八俣地区・牢屋
和都歴1124年 12月1日 午前10時
❝ウォーターミル・パーク❞とやらで、石碑を見た後、私は小川で塗れた足を軽く拭いて、自販機に足を運ぶ。温かい缶コーヒーを選び、再び車に戻る。
車のエンジンと暖房を入れ、後部座席からタオルを取ると、濡れていた足をしっかり拭きなおした。
缶コーヒーを手に取り、開けて一口飲む。
「ふぅ…」
私は缶コーヒーに限らず、コーヒーと言えばミルクと砂糖は欠かせない。コーヒー豆の美味しさは、私にはわからない。しかし、彼はコーヒーにはうるさかった。誕生日にコーヒーミルをあげたくらい、拘る人だった。たまに淹れてくれるコーヒーには、ミルクと砂糖を入れてくれていた。そのミルクと砂糖すら拘って入れてくれた。私にはその味も分からないのに。
暫くして、缶コーヒーの苦い余韻が私をふと、我に返らせた。
彼への妙な心は呪縛のように私に憑りついて放さない。この旅に意味があるのだろうか?
気を取り直して、私は次の場所を見つけるべく、車を走らせる。
すると、また標識が目に入った。
❝星乃リゾート・ホテル この先1km❞
そういえば、今日は何時までここにいるだろうか?
特に時間もお金も気にしなくていい身だが、せめて寝る場所くらいは確保しておくべきかと、星乃リゾート・ホテルへ進む。
少し時間は早いが、駐車場に車を停め、せめて11時まで待とうかと車からホテルを見ていた。すると、ホテルのずっと左端、少し公園のように休む場所がある。気になって車から出ると、そこまで私は歩いた。
石碑があった。こんなところにも。石碑と並んで標識があり、こう書いてある。
❝八俣地区・牢屋 跡地❞
八俣と言えば置田村ではかなり治安も悪い場所だったと聞く。そんな場所の牢屋が、ここにあったのだろうか。もはやリゾート会社がホテルを建てる時の流れに、私は少し不思議な気持ちに至った。
私は更に石碑に近づき、その文面を読む。
>ここの牢獄生活は悲惨なものだ。直ぐ出れる者と、直ぐ出れない者に分かれ、大概、直ぐ出れる者は大須賀と仲良く話しながらお茶でもして出て行く。ようやく出れる者は、凄惨な顔をして、必ず官人が馬車で送ると言って一緒に出て行く。まるで護送のようだ。ここに居ても恐らく人身売買で売られるだけだ。
いや、俺も官人だったからもう分かる。相島のやり方がここまでとは。もっと早く気付くべきだった。
俺にはもう何も残っていないが、もし出ることが出来れば、黛村へ逃げるいかない。そこで待つ。
昔、僅かな時間だが、妹のように接してくれた、兄のように慕ってくれた、あの娘を。きっと俺のことなど覚えてもいないだろうが。バカな俺をせめて許して欲しい。
確か名前は…アズサと呼んでいた記憶しかない。もう俺に愛する資格など無いのだが。
石碑から、牢獄に居た男の最後の手記だろうか?愛した女性を想いだせばこそ、己の罪をより後悔したのだろうか?彼がここを出て、アズサと言う女性に会えたのなら、その後を知りたい気がするが、私は彼がここを出られなかった、いや、彼は彼女には会えなかったという事だけがハッキリわかった。
彼の心境から、もう会えないからこそ、ここに残していったのだろう。
私も生涯、彼に会えないと分かった時、その場に彼への気持ちを書き残すだろうか?
わからない。
私の石碑巡礼の旅に意味はないかもしれない。しかし、私の失恋の意味を、色濃く教えてくれる、そう信じたくなった。
次回2024/12/31(火) 18:00~「相島邸」を配信予定です。