挙式前の不安
桃の花が満開に咲いている公園を通って、職場へ向かう人々がビルの中へと吸い込まれていく平日のオフィス街を唯も歩いている。
大輔への返信を出来ないまま朝を迎えたのだ。
職場に着くと、同時期に結婚する1歳上の先輩から「おはよう。」と声を掛けられた。
「おはようございます。」と返事をしてから急に先輩の挙式を知りたいと思ったのだった。
昼食時の休憩時間に先輩に声を掛けた。
「先輩。挙式準備は進んでいますか?」
「それがね……彼が忙しくて、なかなかなのよ。
向井さんはどう?」
「彼が積極的に動いてくれてます。」
「羨ましいわ! いいなぁ~。」
「……先輩はどんな式ですか?」
「どんなって?」
「キリスト教の教会なのか、神社なのか……とかです。」
「私はキリスト教の教会で……って言ってもね。
結婚式場内の教会なのよ。」
「私もです!」
「そう、一緒ね。ウエディングドレスは決まった?」
「はい。」
「そうか……いいなぁ……。」
「まだなんですか?」
「うん。忙しくて決めに行くことも出来てないの。参ったわ。」
「……バージンロードは、お父様とですよね。」
「ううん。父は居ないから……。」
「済みません!」
「話してなかったんだから気にしないでよ。
うちは……急に居なくなったの。
ある日の朝、父は居なくなっちゃったのよ。
どこに居るのか分からないの。」
「……そうなんですか……。」
「だから、うちは母と歩くのよ。」
「お母様と……。」
「だって、居ないんですもの。無理でしょう。」
「そうですね。」
「向井さんはお父様と歩くのよね。」
「あ……うちの両親……離婚してるので……。」
「そうだったの。……うちと似たり寄ったり、ね。」
「そうですね。……でも、父は離婚しても……私を……。
一緒に暮らしていなかっただけなんです。
父は経済的だけでなく、遊びに連れて行ってくれました。
定期的に面会してて、それ以外でも私が会いたがったら会ってくれてた。」
「離婚しても、お父様は向井さんの成長を見守って下さったのね。」
「……はい。」
「うちは何が理由か分からないまま失踪したの。
だから、経済的にも精神的にも母は大変だったの。」
「そうですか。」
「だから、羨ましいわ。
お父様が大切にした証拠でしょ。向井さんを……。
大切じゃなかったら遊びに連れて行って貰えないものね。」
「そうですね。」
「どうしたの? 暗いわよ。」
「………分からなくなっちゃって……。」
「何が?」
「父とバージンロードを歩きたくない……とも思うんです。」
「そうなんだ……。」
「父は……母を……愛してなかったから、本当は母が産んだ私のこと……
嫌いだったのかな?って思ってしまうんです。」
「失礼なこと聞くけど、お父様は不倫したの?」
「不倫……ではないです。
……母を愛してなかったのに結婚したんです。
世間体とか、親の為とか…で……母は父を愛しているのに……。」
「好きでないのに結婚したの……昔みたいね。」
「そうですね。」
「それが引っ掛かってるんだ。」
「はい。……父に感謝はしています。してるんですけど……。」
「お母様にも歩いて貰ったら? お父様だけじゃなくて!」
「両親と歩くんですか?」
「同時に歩いてもOKなのか……別々に前半と後半に分けるのか……
相談してみたら、婚約者さんに!
二人で決めたら、それを式場側に……ね。」
「はい。」
「あ~ぁ、羨ましいなぁ~。」
「羨ましい……ですか?」
「そうよ。お父様が経済的にもお母様を支えてくれてたんでしょう。
大学に行くのもお母様一人の力ではなかったんでしょう。
大きいわよ。その差は……。
少なくとも、私の父親のように無責任じゃないわ。
家を会社に行ってきます!っていう風に出て行って帰って来なくなった。
そんな父親より遥かに父親の責務を負ったのよ。
いいお父様じゃない。」
「そうですね。」
「さぁ、昼からの仕事、頑張りましょう。
大切なお給料、貰わなくっちゃ!」
「はい。」
その場に残り、唯は大輔に返信メッセージを送った。
「大輔、遅くなってごめんね。
バージンロードだけど、私、母とも歩きたいの。
両親と歩くの……大輔は嫌?」
就業時間を終えた頃、大輔から返信が来た。
「いいね! お二人とも喜んでくださるんじゃないか?
いいよ。それっ!
ウエディングプランナーに話そうよ。
早速だけど、次の打ち合わせ時に唯から話したら?」
「うん。そうする。」
「楽しみだなぁ……。
そうだ!苗字はどうする?」
「私が石原になるのよね。」
「どっちでもいいと思ってるんだけど……。」
「大輔が向井になってもいい……ってこと?」
「うん。そうだよ。
俺は次男だし、唯は一人っ子だろ?
苗字消えちゃうけどいいのか?」
「考えたことないわ。」
「表札を見て知ったんだけど、お義母さん……。
離婚しても変えなかったんだよね。苗字!
それって、二つ理由があるように思うんだ。」
「二つ?」
「うん。一つは唯が幼くて名前を変えるのは可哀想だと思ったから、でっ
もう一つはお義父さんの苗字である向井が消えてしまうこと。
お義父さんが一人っ子だったら、苗字が消えるからね。」
「私、聞いてないのよ。
でもね、幼い娘の苗字を変えることをしなかったのは想像できるわ。
それから、父は一人っ子よ。」
「そうか……じゃあ、両方かもね。
だったら、俺が向井になるよ。」
「えっ? でも……。」
「うちの親には俺から話しておくわ。」
「いいの? 本当に……。」
「いいって……気にしない!
そんなに立派な家じゃないから、さ。」
「……ありがとう。」
「じゃあな。俺今から、同期の野郎共から居酒屋に連れて行かれるんだ。」
「連れて行かれるの? 一緒に飲みに行く!じゃないの?」
「否、拉致されるんだ! 両隣に今、居るんだ。」
そう言った後、同期にスマホを盗られたようだった。
着信音が鳴って出ると、「唯ちゃん、お久ぁ~。今から大輔を飲ませます。拉致じゃないからねぇ~。ちゃんと帰すから安心して、じゃあね。」と、切られた。
その通話の間に「拉致じゃねぇかっ!」「離せよ。もう逃げないから……。」「行くって言ってるだろう?」という大輔の声が聞こえて来ていた。
大輔の声と共に、他の男性の声で「唯ちゃんとの惚気話くらい聞かせろや。」という声も笑い声と共に入っていた。
大輔は友達が多く、ほとんど紹介して貰っている。
聞いたことがある声ばかりだった。
通話が切られた後、唯はスマホに向かって「行ってらっしゃい。」と話していた。
その後のウエディングプランナーとの打ち合わせで、バージンロードを最初は父と歩き、途中で父から母に代わることが決まった。
大輔の提案で「当日まで伝えない。」ことにした。
大輔は唯の母への「サプライズ」にしたいと言ったのだ。
そして、約一年後の春爛漫な4月。
唯と大輔の挙式が執り行われた。




