8.魔法の指輪 - 1
私がマリアナイトを連れて、通路に沿って並ぶいくつかの講義室の中から、新入生が集まる場所を探そうとしたところで、見知った顔を見つけた。
一室の扉の前で壁と背中をトンと合わせ、澄ました顔で誰かを待っている少年が一人。
私の義理の弟、ラズラピス。
彼の後ろにある扉の先が、私たちが目指していた講義室だ。
「姉様、お待ちしておりました」
「ラズ。先に入っていて良かったのに」
「父様の──ひいては当家の命令です。二人で見極めを行えと言われたのですから、一緒でなければいけないでしょう」
「姉弟仲良く行けとは言われてない」
仮面舞踏会の時と変わらない。
義父を通して与えられている、家を牛耳る人たちの命令。
それはこの学院に新たに入ってくる者たちを観察し、持った資質能力を分別、必要に応じて手中に収めること。
要するに私たちの人を見る目と勧誘の手腕を試し、さらには人材の確保の二つを含んだ指示だ。
だから義弟と常に一緒にいる意味はなく、必要に応じて協力し合えばいいと考えていたのに、目の前の少年は違うと首を振る。
「別々で行けとも言われていないです。それに──」
「……一緒に居たいのなら、勝手にすれば」
「はい」
昨夜もそうだが、昔から私の後ろをついて回るラズラピスの癖は、いつまで経っても治らない。
彼が六歳の頃からずっと。背丈の伸びた今でも、私のとって幼い男の子のまま。
もう十四歳の少年だと分かっていても、彼の光指す瞳には私の弱さが引き出されてしまう。
そんな私と何でもお揃いにしたがる時期があった少年だが、一番ひどいときの面影が時に流されているのは救いといえるだろう。
「あの、ユノさん。この子は弟くんですか?」
そうしてラズラピスと話しているところで、私の背中からひょっこりとマリアナイトが顔を覗かせた。
興味あり気に少年を見る彼女だが、私の体よりも前に出ることはなく、表情に対して態度は人見知りのそれだ。
いま紹介するねと私が言おうとするも、マリアナイトの言葉にすぐ続いたのは、まさかのラズラピス本人だった。
「ええ、初めまして。申し遅れましたが、僕はラズラピス・アントン・ブルームスター。ラズとお呼びください」
「マリアナイト・カレンデュラです。私もマリアでいいですよ」
私を挟んで行われる控え目な握手。
その様子は小動物同士の挨拶に似ていて、お互いに絶妙な距離感にいることが見てわかる。
まだ相手のことは分からないけれども、きっと争うことはない。
そう確信できるような空気感で、両者の間に悪感情の欠片も見当たらない。
「あれ……最後が違うのは……」
「僕と姉様は血が繋がっていないんです。でも、よく似ていると言われるんですよ」
「確かに似ています。ラズくんもユノさんも。不思議ですね」
見た目は似ているのに、義理でも姉弟なのに、家族と証明する家名が違う。
そこでどうしてと言われる予想はしていたが、マリアナイトは常識的な反応には従わず、和やかに私たち姉弟を見比べては、よく似てると微笑んでいる。
「それよりも姉様。この方はどうなされたんですか」
「迷子になっていたのよ、食堂で」
「迷子ですか……」
何か含みのある言い方をするラズラピス。
しかしそれを気にせず、私は講義室の扉を開け放つ。
なぜならそれはマリアナイトが迷子であるが故に起きている、一つの問題があるから。
それは連れの友人が今も待っていること。
なら三人で話し込むよりも、早く中に入った方が良いだろう。
そうして講義室の中に入ると、下へ向かって段差状に長机を並べた空間が私たちを迎えてくれた。
見下ろすと最下部にはまだ誰もいない教卓が一つ。
部屋全体には揃いのローブを着て、後はそれぞれの好きに衣装を着飾った十代の少年少女が、散らばって座っている。
彼らは全員、マリアナイトと同じ新入生──と勘違いしそうになるが、各人の様子を見ると上中下で層が出来ているのが分かった。
事前にここの教員が振り分けたのだろう。
教卓に近い下層には緊張で肩ひじを張っている者が多く、見た通りの新入生たちが集まっている。
少し離れた中層にも緊張感はあるが、慣れた雰囲気の者と肩を並べている人が多く、あそこは丁度私とマリアナイトみたいな立場の者で構成されている。
そして今来たばかりの私たちに最も近い上層。そこに集まっている人たちの視線は教卓ではなく、それよりも手前の新入生たちに向けられていた。
「姉様、今回はどうしますか? 見学ですから僕は後ろで良いと思います」
「その前にこの子の友達を探さないと。マリア、その人はどこに……」
私が言い終わる前に、横からすり抜けたマリアナイトは迷いなく講義室を進んでいく。
向かった先は中層。軽い足取りに誘われて私も後を追い、ラズラピスは一度上層の面々の顔を窺ってから、遅れて歩んでいった。
さて、どんな相手なんだろう。
マリアナイトの友人となると、同じように緩い雰囲気の子なんだろうなと勝手に想像をしながら進んでいくと、少女の止まったところでやっと、その人物の背を認識した。
「──……ウソ」
こぼれた言葉は誰も彼も、私すら素通りした。
嬉しそうに相手に声をかけるマリアナイト。
しかしその姿へ私の目は向かず、注視するのはその相手ばかり。
私よりも高い背丈と羽織った黒いローブ、この場所にいること、この距離。
この全てにまだ慣れないがつき、しかし進めば進むほど違和感を塗り替える実感が襲ってくる。
「おまたせ、ノエくん。わたしね、お姉さんに会えたよ」
「遅かったねマリア。やっぱり僕も一緒に行った方が……、って誰に会ったって?」
「ほら、あの人だよ」
はしゃぐマリアナイトが私に向かって指をさし、それにつられて友人は顔をこちらへ向けた。
もう誤魔化せない。
言いたいこと、考えたいこと、表に出したい感情。
何もかもがグチャグチャになって、今の自分の表情がどうなっているのか見当もつかない。
「ユノさん。ノエくんのお姉さんなんでしょう?」
無邪気な少女の言葉に、ドクンと胸の傷跡が痛みだす。
刹那に目が合った。
マリアナイトの友人に……ううん、私の弟だった少年ノエルと。
お互いに頭が真っ白になったと分かる表情になって、僅かに開かれた口からは漏らす言葉もなく。
また会えたねとか、偶然だねとか。そんなことすらも言えず、ただ視線だけを交わすしかなくて。
「会えて良かった、ユノ」
私は手を伸ばすことも、一歩踏み出すこともできなかった。
だからそっと告げられたノエルの一言が、手を取ってくれて気がして。
そのまま引っ張られる感覚に身を任せて、私は前に進んだ。
「バカ言わないで、ノエル。二度も会えなくなる訳ないでしょうが」
やっとの思いで心から汲みだした、本音の色。
ようやく十年の別離を絶ったのだから、昨夜の再会からもう一度離ればなれになんて考えたくもない。
だからそんなことは有り得ないって、ノエルのリードに私は笑って応えた。