子供の成長
引っ越してから四ヶ月が過ぎ、賢が二歳の誕生日を迎えようとしていた。そんな中で、私が気になっていたのは、言葉の発達の遅れと、もう一つ——外でどうやって身体を動かす機会をつくってやるかということだった。
さと子は、周囲の目を気にしてなかなか外に連れ出そうとしなかった。他の子供たちと比べてしまい、つい自信をなくしてしまうのだろう。けれど私は、周囲が何を言おうが、賢は賢、他の家の子は他の家の子と割り切っていた。外の世界を見て、風に当たって、色んなものに刺激を受けなければ、ますます差が開いてしまう——そんな思いから、私は天気のいい休日には賢を連れて、近くの神社や公園へと出かけるようになった。
私の姉から譲ってもらった三輪車が、その大きなきっかけだった。もちろん私が乗ってこぎ方を見せるわけにはいかないので、賢を座らせて、ペダルに足を乗せさせてやりながら、片手でハンドルを、もう片方の手で足とペダルを押さえ、一緒にこぐ練習をした。最初はぎこちなくて、ペダルを踏むタイミングもつかめなかったが、何度も繰り返すうちに、少しずつ賢の足がリズムを覚えはじめた。
時折、近所の子供たちが遊びにやってきて、三輪車のこぎ方を見せてくれたり、賢が飽きた頃には一緒に走り回って遊んでくれたりするようになった。そうして自然と、賢の周りにも年の近い子供たちが集まるようになってきたのだ。私はその様子を見守りながら、「やっぱり子供は子供同士で遊ぶのが一番だ」としみじみ感じるようになった。
不思議なことに、子供たちは賢のことを特別扱いすることもなく、ごく自然に受け入れてくれていたようだった。そのことをさと子に話すと、
「じゃあ、私も一緒に遊んでみてもええかねぇ」
と、ぽつりと言った。
「子供は子供同士で触れ合うのが一番。もっと外に出て、気にしないようにせんといけんよ」
私はそう励ましたが、さと子は最初、なかなか馴染めなかったようだった。ある晩の夕食時、箸を止めながらこんなことを聞いてきた。
「なんであんたは、子供とあんな気軽に話ができるン?」
私は少し考えてから、こう返した。
「俺は、子供だからって特別扱いはしてないんよ。自分が小さかった頃に、大人にしてもらって嬉しかったことを、そのまましとるだけ。お前は知らんうちに、子供との間に壁を作っとるんじゃないか?」
さと子は黙ってうなずいた後、「確かに、そうかも知れん」とぽつりと言った。
子供は無邪気だ。うれしいことには素直に笑い、怖いことにはちゃんと泣く。そんな賢の表情一つ一つが、私には何よりの答えだった。そして、周りの子供たちに受け入れてもらうために必要なのは、ただ、賢自身が笑顔でいること——それだけなのだと、自分の子供時代を振り返りながら思い出していた。
それからというもの、さと子も少しずつではあるが、賢を連れて外に出る機会が増えていった。ときには他の親子と話をするようにもなり、少しずつ世界が広がっていくようだった。
ただ、三月とはいえ、まだまだ風の冷たい日も多く、油断した私たちは、うっかり賢に風邪を引かせてしまった。
それでも、寒空の下で三輪車をこぐ賢の笑顔は、私たちの中に確かに小さな希望を残してくれていた。




