料亭・伊佐
和都歴1124年 12月1日 午後1時
私はこの❝本置田建設工業❞の石碑から車へ戻る途中、彼への疑念を感じ始めていた。
彼は、何故去ったのだろう。私は確かに彼にまだ未練はある。
しかし、彼には全く未練がないのだろうか。
未練がましいとは別に、人は愛するが故に、その別れには未練が残るもの。
それを整理する時間が彼にはあったのだろうか。
彼への執着は、また違う形で私を縛り付けることになった。
少し気分を変えて、曲を聴きながら車を南へ走らせる。
行き過ぎればこの村を出てしまう。
しばらく走ると、ガス欠に気づく。
タイムリーにスタンドが見えた私は、ガソリン補給にスタンドに車を入れる。
ガソリンを入れながら、通りを挟んだ前のボロボロの厩舎が見える。
人気もないスタンドに、私は車を放置して、通りを渡り、厩舎まで歩いてきた。
❝日輪 いさ牧場❞
看板にはそう書かれているが、建屋はボロボロで、半分は崩壊してしまっている。
中も砂だらけで、時の流れを感じる。
建屋の横を見ると、奥に石碑がある。
気付きにくい、森の中だ。
私は石碑に近づき、刻まれた文を読み始めた。
>この料亭・伊佐で、俺は色々な人間を騙し、村の乙名になった。
皆は知らなすぎる。この祖柄樫山が神の降臨した地であることを。
天孫降臨により、神の子孫は確実にこの地に点在する。
神の子孫は、神酒・御美姫を飲み続け、儀式を済ませることで極楽浄土を見る事が出来る。
そこから知恵を持ち帰り、祖柄樫村を豊かにするのだ。
その為には生贄も必要だ。
神の子孫ではない者に、同じ儀式をさせるのだ。
徐々に彼らは、今も生きる置田蓮麻呂へと意識が変貌するだろう。
永遠に生きる蓮麻呂様。
この山を守るべき英雄。
置田蓮次。彼が都から来た時、驚きを隠せなかった。
置田…彼はもしや蓮麻呂の子孫…
俺は誓った。
彼にこそ、この村を、祖柄樫山を統率してもらうべきだと。
蓮次さんが欲しいものは全て与えてきた。
金、名誉、女…それが神に会って聞いた言葉だと言っていた。
一揆が起こる前には秘八上の平定に尽力されるとのことだった。
美咲に会ってから、蓮次さんは秘八上の平定に俺すらも近づかないように言われた。
構わない。神の村として、いずれ俺も乙名に加えてくれるのだから。
またこの村の裏事情を垣間見た気がする。
ますます置田蓮次という村の創設者が何者だったのか、知りたくなった。
いや、彼、私の彼。
彼は今もまさに私を寄せ付けない。
それが彼の答えということは、つまり…
私は石碑とは違う。私は多くは語らない。数多を語るのは、答えるのは、祖柄樫山の石碑たちだ。
次回2025/1/31(金) 18:00~「赤島売春宿」を配信予定です。