吊り橋
和都歴1124年 12月1日
年も暮れるという冬の初日に、私は祖柄樫山と言う伝説の山へ、夜通し車を走らせていた。
そうだ、私の名は絹駒景子。先祖代々、いわゆるお金持ちの家系で、何する事なく、趣味に有りっ丈のお金を費やしている。
普段は友達とお酒を飲んで、音楽やミュージカルを嗜み、動物愛護のボランティアもする。
そんな私は長年付き合った彼との別れから、一人旅を始めた。
時間もお金もある。働く意味もない私には、車を走らせる理由が欲しかった。
ただ、それだけだった。
数百年前に存在したという、祖柄樫山の麓に独特な村の話を聞いた。
本は勿論、歴史家や探検家にも話を聞いた。
当時の国の中心は都。そこからは隔離されたもう一つの国。
そんな場所にどんな人物がいたのか、そして存在するのか。
私は祖柄樫山と言われたその地へ、車を走らせていたのだ。
祖柄樫山と言われていた場所の裾に着いた。
数百年前は獣道と森だけだったであろう場所も、今はバスが通る、国道がこの山を貫通している。
国道の脇には、山頂の方から流れる川が並行している。
もう少し国道を走ると山の麓辺りまで来た。
看板がある。
❝ここから置田村跡地❞
専門家の話で度々出ていた置田村も見つけた。同時にもう少し道の奥に橋が見える。
そこまで車を走らせて、橋の脇に車を停めた。
❝鈴谷橋❞
聞いたことがある。昔はここには大きな吊り橋が掛かっていて、転落事故も相次いだらしい。
橋の付け根に、下へ降りる階段がある。
私は好奇心から下へ降りて行った。
河原へ降りると、当たり前だが川が流れている。
河原には石碑があり、文字が掛かれている。どうやら当時の誰かが書いた手紙が残されていた物を、石碑にしたようだ。私は魅かれるようにそれを読む。
>ここから見る景色を、兄さんは最期にどう感じたのだろうか。私はこの無惨な亡骸が恐らく兄さんであるとほぼ確信している。やはり逃げ切れっこなかったのだ。
私は兄さん無残な姿を見て、兄さんの分も生きると決めた。
血の繋がりはないとはいえ、彼は私に一つの光をくれたのだ。
そしてまた、兄さんの死は決して表に出ないだろう。せめて私がここで弔う事しかできないことを許して欲しい。
私が忍びとなり、もしも兄の仇が分かるとき、私は復讐を遂げるだろう。
文面からは逃亡者がここから落ちたらしい。
義理の弟か妹、または兄と呼ぶ誰かがそれを見つけたようだが、告発できない事情でもあったのかもしれない。
当時の出来事ではありふれたような話だが、当事者の無念が何故か追体験したかのように深く知った気がする。
このような石碑が、この山にはそこら中にあるらしい。
私の失恋が、この祖柄樫山の冒険で癒されるのかは分からない。
しかし、何故か全ての石碑を見つけなくてはいけない、そんな心境に駆られていた。
次回2024/12/11(水) 18:00~「水車小屋」を配信予定です。