水車小屋
和都歴1124年 12月1日 午前9時
この鈴谷橋からの風景を見ながら、私はふと、別れた彼のことを考えていた。
彼がここに居たら、この山を、この村を何と言っていただろうか。
私は彼を適度な距離から愛していた。
重くもなければ、寂しくない距離で。
しかし、それは彼が感じたことではなく、私の感じたことだった。
いつの間にか、気持ちは独り善がりになっていたのかもしれない。
川を挟むように生い茂る木々を、鳥が囀りながら羽ばたくのをみて、私は我に返った。
こんな気持ちを忘れるために一人旅に来たというのに、結局、その呪縛からは解放されていない。
気を取り直して、次の石碑を探そうと車に戻る。
鈴谷橋から道路を見渡すと、標識がある。
❝ウォーターミル・パーク 3km先❞
変わった名前の公園だ。丁度、長い運転で疲れも出てきていたし、公園で休もうと、橋を渡らず、車を西へ走らせた。
しばらくすると、ウォータミル・パークやらに到着した。
思っていたほど大きな公園ではなく、寧ろ閑散としていた。しかし、数百年前は、もっと寂れた場所だったのだろう。
パーキングに車を停め、車を降りる。
本当に何もなく、❝パーク❞といっても駐車して休む程度の広場しかない。
奥には、先程の鈴谷橋の川へ流れる小川があり、その川沿いに張りぼての水車小屋が作られていた。
そういえば歴史書を読み漁っていた時、かつて使われなくなった壊れた水車小屋が、村外れの何処かにあるというのを見た気がした。それがここなのかもしれない。
張りぼての水車小屋の脇に、例の石碑であろうか、近づいてみると、やはり石碑だった。
こんなにも分かりづらい場所に、誰が読むのかと不満にも思った。
石碑は小川の中にあり、私は靴を脱いで裸足になると、パンツの裾をめくり上げ、小川に入っていく。
石碑に近づくと妙な感覚を覚えるも、私はそこに刻まれた文に目を通した。
>あの男が行水をしながら転寝をしている。この時が一番自分で居られる時だ。もう私は人間として、女として生きることは出来ないし、最愛の夫・源八さんに会わせる顔もない。
私の身体にあの悍ましい男の子種がいると思うと、悪夢を見ているかのように私の身体と、意識が乖離している気がする。
私が出来る最大限のことは、あの男に殺される事。源八さん、ごめんなさい。私は権力者を甘く見ていました。源八さんにはどうにか逃げ延びて幸せな人をまた見つけてほしい。そして願わくば、母を最期まで看取って欲しい。
この文面からは、ボンボンの私でも凄惨な事態に書いた内容なのは容易に想像できた。
身分の低い夫婦の奥方が、嬲られている合間に書き残したのだろうか。結局、彼女は亡くなったのだろう。せめて旦那の源八たる人は幸せに生きたと願いたい。
私の失恋はまだ贅沢な悩みなのであろうか。
傷は癒えないにしても、この石碑を更に追い続けなくてはならない、また何故かそんな気がしていた。
次回2024/12/21(土) 18:00~「八俣地区・牢屋」を配信予定です。




