15.ユノの部屋 - 1
講義室を出て、広い廊下へと出た私とラズラピス。
相も変わらず扉ばかりの殺風景は、色々とあった後の今、騒がしさのない空間であることが一種の憩いの場になっている。
二人して気持ちを入れ替える為に息をつくと、私の頭の中に重たいものが伸しかかってきた。
緊張の糸が切れ、支えていたものが落ちてきた感覚。
原因は考えるまでもない。
昨夜のノエルとの再会から寝付けなく、誤魔化してきたが今の私は寝不足の状態。
そこに先程のいざこざの緩急。
とどめとして、本家の人間と──義理の父親とこの後に会わなければいけない現実。
気持ちが受け止めきれず、負担がそのまま重量となって頭の上に飛んできた今、つい乙女としては不味い顔になってしまう。
「ラズ」
「はい、姉様。父様の予定でしたら、今日は夕方以降なら空けて頂けると思います。早めに終わらせますか?」
「一人で行ってきて。私は部屋で休むから」
「分かりました。僕一人で……って、姉様!? 待ってください、またですか」
ラザフォードが向かった聴取。
それと似たことを私たちも受ける想定だったが、私は堂々とサボタージュを宣言する。
しかし同意しかけたラズラピスは、慌てて私の両肩を掴み止めてきた。
だが無理なものは無理だ。
そう表明する私の心身の限界は顕著だった。
眠気は鉄塊の重さ。心は深海の青一色で、足は鉛の液体がしみ込んでいる。
もう何もやる気が出ない。
特に義理の父親との対面。ラズラピスの実父でもあるあの人と会うのは、万全なときにでも、脱いだ靴を相手に投げて逃げ出したいくらい嫌なことだ。
だから何とかして引き留めようとする義弟には悪いが、姉の我が儘を受け入れてもらうしかない。
「熱が出たとか言って、適当に誤魔化して」
「その常套手段はもう通じませんよ。なんで姉様は、父様が絡むと幼くなるんですか」
「じゃあ、ラズの妹になったとかで良いから」
「姉様は姉様なので、妹にはなれませんよ。それにそうなったら、僕が姉様を呼び捨てにしても良いんですか?」
ラズラピスが私を呼び捨てに?
弟分が私をどう呼ぶかなんて、ノエルと一緒にいたあの時からあっさりしている方が好みだった。
ラズの姉様呼びは、むしろ丁寧すぎて初めは落ち着かなかったのを覚えている。
だから──
「いいよ、別に。ユノって呼んで」
もう理由は何でもいいから、義父にだけは会いたくない。
その一心だけで話しているのだが、ラズラピスの様子がさっきまでとは一変した。
私へ食い気味に迫ったまま、でも頬を染めて口を噤んで。
距離を開こうとした気配があったのに、掴んだ私の両肩は離さない。
言いたくても、言えない。
でも、この短い時間で覚悟を決めたのか、ゆっくりと口が開かれた。
「──……ユ、ユッ!」
「じゃあ後はよろしくね、ラズ」
照れている義弟は可愛いが、眠気の限界は待ってくれず、ベッドへ飛び込みたい気持ちは逸るばかり。
だから有無を言わさない姉の命令としてラズラピスにはにかみ、これで一件落着とした私は転移装置へと逃げ込んだ。
それからは眠気に負けんと抗ってばかりで、あまり記憶が定かではない。
院生用の寮内へ転移し、自室の玄関は制御盤に右手をかざして開錠。
寮の部屋共通の小さなリビングルームを目にしたら、体の重さが増すのと、ある種の幸福感が同時に押し寄せてきた。
羽織っていた黒のローブを含め、着ていた衣服は乱雑に脱ぎ散らかす。
それから着た落ち着いた青のパジャマはラフな物で、フリルとリボンで飾られるも動きやすさを考えた半袖ショートパンツ。
着替え終わったら気だるげにベッドルームを開け、踏み入ったのは白と青の空間。
重々しさを嫌ったそこは、窓の大きさと全体の高さを意識した部屋だった。
ふらふらと。
