カウントダウン
セミの鳴き声が変わる。
夏の前半と後半で鳴くセミが変わるからだ。
今年も残暑は厳しくて、セミの鳴き声さえも「暑いよぉ~。」と泣いているように感じる。
⦅クーラーが無くても過ごせたのは何時までだったのだろうか。
子どもの頃は扇風機で過ごせたのに、今はエアコンが無いと夏を過ごせない。
昔は良かったのかな?⦆
そんなことをボンヤリと考えながら洗濯物を干していた。
あれから、章一に離婚の話をしている加奈子だった。
章一は「離婚しない。」しか言わない。
加奈子には理解できなかった。
⦅私と結婚していたら、好きな人が出来ても……
あの人が……誰かを愛しても……叶わぬ恋になるのに……。
そして………私は永遠の片思い……。
もう、お互いに離れるしかないのに……。
唯だけしか……あの人と私を繋いでいるのは唯だけ……。
こんなこと……辛いだけなのに……。⦆
冬休みまでに離婚の話が進まなかったら、唯を連れて実家に帰ることに心を決めた加奈子に、ただ「離婚しない。」しか伝えない章一。
二人は夫婦なのに、話し合いにもならなかったのだ。
唯が寝てから、今日も加奈子は章一に話した。
それは最後通牒だった。
「貴方、お願い。ちゃんと話をして!」
「何度でも言うよ。俺は離婚したくない。」
「どうして?」
「どうして? 家族だからに決まってる。
家族だろう。俺と加奈子と唯は……。
離婚したら家族じゃなくなる。
それは耐えられない。」
「貴方は……これから先、好きな人が出来るわ。」
「加奈子!」
「好きな男性が……いいの? このままで……。
最初から私じゃ駄目だったのに、いつまで仮面を被り続けるの?
私も被り続けないといけないの?」
「仮面………そんな………。」
「仮面よ。嘘で塗り固めて、仮面を被って夫婦じゃないのに、夫婦なのよ。」
「加奈子……。」
「もう解放してよ。お願い。もう無理なの。」
「俺が……ホモだから……。」
「私を永遠に見てくれないわ。」
「見てるよ。」
「見てないわ! 見られないくせに……恋愛対象じゃないくせに……
嘘ついて私と付き合って結婚して……。
私にだけじゃなくて親にも嘘ついて……。」
「俺が苦しまなかったとでも思ってるのかっ!」
「苦しんで当たり前じゃないの!
嘘で塗り固めて無理して女と結婚したのだから!
付き合いたいと思わなかったのに、好きでもなかったのに……
無理して苦しんで……結婚して……幸せなわけないじゃないの。
違う?」
「……違わない。」
「だから、解消しましょう。
お互いの為に、他人になって……お願い。」
「唯は? 唯は親の離婚で家族を失うんだぞ。それは嫌だ。」
「失わないわ。」
「えっ?」
「パパは離婚してもパパなのよ。
どこに居ても唯のパパは貴方だけなの。貴方一人なの。
離れて暮らすだけよ。
いつ会ってもいいのよ。
唯はパパが大好きなんだから……唯のパパなのよ。」
「…………。」
「もし、貴方が好きな男性と一緒に暮らしたいと思っても
今のままなら無理でしょ。
唯に理解をさせるの?
大人でも難しいのに……娘にさせるの?」
「……………。」
「同性のカップルって理解されてないんじゃないの?
それを娘にさせるの?
私は知られたくないの。唯にだけは……貴方のこと…。
もし、唯が『愛し合っていない夫婦の子ども』だって事実を
その事実を知った時、どう話せばいいの?
分からない。私はどう話したらいいのか分からないの。
だから、離婚して。
離婚して貴方と離れたら、ちゃんと話すことが出来る日まで
あの子が理解できる日が来るまでは知られたくないの。」
「加奈子……俺は……唯がたった一つの居場所なんだ。」
「居場所?」
「うん。お前が言う通りだよ。
理解して貰えないんだ。誰にも……表に出せないんだ。
影なんだよ。
そんなんだから、どこにも居場所が見つからなかった。
唯だけが俺の居場所なんだ。
俺をパパって呼んでくれて、愛してくれる。
唯の前でだけは仮面を着けなくていいんだ。」
「そう……唯だけが居場所……。
私は……微塵もいないのね。」
「ち……違うんだ。違う。」
「私、永遠なのね。」
「永遠?」
「そうよ。永遠……。
愛されてないのに……私の恋は永遠に片思いなのに……
仮面を着ける。着け続ける自信がないの。
……私自身が……もう……貴方と暮らせない。
だから、もし、ほんの少しでも夫に愛されない人生だった私を……
私を哀れだと思ってくれたなら、離婚してください。
お願いします。」
「加奈子……もう駄目なのか?」
「だって、私の想いは永遠に届かないもの。貴方に……。
せめて……貴方を愛した私を……この苦しさから逃して!
今も…貴方のことを嫌いになれない私を救って!」
「俺は……。」
「苦しい時間を過ごしたけれども、幸せな時間も沢山ありました。
唯を私と育ててくれて……ありがとう。
冬休みになったら私は唯を連れて実家に帰ります。
唯と二人で生きていきます。
貴方は貴方らしい人生を送って下さい。
そして、唯の大好きなパパとして生きて下さい。」
「加奈子!」
「もう無理なのよ。お願い。分かって……。」
それからも加奈子は努めて明るく過ごした。
章一は何とか妻との離婚を避けたいと思い続けていたが、季節が巡るのは早かった。
紅葉の季節は短く、気が付けば街にはクリスマスソングが流れるようになっていた。
離婚迄のカウントダウンが既に始まっていたのに、章一だけが留まっていたままだった。