勝手に異世界召喚されたけど、そちらのご都合主義には合わせません!1
「お前は今日から俺の奴隷だ」
それは、シエがその青年と出会い、最初に言われた言葉だった。
子ども一人分程度の檻の中で。
一度捕らわれてからもう何週間も食事や排泄を全てそこで行い、出られることはなかったその小さな檻に入れられた少年は、かけられた声が自分に対してだと気付くと少し視線を上げ、今この瞬間に主になったらしい青年がこちらを見下ろしていた。
黒髪に黒い瞳。褐色でもなければ白色でもない独特の色味の肌を持つ青年。
年はシエから見れば大人だが恐らくまだそれ程大人と言える年齢ではないだろう何処か幼さの残る顔立ち。
奴隷を買う人間は大抵がどこか独特の薄汚れた雰囲気を持ち、人を見下したような値踏みしたような表情を見せるが、目の前の青年はそれとは違い、寧ろシエが瞳を覗き込むと罪悪感によるものだろうか目を逸らした。
シエはことりと首を傾げつつも、目の前で開けられた檻からゆっくりと外に踏み出す。
久し振りに体重を乗せた二本の足は節々をぱきりと鳴らした。
体を揺らした拍子に痛みが走った胸元に手を当てて覗き込む。
十分な食事を取れておらず痩せて浮き出た胸骨の下、垢でくすんだ皮膚に黒く刺青のように紋様が刻まれていた。試しに擦ってみるが消える気配はない。
「これが奴隷契約の紋です。今の契約魔法によりこの子どもは貴方の言う事全てに従います」
目元を除く顔を黒い布で覆い、全身を黒いコートを纏う事で体格を隠した長身の男は、感情を少しも乗せず今シエを買った青年に滔々と語り、手を差し出す。
奴隷商人であろう男が何を意図して手を出したのか察した青年は、慌てて懐から硬貨の入った袋を取り出して代金を払った。
金貨三枚。
それがシエを購入する事に対する対価だ。
「私の刻んだ奴隷紋はそこらの紋とは違い、まず消す事は出来ません。どんなに主から離れた所にいたとしても消える事はありません。貴方だけの忠実な奴隷です」
隣に立つ青年の喉がごくりと鳴るのが聞こえたのはシエだけだろうか。
「分かった。ありがとう」
そう小さく言うと青年はシエの背を押して、檻のあったテントから出た。
久し振りに屋外に出た瞬間、一気に目を刺すように入り込んでくる太陽の光にシエは反射的に瞼を閉じる。
無造作に重ねられた檻から動物の嘶きや格子を揺らす音、小さく呻く声や怨嗟の言葉が聞こえてくるのが、テントの幕が閉じた途端全ての音は断ち切られた。
遮音の魔法が掛けられているのかはシエも隣に歩く青年も知らない。光にやっと慣れてきた瞳で青年を見上げると、彼は何処かぼぅっとした表情を見せ、そしてこちらを見た。
「—―行こうか」
笑いかけようとしたみたいだが失敗したらしく、引き攣り顔を見せた青年はシエの背またを押した。
何処へ行くのかわからず、背を押されたシエは振り返り、主人となった青年を見上げる。
周囲に建物は無い。
奴隷として捕まり、商品として荷馬車に揺られている間は逃げ出さないように檻には布を掛けられ、道や町並みは覚えられないようにされていた為シエには現在地がどこなのかも分からない。
途中街中を走り、聞こえてくる雑踏や人の気配は感じていたが、それはこの場所からどれ程の位置にあるのかは分からない。
何より主人である青年が何処へ行きたいのかも分からなかった。
青年はへにゃりと眉を下げ、それから「こっち」と言って、土を踏み締めて出来た街道から外れた森を指した。
一歩入るとシエの膝丈まである草が生い茂り、背の高く葉の多い木々が空を覆い隠している。
まだ陽の高い時間だから陽の光が入って森の奥まで見通せるが、数刻もすれば真っ暗な闇に包まれ右も左も分からなくなるだろう。
どういう理由で近くにあるだろう街へは行かずに、森の中へ入ろうとするのかはシエには分からないが、覚悟を決めたシエは背を押されながら促されるまま森へ入った。
どちらにせよシエに拒否は出来ない。奴隷紋を刻まれた奴隷なのだから。
暫し進むとシエの肩にぽんと手が乗る。
止まれという合図だと気付いた彼は立ち止まると青年を振り返った。
青年はシエが己を見上げ暫くそうしているのを見返すと、ふとその場に屈み込んで彼の腰の高さまでの背丈しかなかったシエと視線の高さを合わせた。
「奴隷なんか買うつもりは無かったんだ」
シエに詫びるように、けれど自分で自分を戒めるように呟く青年に相槌を打つのが正しいのかも分からずただ彼を見据えた。