家族の問題・祖母の危機感
2003年2月も終わって、3月に入り幼稚園の年中さんとしての最後を迎えた賢。この年中になってからも色々とあった。賢が幼稚園で、母親がついていながら行方不明になって、大騒ぎになったり、さと子の数々の暴言や、無軌道な行動に振り回されたり、色々と幼稚園にも迷惑をかけたなと思う。そんな中迎えた年中最後の3月。
3月最初の書き込みは私がしている。
3月2日
昨日は幼稚園のほうに、賢と一緒に行く予定にしてたんですが、私が夜勤明けで眠り込んでしまい、起きたのが15時だったので、だめになってしまい、賢にはちょっと悪いことをしたなと思っています。金曜日にさと子に連れて行ってもらってよかったと思う私です。
そして起きてから、野菜を買いに、悠も連れて行ったのですが、リンゴを売っていたのでリンゴを買って帰りました。
そして今日は天気もよく、暖かかったので、防府天満宮に梅の花を見に行ってきました。鳩のえさを買って、鳩のいるところに行ったんですが、鳩もおなかがいっぱいだったのでしょうか、全く来てくれませんでした。1時間粘ったんですがダメでした。鳩にふられたので、佐波川の河川敷に行って、土筆が出てないかなぁとさがしに行ったんですが、そこでも土筆はまだ全然出ていませんでした。やっぱりまだ早すぎたのかもしれません。でも、帰りに菜の花がきれいに咲いているのが見られたのでよかったです。もう菜の花が咲く季節になったんですね。今度菜の花をとりに行って、野菜炒めでも作ろうかと思っています。
今日は昨日買ったリンゴと、紅茶を使ってアップルティーを作って皆で飲みました。賢も悠も、おいしそうに飲んでくれたのでよかったです。
こうして連絡帳を改めて見返してみると、色々とあったが、賢も成長していたんだなと、今になって思う私である。賢が成長し、悠も自分の兄を
「にーたんと遊ぶ~」
とか言って、楽しく過ごしていたようであるし、はたから見れば、ごくどこにでもいるような、普通の兄弟のようであった。その反面、全く成長しないのがさと子で、自分にとって都合の悪いことはすべて他人のせい・自分の思い通にならないことや自分が失敗したことも、すべて他人のせいにしていた。この親子4人の中で一番幼稚な考えを持っていたのが、さと子だった様な気がする。まだ幼稚園にも行っていない悠にも
「お母さんの言っていることが変」
と、ツッコミを入れられていた次第である。
そして、年中の三月を迎えて、連絡帳も私が書き込みしたところで、ページがなくなってしまい、しばらくの間連絡帳の書き込みができなかったのであるが、3月5日から書き込みが再開されている。ただ、先生が学年末ということで、忙しくて連絡帳への返事がなかなかかけなかったようで、しばらくの間返事はなかった。
3月5・6・8日の書き込みはさと子がしている。
3月5日
園から帰ってからはゆっくり過しました。
コチョコチョ攻撃をかけると二人とも笑い転げていました
お風呂はお父さんと3人で入り、3人で仲良く浸かっているのを見て、楽しそうでした。
夜は寝る前に本を読んでもらい、ぐっすり眠れました
3月6日
よく眠れたのか、朝ごはんをしっかり食べました。おもちゃを少し出してカシャカシャと遊んでいます。
今日は午後1時20分くらいに迎えに行きます。幼児相談のため早退します。
3月8日
今日は、田舎のひいばあちゃんのお見舞いに、兄弟と母で行きました。あまり元気がないせいか、兄弟が声をかけたり、一緒に遊びましたが、布団に入り、休むことが多かったです。空気が美味しく、自然がいっぱいなので、外で駆けずり回っていました。探検して疲れたようで、ぐっすり疲れて眠りました。
お土産のケーキ(賢の誕生日なので)を頬張って食べて、少し苦しそうでした。レアチーズケーキおいしそうでした。
「賢は5歳になりました」
と言って、誉められていました。仏様とお墓で、しっかり手を合わせて家に帰りました。車の中はカラオケタイムでした。田舎に行くと遠いけれど、空気がとてもよくて大変だけどいいです。子供ものびのびしてました。
そして3月9日は私が書き込みをしている
今日は、賢の誕生日が明日ということで、家でささやかながらバースデーパーティーをしました。材料を買って、家で生地を練って、生クリームをあわ立てて、デコレーションを色々つけ、下手くそながらも味は美味しくできました。賢と悠はその間、平成狸合戦ぽんぽこを見ていたのですが、気になるようで、顔を出しては、つまみ食いをしていました。そしてケーキを食べるのは、
「ご飯を食べた後
というと、かなりはぶててました。その後、お汁粉の団子を丸めるのを賢と悠にもさせてみたんですが、賢はわりと上手に丸めていましたが、悠は粘土と思ったみたいで、そこらじゅうに塗りたくってました。ケーキを前に写真を撮って食べたのですが、まぁみんなよく食べました。全員食べ過ぎてその後グロッキーになっていました。
さと子も、私の祖母の具合が悪いということで、見舞いに出かけたんだと思うが、これは祖母がこの年の9月に亡くなった後、熊毛の両親から聞いた話であるが、生前祖母は
「あの女(さと子)の世話にだけはなるな」
と、息を引き取る直前まで、そう自分の娘たちに言い聞かせていたようである。恐らく、私の祖母も、さと子がどんな女なのか、見抜いていたのだろう。いくら年をとっていたとしても、いくら認知症が進んでいたとしても、さと子のことはしっかりと見抜いていた祖母。今は、さと子との縁も切れて、天国で安心して暮らしていると思う。やっぱり、いくら自分をよく見せようと思っていても、自分が普段から行っている行動や、癖っていうのは出てしまうんだと思う。それに気付いていた祖母。伊達に97年の生涯を生きただけのことはある。祖母なりに、さと子に対して、危機感を持っていたのだろうと思う。97歳の祖母にまで危機感を覚えさせるさと子って、やっぱり危険人物だったのだろう




