12.魔法の指輪 - 5
火薬の炸裂にも似た、空気を焼く悲鳴めいた音。
赤い少女はその場で倒れ込み、対峙していた黒の少年は彼女に銃の形を作った指を向けていた。
伸ばした人差し指にはアイテールの指環。
鶏冠めいた金のインナーカラーをしている彼の黒髪と同様、指環の造りも豪華絢爛。
黒を基調に金の装飾がふんだんに使われ、竜を模したデザインは凶暴性に満ちている。
傲慢、暴力、華美。
これらを余すことなく詰め込まれている指環は、今の彼そのものと言ってもいい。
「ミスター・トゥエルブナイツ。その……何事だい?」
前後だけを見ても明白な暴力行為。
しかし突然のことに取り乱す者は、この講義室では数少ない。
ここにいるのは貴族の跡取りばかり。
感情的になるな、余裕を見せろ、貴族としての義務を果たせ。
一つの所作が全て家の格に繋がると育てられた彼らからすれば、しょせん他人が受けた暴力。
助けるに値するか踏んでからでも遅くはないと、傍観に回るのは常だ。
だから動揺を顔に出しながらも、キッチリと指導側の務めを果たそうとしているラザフォードは、良い意味で庶民的だろう。
「どうして彼は肩を押さえて倒れている」
「それはだな、教師ロックロビン。俺が魔法を試したかったからだ」
トゥエルブナイツと呼ばれた少年は、ラザフォードの質問に対して振り向きすらせず不遜な態度で返答した。
答えながらも彼は赤い少女から目を離さず、自慢げに続きを語り始めた。
「折角頂戴した一品。すぐにでも試さなければ失礼だ。そうだろう、イオ」
「──……ッ。お前、だからってオレに」
「何を言う。俺とお前がトモダチになったのは、こういう時の為だ。トモダチっていうのは助け合うものなんだろう? なら、俺の手助けをしてくれよ」
悪気なく笑い続けているトゥエルブナイツを、赤い少女──イオは右肩を押さえたまま睨みつけた。
黒いローブ越しにシミが出来ているのが分かり、出血しているのは確実。
慣れない痛みに少女が辛そうにしているのは、遠目で見ていても理解できる。
日常生活でできる小さな傷とはわけが違う。
凶器を受けて付けられた傷は、肉体的な痛みと同等以上の苦痛を精神にもたらす。
「なあ、イオ。俺とお前はトモダチだ。ならあと一回……俺の魔法を食らってみろよ。俺のトモダチならな!」
きっと少年は、少女に恨みなんて負の感情とかはないのだろう。
ただ彼女は自分より下だから。自分は誰よりも上で何をしてもいいと思っているから。
死なないのなら何をしてもいい。それが許される。
そう、育ってきたんだ。
「友達じゃないよ、そんなやつ」
イオに再び向けられた凶器の指。
彼女は目をつぶり、どこに受けるかも分からない傷を覚悟して、歯を食いしばって。
死すら脳裏に過ぎったイオは、右肩と同じ熱が体のどこにも来ないと目を開けると、目の前には知らない少女の背中──私が彼との間に立ち塞がっていた。
「なんだ、貴様。俺とイオがトモダチじゃないって? 何を言ってる」
「そのままの意味よ。貴方に友達なんていない。ここにいるのは、貴方の敵だけ」
「くっ、ふっ、ハハハハッ! 突然出てきて、俺の邪魔をして。更にここには俺の敵しかいないって? 馬鹿か貴様は」
手で顔を押さえて、空を仰ぐように少年は笑う。
俺に敵なし、俺には向かう奴こそ真の敵。
どこから来るのか分からない自信をもって、私と相対する彼は、その証明とばかりに名乗りを上げた。
「俺はトリスタン・ドラクルコック・トゥエルブナイツ。かの男爵位、トゥエルブナイツの後継だ。女、歯向かう貴様が何者かは知らないが、そこを退かないのなら後悔するぞ」
講義室に響き渡るトリスタンの口上。
私が非難の的になる、そう考えてのことなのだろうが、現実に起こったことは彼の想像の範囲外。
