり考えてから。私には両親がおらんっていうのをしっちょって、本当にずるいよね」
などと本人がいる前で不満をぶちまけるようになっていた。
その声は当然、姉や両親にも聞こえていて、みんな、さと子の言いたい放題な言動に不信感や怒りを募らせていった頃である。そしてさらには、
「お姉さんの子供ばかりかわいがって、あんたの両親は私たちの子供は全然かわいがらんよね。自分の娘が産んだ子じゃからって、なんであんなに差別するんよ」
と言い返し、母が「そんなことはどうでもいいから、早く連れて帰ってあげなさい」
そういうと。さと子は
「そんなこと言ったって、どうせ後で、あの時あんたらは一切手伝わんかったとかいうんでしょ?」
「なんで私たちがそんなこと言わんといけんのんよ。いいから早く帰りなさい」
「ふん、偉そうに。このくそばばぁ」
そういって喧嘩を売ったものであるから、私の母もキレて「そんなんいうんじゃったら、二度とうちを頼るな!今後一切あんたらの面倒は見んからね」
そういっていた。わたしは二人が言い争いをしている間、農作業用の服から着替えて、荷物をまとめて、帰る準備をしていたのであるが、母の怒りの声が家中に響いた。
帰りの車中で私は
「お前さぁ、なんで喧嘩を吹っ掛けるような真似をするんか?そんなことしている暇があれば、さっさと帰れるように、荷物の纏めとか手伝えや」
「ふん、あんたもあんなくそ親の方を持つんじゃね?誰も言わんから、私がくそばばぁって言ってやった」
などと、自分が誇らしいことをしたとでも言いたいようなものの言い方をするので、
「おまえ、本当にバカとしか言いようがないよな。そんなことして何の得になるんじゃ。自分のことよりも、子供のことを第一に考えろや」
そうこう言っいてるうちに、アパートに着いて、さと子を下ろして、私がそのまま賢を連れて休日診療に向かった。さいわい大したことなく、解熱剤をもらって帰ったのであるが、はっきり言ってさと子の言動には目に余るものがあった。母が今はまだ仕事に行ってないんじゃから、子供と一緒に外を歩いたらどうかとか、家にいる間、子供にしっかり話しかけてやれとか、言っていたようであるが、そのどれもがさと子にしてみれば「うるせぇ」
と思えることだったようで、まったく聞く耳を持たなかった。私にも同じようなことを言っていたのであるが、私が言って聞かせると、
「じゃあ、あんたがやれば?親は私ひとりじゃないんじゃから」
などと言って、私の話も全く聞く耳を持とうとはしなかった。そして、会社から用事があって、電話した時も話し中であることが多く、私が仕事から帰っても賢が泣きじゃくっているにもかかわらず、電話で話していることが多くて、私が
「おまえさぁ、賢がこんなに汗だくになりながら泣いているのがわからんか?子供のことよりも大事な用事なんか?」
と言うと、さと子は
「向こうから話しかけてくるんじゃから仕方がないじゃん」「はぁ?だったら、子供が泣いているから電話を切るねっていうくらいできるじゃろうが。嘘つくんじゃない」
私は賢をあやしながらそういって電話線を引き抜いた。そして、私が電話線を引き抜くと、それが気に食わないとでも言いたげに腹を立てて、再び電話線をつなげて、電話をしようとしたので、私は怒りを覚えて、電話線のコネクター部分を破壊して、電話を繋げられないようにして、
「お前はそんなに子供のことよりも、下らん電話の方が大事なんか?子供を俺が帰ってくるまでほったらかしにして、いったい何やってんじゃ」
「フン、あんたのお姉さんはいいよね。子供を親に押し付けて自分は楽してから」
「はぁ?そんなこと言ってんじゃねぇだろ!くそ下らん長電話する余裕があるんじゃったら、自分の子供の面倒を見ろって言ってんだよ。それに長電話されたら、向こうだって迷惑じゃろうが
」「だって向こうから話しかけてくるんじゃん。仕方がないじゃん」
「ほぉ?仕方がない?だったら俺が今から電話をかけてみるからな。嘘だったらお前、覚悟しとけよ」
そういって、私は携帯電話からさと子が長電話していた相手に電話をかけてみた。
