変わらぬ日常を演じる
加奈子の気持ちが砕け散ってしまっても日常は過ぎていった。
浴衣を干し、汗を少しでも蒸発させた翌日にクリーニングに出した。
プリントアウトされた唯の愛らしい浴衣姿。
唯の写真を両家の親に送る為に手紙を書いた。
頭が動かなかった。文章が出てこないのだ。
それでも何とか書いた手紙に唯の写真を入れて両家の親に送った。
朝、小学校へ行く唯を何も変わらない日のように送り出している。
涙は枯れることが無いのではないかと加奈子は思っていた。
家事をする気力もなかったけれども、唯の為に家事をしていた。
家事をしていても涙が止まらず、誰も居ない家で一人泣きながら家事をしていた。
苦しかった。そして悔しかった。
章一のダメージは無いように思えたからだった。
唯が中学生になってから何か仕事をしたいと思っていたし、知らない頃は第二子に恵まれることを密かに望んでいた。
いつか、そんな日がやって来るはずだと思っていたのだ。
それが、叶わない夢に終わったのだ。
もう二度と肌を合わせる日はやって来ない。
加奈子には夫婦の将来の姿でそれだけが分かったのだ。愛されることのない妻なのだと……。
会社で仕事をしている時だけ章一は妻との会話を忘れられた。
仕事で忙しくしたい。忘れる為に……帰る時間を遅くする為に……。
⦅どんな顔をして帰ればいいんだ。
加奈子は許してくれないのだろうか?
加奈子のことも唯のことも大事なのに……。
触れ合わないのは罪なのだろうか?
恋人を作っていないのに?
俺は不貞をしていない。それでも……駄目なのか?
男同士でも結ばれることが許される社会だったら……
俺は加奈子と結婚していない。
結婚していない……それが罪なのか……。⦆
家に帰るのが辛くて堪らなかった。
そんな日が続いていた頃、章一の携帯電話が鳴った。
「章ちゃん。」
「母さん、何? どうしたの?」
「受け取ったわよ。可愛い唯ちゃんの浴衣姿!
ありがとうね。
加奈子さんにもありがとうって伝えてね。」
「あぁ……送ってくれたんだ。」
「そうよ。知らなかったの?」
「うん。聞いてなかった。」
「ちゃんとコミュニケーション取りなさいよ。
夫婦で大事なのはコミュニケーションよ。」
「分かったから……。」
「お盆には帰って来る?」
「分かんない。」
「そう、お盆には帰って来てね。出来たら!」
「そうだね。」
「加奈子さんの実家に帰るのなら、『ご無沙汰してます。』と……
それから『うちの両親は元気です。』と……
『そう伝えて下さい。って言われてます。』って、そう、ちゃんと伝えてよ。」
「母さん、俺、子どもじゃないからね。」
「でも、章ちゃん……。」
「分かったから……。もう切るよ。」
「はいはい。じゃあね、元気でね。」
「うん、父さんと母さんも元気で!」
「伝えておくわ。じゃあね、バイバイ。」
「うん、バイバイ。」
電話を切ってから、見上げるとマンションの我が家の明かりが見えた。
⦅帰りたくないなぁ……。⦆と章一の足取りは重くなっていた。