──冷笑。
口元を手で覆い、隣人の耳を打ち、憐みの視線が集中砲火する。
それが全てトリスタンに向けてのものだと彼が理解するのに、数秒の沈黙が必要だった。
「……はあ?」
「今すぐ矛を収めたまえ、ミスター・トゥエルブナイツ。そうすれば、この場はただの事故としても処理できる」
「何を言っている。この女にそんなものがあるのか」
トリスタンを取り巻く冷笑が、さらに温度を下げた。
見たことのある光景だ。
昨夜のノエルの舞台と同じ、無知に対する嘲笑い。
その傾向は講義室の上に行くほど強くなり、要は新入生の見極めに来た人たちほど彼を嗤っている。
「ユノ・サファステラよ。サファステリア家の者だけど、言っても知らないみたいね」
「サファステリアだと? ……馬鹿も休み休み言え。騙るにしても滑稽どころか侮辱に値するぞ、その名は」
「なら、魔法で私を撃てばいい。そうすれば貴方が、貴方の家が。どうなるのかハッキリする」
私を攻撃するか否か。
その二択を迫られたトリスタンは、イオを攻撃したときのような躊躇いのなさが失われていた。
自分だけが知らない周囲の事情。
大貴族の名を騙る馬鹿者が前に現れたのに、周りは憤慨するどころか既知とばかりに静観していて。
勢いづいていた感情は、今となっては冷笑によって零下に達していた。
自分は悪くないはずなのに、心のどこかでそう感じ始めて。
違うと。トリスタンは指環に願いを込めて叫んだ。
「そうかよ。でもなあ……俺にそんなハッタリは効かないんだよ!」
トリスタンの深緑の目と右手の人差し指が同期した。
視線の先にあるのは、私の腹部。そして奥にいるイオの体。
二人まとめて射抜いてしまおうという魂胆を、眉間にしわを寄せた表情が物語っている。
彼の魔法がどんなものか、私の目には映らない。
想像はついても対処ができるとは限らず、もし攻撃を受けるとすればどう防ぐか。
避ければ背後のイオに当たり、防ぐとしても何か分からないものをどうやって?
刹那の閃きがなく、このまま立ち尽くしたままでは、トリスタンの意図したとおり二人はやられてしまう。
でも、平気だ。
私自身の指環を準備しなくても、彼がいるから。
そうだよね──
「ノエル」
二度目の空気を焼く破裂音。
しかしトリスタンが放ったとされる魔法は、私と彼の間に吹き込んだ突風によって断ち切られた。
床に影を落とす、飾り気のない黒い長剣。
私が飛び出したとき以上の速さで割り込んできたのは、昨夜と同じ左手の指環から剣を作り出したノエルだった。
攻撃をした彼に無機質な目で一瞥するノエルだったが、興味なさげに私の方へ向き直ると、影は隠され安堵の表情を浮かべていた。
「無茶するの、昔と変わらないね。ユノ」
「バカね。こうしないと何もできなかったの、アンタの方でしょう」
昔と変わらないのはお互い様。
なぜならノエルの速さがあれば、きっと最初の一撃も同じく両断できたと私は確信している。
でもそうならなかったのは、ノエルの気の弱さのせい。
是が非でもやりたいという気持ちと、そうした後の想像が噛みあわず、どうしても重要な場面で二の足を踏んでしまう。
だから彼が考えこんでしまう前に、私が飛び出してきっかけを作るのは、流れ星を見に行ったあの日と同じ。
手を引っ張って、出来るよって伝えて。
私たち二人は、そうすれば何でもできる。
「それで。次はどうするの? トリスタンくん」
──だから今度は、私の番だ。
きっかけを与えて、ノエルが私を守ってくれて。それなら次は私が引っ張られて行動に移す。
誇っていた魔法を斬られたトリスタンに、私がクスリと笑いかけると、相手は思った通りの表情に変わった。
悔しさと怒りにまみれた敵意の瞳で、彼は私たち二人を睨みつける。




