夫婦の蝋燭
季節が幾度か変わり、再び柔らかい日差しが降り注ぐ春になった。
マンションのバルコニーには唯が育てているチューリップが色とりどりの花を咲かせている。
唯は男児を出産した。
大輔も大輔の両親も大喜びだった。
唯の母・加奈子も、父の章一も喜んでくれた。
章一はあの日の約束通りに滅多に孫に会いに来ない。
あの日、章一から話を聞いた加奈子も唯の気持ちを最優先にしている。
二人は何度も悔やんだ。
「カミングアウトをしたこと」を……悔やんでも、もう「カミングアウト」する前には戻れない。
章一は今もあの若い男性と暮らしている。
彼には「二度と唯には会いに行かないこと」を守って貰えている。
大輔には今のところ知られてはいない。
それでも唯の心の中には「知られるのが怖い」という気持ちが払拭出来ずにいる。
ネットを見て大輔が「同性同士って、なんだか嫌だなぁ……。こんなこと言ったらいけないんだろうけど……俺は近づきたくない。」と言ったのだ。
それを聞いてからの唯の不安は大きくなって、時々涙が止まらなくなってしまう。
唯は二人目を望んでいる大輔と違い、二人目を産むことが怖くなっている。
頭の中から「離婚」の文字が消えないどころか大きくなっているからだ。
そんな中、唯の第二子妊娠が分かった。
周囲の喜びと反して、唯は精神的に少し不安定になっていた。
⦅ずっと、これから先も秘めて生きていかねばならないのなら苦しい。⦆と胸に秘め続ける苦しさが募っていた。
大輔が胎児の3Dを見て喜んでいる姿さえも唯は苦しかった。
そんな様子を見た母・加奈子が「今日はうちに泊まらない?」と言ってくれた。
大輔も「唯の悪阻が治まるまで、好きな時に実家でゆっくりした方がいい。」と言ってくれた。
大輔は息子を連れて実家に帰り、唯だけが母の所へ……。
「大輔さん、いいの?」
「はい。俺も親孝行出来ますし……。
孫には何度会っても喜んでくれますから……。」
「そう……ありがとう。ご両親によろしくお伝えしてくださいね。」
「はい。……唯、最近、元気が無いんです。
悪阻も息子と一緒だと辛いと思うので……この連休中だけでも……
どうかよろしくお願いします。」
「はい。大輔さん、本当にありがとうございます。」
「唯を宜しくお願いします。」
「はい。連休中はお任せください。」
加奈子は章一から聞いたことを思い出していた。
どう娘に話せば良いのか分からなかった。
二人で家に帰った。
加奈子の実家近くの狭いアパートに……。
離婚後、加奈子は実家近くの安い家賃のアパートで唯と暮らした。
唯は「お家に帰りたい。」と泣いていた。
「お家で待ってないとパパが帰って来られない。」とも言った。
⦅章一は離婚によって失うことも大きかったが、得たことも大きかった。だが、娘の唯は失っただけだった。⦆と加奈子は思う。
家に着いて、二人でゆっくりお茶を飲んだ。
そして、加奈子は唯に聞いた。
「唯、苦しい想いをしているのなら、お願い吐き出して。
ママに吐き出して。」
「ママ……。」
「パパから聞いていたの。辛い想いをしていること……。
ごめんなさいね。パパとママの判断が間違っていたわ。」
「ママ!」
「第三者からパパのことを聞いたり、パパが男性と仲睦まじく居る所を……
万が一、唯が見てしまったら……それが怖かったのよ。
だから、話したの。
でも唯に対する配慮が足りなかったわ。」
「ママは悪くない。悪くない。」
「唯……話して気持ちを。」
「……大輔は言ったの。『同性愛者に近づきたくない。』………。
そう言ったの。」
「そう、一般的な……気持ちよね。」
「パパが……パパのこと知られたら離婚になるの?」
「……分からないわ。
……離婚になるのはね。夫婦の蝋燭に灯を点けられてない場合よ。」
「夫婦の蝋燭?」
「そう、夫婦の蝋燭。 恋愛中は恋の蝋燭。
結婚して夫婦になったら、恋の蝋燭から夫婦の蝋燭に灯を移すの。
恋の蝋燭の灯を夫婦の蝋燭に……灯を点すの。
それが出来ていたなら離婚には至らないとママは思うわ。」
「……どうすればいいの?」
「信頼とかかな?
