4.白の陽光、小金の月
黒い空に星も月も満ちていた。
狭いバルコニーから見える天上は、雄大さを最小表現で描いた自然の絵画。
それをチェリーピンクの瞳がひっそりと眺めていた。
手すりに体重を預ける一人の少女。
羽織るケープを含め、ガーリーなワンピース姿からは育ちの良さが窺え、運動とは縁遠い柔らかな印象の彼女は、まとう空気すら弱々しさが際立っている。
さながら深窓の令嬢、虚弱で儚い少女、無垢で純粋。
彼女の背中側──建物の内側で行われている、大人たちの思惑の連続と比べたら、誰もが類似の言葉を並べるだろう。
だからこそ絵になる。
満点の星月、地平線の先まで伸びた明かりのない街々、何色にも染まらない少女。
それ以外は全て本当の黒に塗られ、露台の下すら大地の見えない高所の闇。
この一点に他はいらない。
──しかし敢えてつけ足すとしたら?
「ここに居たんだね、マリア」
少女の後ろから声がした。
頼りなさげで、でも優しさに満ちた少年の声。
呼ばれて振り返った先にいたのは、仮面舞踏会の衣装のままなノエルだった。
声は少女の知っているものだったけれど、視線はどこか遠さがあって、表情は喜色と憂色と含みをふんだんに溶いた混合色。
喜怒哀楽の全てが塗られた様子は複雑で、澄んだ彼女のものと比べたら筆に迷いが多すぎる。
「待たせてゴメン。早く部屋に戻ろう」
「うん」
それでも構わず手を差し伸べてくれるノエルに、少女は笑みと共に駆け寄った。
小さな歩幅。しかしタイツに守られた彼女の足は、あっさりとバランスを崩し、少年の懐へ飛び込む形で転んでしまう。
声を上げる暇もなく、背中から両手を使って抱き止められた少女は、数拍キョトンとした後にほころんだ。
「怪我はない?」
「大丈夫。ごめんね、ノエ君。──あなたも平気?」
「……平気だよ」
簡潔に受け答えをするノエル。
だが胸の内にいる少女は、それだけでは納得をしなかったのか、ジッと菫色の瞳を見上げて覗きこむ。
顔に張り付けた仮面では隠せない、奥底の感情。
太陽光のような少女の髪色に照らされることで、より深く、思いが透かされ手に取られる。
「嘘つき。平気じゃないって顔してる」
少女の手がノエルの顔を、そっと包み込む。
目を、顔を、自分自身から逸らされないために。
ついている嘘から逃さないと、抱き締められながら捕まえようとしてくる彼女に、ノエルは表情に影を落としながら心の欠片を吐露した。
「そうだね。うん、色々あってね。今はちょっと戸惑ってるだけなんだ」
「いいよ、聞いてあげる。ツラいことだったら、なおさら」
「ありがとう。でも辛くないよ、ただ言葉にしにくくて。……帰りながら話すよ、マリア」
浮かんでくる思いの名前が分からない。
だからゆっくりと、歩きながら話そうって話すノエルは、少女が静かに頷くや否や彼女を抱えた。
両手を背中と膝裏に通し、重さを感じさせないお姫様抱っこ。
手慣れた様子で行う少年に対して、少女もまた驚くことなく体を寄せる。
「ん。暖かいかも」
「それだけ冷えてるんだよ。まだ秋といっても寒いんだから、ちゃんと着込んで欲しいな」
「もう過保護だよ、ノエ君。──それで。何があったの?」
夜景を展望できるバルコニーから背を向けて歩き出したノエルは、抱えられながら先の話の続きを持ち出す少女に、言葉を頭の中で練りながら喋り始める。
胸中にある感情に整理は未だつかない。
でも一つだけ。間違いなく確かなことがあるから、まずはそれを形にした。
「さっきね、昔の友達に会えたんだ」
途端に驚愕と歓喜が吹き上がった。
長年積もり積もっていた後悔の土砂が、安堵の土壌に開拓された。
純粋に嬉しい気持ちに嘘偽りなんて無くて、きっと泣けていないのは今だけ。
「ユノっていう、僕の姉さんみたいな人で。ずっと一緒に居られれば良いなって思ってた」
──いや、もう無理だった。
「僕の大切だった人に」
その一言を口にした途端、ノエルの頬に雫が伝った。
声も感情も想いも記憶も。
塞き止める術なく溢れ出して、せっかく並べた言葉のレールはバラバラになって。
そんな今だけは幼い少年に戻った彼を、少女は頷き心を抱き締めていた。