楽しい誕生日会が水泡に帰す悲劇
3月になり、賢が際の誕生日を迎えた。ちょうど風邪も回復し、ようやく元気になったところで、私の実家で誕生日を祝おうということになった。
ケーキは私が用意し、母と姉が張り切って料理を作ってくれるという。子どもたちが喜ぶ顔を思い浮かべながら、久しぶりに皆が集まる時間を楽しみにしていた。
実家には、私たち3人のほかに、両親、姉夫婦、そして姪の朱莉とその兄・和君も集まり、賑やかに宴は始まった。唐揚げ、ポテトサラダ、ちらし寿司……テーブルいっぱいに料理が並び、父は孫の誕生日を祝って上機嫌。酒も進み、場の空気は和やかそのものだった。
ケーキも皆で分け合い、賢が最初に好きなものを選び、それを皮切りにめいめいが笑いながら自分の皿に取っていった。その光景を見ながら、「こういう時間こそ家族の醍醐味だな」と私はしみじみ思っていた。
だが——。
帰りの車中、隣に座るさと子の顔は明らかに曇っていた。腕を組み、窓の外を見つめたまま、無言で押し黙っている。
「これは、なにか気に食わんことがあったな」
予感は的中した。しばらくして彼女は、怒りをにじませた声で口を開いた。
「なんで賢の誕生日に、お姉さん夫婦まで来るんよ。私、全然そんなの聞いてなかったけど?」
まるで不意打ちでも食らったような口ぶりだった。私は面食らいながらも言い返す。
「ええじゃろ。みんなで祝ったほうが楽しいし、賢も嬉しそうじゃったやん」
だが彼女は聞く耳を持たなかった。
「私は、お姉さんとこには一切声かける気なんてなかった。こっちが全部段取りして、料理も手間かけてやって、なんであっちはのうのうと来とんよ? ああいうときだけ親を頼って、なに様なん」
言葉のトゲは、もはや家族を責めるというより、私を突き刺すための刃のようだった。
「……そもそもケーキ代、お父さんが出したんでしょ? うちらだけが損してるじゃん。お姉さんとこは何も出してないし、あんなのずるいって」
「おい、それは違うじゃろ。ケーキぐらい、俺が出したって構わん思うて買ったんやし。そんなセコい話するなよ。賢のために祝う会じゃろうが」
だがさと子は、どこまでも食い下がった。
「セコい? 何言っとん? うちはいつも割りを食っとるじゃん。なんでもかんでも“家族だから”って言って、私たちばっかり損して……ほんと、バカらしい」
その言葉を聞いた瞬間、私は心底うんざりした。楽しい時間が一瞬で台無しになるこの感じ。彼女は、物事の本質より“損か得か”でしか判断せず、少しでも自分が“損”をしたと感じると、誰彼構わず敵意を向けてくる。
——それは、家族であっても例外ではなかった。
思えば、こうしたさと子の金銭感覚や他者への攻撃性は、以前から兆候があった。尾道に行ったときのことを思い出す。自分が“やりたい”と思ったことには金に糸目をつけないくせに、誰かが得をする場面では、見苦しいほどに嫉妬と敵意を露わにする。
それがやがて、韓国の新興宗教への莫大な献金へとつながっていく。私が汗水垂らして働いて得た金を、感謝の一つもなく湯水のように使い、家庭を破綻へと導いていった。自分が稼いだ金ではないから、その重みも痛みも分からない。だから平気で“正義”の仮面を被って、どこまでも身勝手な信念に突き進むのだ。
あの夜の車内で、私は初めてはっきりと悟った。
——この人とは、生きる価値観そのものが違うのだと。




