高砂・青春編
これは小説習作です。とある本を開き、ランダムに3ワード指差して、三題噺してみました。
随時更新して行きます。
【お断り】「薪、偽り、根」の三題噺です。
(以下、本文)
山のような薪を背負って、僕は山を降りて行く。
麓の家で、母と妹たちが僕を待っている。
妹たちは自分の手遊びに夢中で僕の事など振り向きもしないが、母は「ごくろうさん」ぐらいの事は言ってくれる。
それでいい。僕のごほうびは母が作ってくれる豆スープだ。「おいしい」と感じる舌にウソ偽りはない。薪なんて、誰が取って来ても同じだけど、僕は僕がそういう役回りになってる事に、とても満足している。
父は女を作って、どこか遠い所へ行ってしまった。田や畑は「おまえたちには無理だろう」と、もっともらしい理由を付けて、あの親切な人たちに取り上げられてしまった。残されたのは柴がぼうぼうの荒山だ。
僕はこれを宝の山に変えて見せる。母を安心させてやりたいからだ。妹たちに嫁入り道具が必要になった時、肩身の狭い思いをさせたくないからだ。「自分の子どものために」とは言わない。まだ「自分の子ども」って想像できないから。
幸い、僕の山の土は痩せている。水分の少ないパサパサした土で、なぜか陽当たりだけはいい。玉にキズなのは柴がぼうぼうで、このままではアカマツの苗を植えても柴に負けてしまうだろうと言う事。
僕は戦うよ。松食い虫にだって芯切り虫にだって負けやしない。なんなら、この山のそばに小屋でも建てて、アカマツと結婚したっていい。人と木が結婚できないなら、僕が木になっちゃえばいいんだ。
「木と結婚」? いきなりで驚いたと思うけど、これには訳があるんだ。順を追って話すよ。
最初は「松茸山でひと儲けしてやろう」ぐらいの軽い気持ちだったんだ。でも、いつからだろう、僕が山に呼ばれるようになったのは。「こっちへ来い。こっちへ来い。こっちへ来て、私の一部になれ」と言われているような気がした。もちろん気持ちが揺れた。人間だもの。「人間やめますか。松茸山やめますか」と言われてもなあ。
そんな折も折、隣の山の山主に頼まれて、僕は山仕事を手伝いに行った。隣の山は青く見える。いや、真っ赤っ赤に見えた。分け入っても分け入っても青い山、じゃなくて、行けども行けども赤い地肌のアカマツ山。僕は「これだ!」と思った。それ以来、僕はアカマツに恋してしまった。松茸なんて、生えたきゃ勝手に生えればいい。
僕はいつの日かアカマツの精みたいな女の人と出会うんだ。夢のような恋の末に結ばれて夫婦になり、最後はシワシワのおじいさんと、シワシワのおばあさんになって、死んだら松茸の肥料になりたいな。いや、「松の樹の下には屍体が埋まつている」は、ちょっとまずいか。松茸は余計な施肥を嫌うからね。
僕たち夫婦は、ただ熱心に落ち葉かきをして、害虫と戦い、アカマツの根がくれる贈り物を待てばいいんだ。
結局、僕も女を作って母の家から出て行くんだな。やってる事は、父とあんまり違わない。
父は月のきれいな晩に、入江から小船の帆を上げて、海の向こうに探しに行ったんだそうだ。父と女の人が暮らせる幸せの国を求めて。女だけの島を求めて。(いっしょに逃げた女の人とは、とっくに切れたらしい。)僕はそれを否定はしないよ。それはそれで一つの生き方だろう。
父さん、僕はとっくに自分の国を見つけたよ。松の根に、吸い込まれるように消えて行く自分の行く末を、僕はしっかり見つめている。
こひにこひし、まつにこひする僕。今が僕の青春だ。
【注釈】
「こひにこひする」の「こひ」は「恋」と「来い」の掛け言葉。
「まつに恋する」の「まつ」は「松」と「待つ」と「俟つ/期待する」の掛け言葉である。