「あのぉすいません。私の嫁が長電話をしてしまって御迷惑をおかけしております。さと子は、あなたが話しかけてくるから、電話が切れなかったって言っていますが、本当のところはどうなんでしょう?」
「はい?私は賢ちゃんが泣いているので、早く切るように言っていたんですけどねぇ…。ほっといても大丈夫って…」
「あぁそうなんですか…」
「私もご主人が帰ってくるから、家の用事もあるんじゃない?て言ったんですけどねぇ…」
「そうでしたか。どうもご迷惑をおかけして申し訳ございません」
そういって電話を切った。さと子は嘘をついてまで、長電話したかったようである。当然家のことは何もできていなくて、賢が出したおもちゃもそのまま。夕食の用意もできていないし、汚れたおむつも取り換えられていない。私はそれらを全部やらせて、嘘をつき通そうとしたことを厳しく糾弾した。しかしそれで反省をする様子もなく、「なんで私が怒られなければならないのよ」
と不満をあらわにしていた。私が電話線を破壊したので、家の固定電話が使えなくなって、携帯電話は私一台しか持っていなかったので、私が会社に行っている間や、夜勤で昼間寝ている間は外との連絡が一切取れなくなって、長電話は大幅に減った。それからしばらくして、さとこが
「私も携帯電話が欲しい」
と言ってきた。私は
「自分で使う分は、すべて自分で払うんじゃったら別に構わん」
と告げた。ようは、それならば、自分で働いて、電話代を稼いで来いということだったのであるが、さと子は自分で働いてお金を稼ぐっていうのが大嫌いで、私がそのことを指摘すると、「なんでそんなことをいうんよ。だいたい普通の夫婦って、電話代くらい亭主が出すものなんじゃないん?」
というので、私は
「お前が無駄に使う電話代金なんて誰が好き好んで払うもんか。どうしても長電話したいって言うのであれば、自分で稼いで来れば?俺はびた一文出す気はねぇから」
その後もしつこいくらい
「携帯電話が欲しい」
「携帯電話がないと、だれとも連絡できん」
などと言っていたが、私は一切取り合わなかった。
小野田の叔母のところに帰省した時も、叔母が
「リンダさん、さと子が電話を取り上げられて、誰とも連絡ができんって言っているんで、携帯電話を買ってやるか、電話を元に戻してやってくれんか」
というので、私は
「じゃぁおばさまがさと子が使った電話料金を払ってくれるんですか?先月なんて、3万円かかっているんですよ。そんな無駄遣いできるほど、俺たちに余裕はないんですよ。だから、そんなに携帯電話が欲しいのであれば、自分で働いて、その収入で払えばいいでしょう?俺はさと子の無駄遣いに払う金なんてびた一文ありません。俺の言うことが間違っていますかね?」
そういうと、小野田の叔母もさすがに黙り込んだ。そして、固定電話だけで3万円もの料金がかかっていることに驚いた様子で、
「じゃあ、さと子が電話している間、賢ちゃんはどうなっちょるんかね?」
っていわれて「賢ですか?ずっとほったらかしにされていますよ。この前も私が仕事を終えて帰ってきたら、汗だくになって大泣きして、おむつも汚れたままにされてまいしたからね」
「そこまでして長電話して、何やっちょるんかね?」
「まぁ賢のことなんかどうでもいいんじゃないんですか?」
そうして小野田の叔母からも長電話については、ものすごく厳しく非難されて帰る結果となった。
さと子に対して
「あんた、何をふざけちょるんかね。手のかかる赤ちゃんがおるんじゃから、いつまでもそんなことしちょったらいけんじゃろうがね」
「だって、リンダさんのお姉さんは、いつも実家に帰って親に甘えて、好きなことばっかりやっちょるんよ。なんで私だけそんな厳しく叱られんといけんのよ」「ふざけなさんな。賢ちゃんの母親はあんたしかおらんのじゃろうがね。あんたが、リンダさんが仕事でおらん間、面倒見んと、だれが面倒みるんかね」
「だって、お姉さんは家に帰ってばかりで…」
「もうそんなことばかり言うんじゃったら、二度と家にはきなさんな」
そういわれて、家に帰ることになった。いったに何のために帰省したのか、意味が分からなくなった私である。私からも、小野田の叔母からも長電話をやめるように非難されて、立つ瀬がなくなったさと子である。