メイキングが終わっているベッドへ頭から飛び込み、そのまま意識を手放そうとした私は、ふと浮かんだことがあり虚空へ呟く。
「ふく、かたずけといて」
その一言で力を使い果たした私は、林檎が枝から落ちるときと同じく、抵抗なく意識を闇へと落としていった。
何も見えない、何も聞こえない。
自分の寝息すら感じられず、今まで感じていた重さは無に帰った。
──そう思った次の瞬間、甲高いベルの音が頭を撃ち抜いてきた。
「……っ。なに、だれ」
私の意識を呼び戻したのは、来訪者を知らせるベルの鳴き声。
悲鳴めいたそれは一度だけだったが、目を覚ますには充分な威力。
うるさいと枕を抱き締めて、体を丸めて。
半ば無意識に居留守を実行し、再び眠ろうとしたところでユサユサと誰かが私の体を揺すった。
「わかった、わかったから。おきればいいんでしょう」
揺らし方は優しいものの、ベルとは違って収まる気配はない。
いつまでも揺さぶられていると、流石に起きるしかなく、渋々目を覚まして起こそうとする張本人に顔を向けた。
そこにいたのは、質素なエプロンドレスを着た幼い少女型のマネキン人形。
この子はいわば、寮の各部屋に用意されたお手伝いさん。
学院から提供されている自立稼働の魔法人形で、中には使い魔と呼んでいる人もいる。
外観は部屋の主が自由に決められるので、私は少女の人形にしていた。
ただ人形らしさを強くしているのは、人間の姿そのままだと抵抗があるせい。
そして女性型な上に年齢を低くしたのは、年上の男性が私の部屋を管理していると考えたら、生理的に無理だと思ったから。
自由でいられる私室なのだから、気楽に過ごしたい。
「もう起きたから。あとは待機」
身を起こしただけでは揺するのをやめてくれず、人形は停止の命令が来るまで必死に体を動かしていた。
待機の指示がようやく来た人形は、ペコリとお辞儀をすると、静かにリビングルームへと戻っていく。
来客だから、主人を起こす。
部屋の管理人として正常に動いているし、そもそも人形に起こるのは筋違い。
でもぐっすりと寝ていたところを邪魔されては虫の居所が悪くなるし、収まりの悪い気持ちは来客に向く。
「本当、誰が来たの。ラズ? でもあの子、ここ数年実家でも私の部屋に入らなくなったし……」
ブツブツと。
苛立ちとともに来客の正体を考えるも、思い当たる節すら見つからない。
まず義弟に思い至るが、そもそも私がいる寮の区分は女性寮。
男子禁制。相当な事情がなければ立ち入れず、そんな用事であれば事前に訪問すると連絡があるはず。
なら同性の客と考えるのが必然だが、それでも見当もつかない。
家柄目当てのご機嫌伺いをする輩なら何人もあったことはあるが、唐突に部屋へ訪ねてくるような間柄の友人は、この学院内にはいない。
「いったい誰なの……もう……」
起きたばかりの頭で、これ以上考えても仕方がない。
リビングルームにある部屋全体を操作するパネルに手をかざし、私は玄関前の映像を映すことにした。
これは室内でも来訪者を確認できる、防犯機能の一種。
会話もできる便利な物で、設定によっては網膜などの登録をして、下手な変装などを看破できる。
外の映像が出たのは、手をかざしてすぐ。
まず赤みの強い桃色の目が大きく映った。
すぐに距離を置いた目の持ち主は、陽光のような長い髪を左右に振りながら、自身も不安げに周りを見ている。
正面を向き直ったと思ったら、戸惑いを前面に出した表情で立ち尽くしている──たった一人の少女。
「……マリア?」
知らない人が訪ねてきた。
そう身構えていたところに、脱力してしまうような挙動をしている見覚えのある少女。
あまりの落差に彼女の名前を呼ぶことしか出来なかったが、私は沈んだ力の反動で浮かんできた言葉をグッと堪えて玄関へ向かった。
何やら荷物を多く抱えた、マリアナイトを迎えるために。