ママは蝋燭に灯を点せなかったから、ごめんね。分からない。
でも、気持ちを感情的にならずに伝え合えたらいいわね。」
「……言う勇気がないの……。」
「そうよね。……私も無かったなぁ……。」
「ママ?」
「パパに『貴方は男の人が好きなの?』って聞く勇気。
勇気は無かったけど、聞くしかなかった。」
「ママ……。」
「パパがもし……女の人と不倫していたら離婚してなかったかもしれないわ。
でも、努力しても待っても無理だったから……そうでしょう。
絶対に愛されることはないんだから……紙切れだけの妻。
だから、勇気を出して聞いたの。
事実が分かった時、その時に『離婚して!』ってパパに言ったわ。
唯とは違って、ママの場合はママだけが恋愛の蝋燭を大切に……
大切に持ってたのよね。 灯が点ってない恋愛の蝋燭を……。
そして、そのまま夫婦の蝋燭も持ってたのよ。一人だけで……。
灯を移し替えたかったけど、灯が点ってない恋愛の蝋燭だったから……
初めから無理だったのよ。
唯はママと違うでしょう?
恋愛の蝋燭には灯が点ってるわ。
その灯を大輔さんと二人で助け合って、夫婦の蝋燭に移し替えている所よ。
今、真っ最中ね。
だから、しっかり気持ちを落ち着かせて。
唯の気持ちが落ち着くことが先決じゃないかしら?
子どもの為にも、ね。」
「ママ、私……パパを許せないの。」
「うん。許せなくていいのよ。」
「パパは失うものはなかったわ。逆よ!
得たの。離婚して!
好きな人に『好き!』って言えて、付き合って……楽じゃん。
ママと離婚して何人かと付き合って、パートナーと暮らして……
楽になったのよ!」
「全く何も失わなかったわけじゃないわ。」
「ママ?」
「唯と暮らすことを失ったわ。
唯だけが……あの人の子どもだものね。
生まれた時も凄く喜んでいたわ。」
「……でも……。」
「離婚したくなかったのよ。パパは……。
唯と離れたくなかったのよ。パパは……。
ママが無理だと言ったの。
パパは唯を愛してるわ。
……パパはパパで苦しくて辛い結婚だったのよ。
好きになれない女と……辛かったと思うわ。」
「ママはパパを許したの?」
「許す?……それは……一生出来ないかもね。
許せなくても、今は理解出来ることがあるのよ。
離れてからもパパの唯に対する愛情は変わらなかったから……。」
「今日のこともパパに話すの?」
「勿論、パパとは愛し合えなかったけど……。
父親と母親としての絆はあるのよ。
絆を築き上げたのよ。
唯も出来るわよ。今、その最中じゃない。」
「パパのこと……話した方がいいの?」
「それは、先ず無事に赤ちゃんを産んで、二人の子どもを育てていくうちに
もしかしたら答えが出るかもしれないわね。
ごめんね。答えになってないわね。
ママも分からないのよ。」
「……答えは私が見つけないといけないのよね。」
「そうね。
でも、ごめんなさい。
唯を苦しめたのはママだわ。
パパにカミングアウトのことを相談された時、いいんじゃないかって思ったの。
そろそろ話してもいいんじゃないかってパパに言ったのよ。
だからママが間違っていたの。
唯………ごめんなさい。本当に間違っていたわ。」
「ママ……。」
「ママを許さなくていいの。謝って済むことじゃないから……。
ただ、これからも話して!
ママに暴言吐いてもいいのよ。
全て受け止めるわ。母として……。」
「……ママ、9ヶ月になったら帰ってきてもいい?」
「里帰り出産? いいわよ。」
「大輔に相談して、いいって言って貰えたら帰ってくる。
ママ、お願いね。」
「ええ………唯、ありがとう。」
「ママ……。」
唯は大輔に父のことは伏せておこう決めた。
先に無事に出産すること、そして、それから子育てを通して大輔と夫婦の蠟燭に灯を点すこと……。
それが出来たと思えたら、その時に父のことを考えよう!と決めたのだ。
もしかしたら、大輔に話す前に知られてしまうかもしれない。
それでも、今、話してしまうのは避けたい。
先延ばしにしただけだけれども、それが最適だと唯は思えた。
もしかしたら……この唯の判断は適切ではないかもしれない。
【あとの祭り】になってしまうかもしれない。
でも、今は夫婦の蝋燭に灯を点す努力をしようと唯は決意したのだ。
実家を出た唯の顔は晴れやかで、桜吹雪の中を歩く足取りは軽やかだった。
⦅家に帰ったらベランダのチューリップに水をあげよう! それよりも先に可愛い息子を抱きしめたい。そして大輔に抱きつきたい。愛していると伝えたい!⦆と唯は思いながら、家路を急いだ。




