9.魔法の指輪 - 2
講義室に広くとられた段差状の席で、ノエルの隣へ仲良く座ることとなった私たち三人。
私とマリアナイトはノエルの両隣に、ラズラピスは私の側で彼から一番遠い場所に座ることになった。
それからというもの。妙にラズラピスは不機嫌な気配を漂わせ、マリアナイトと会った時の柔らかな空気は内へと仕舞いこんでいる。
「えっと、ラズ。コイツ……あっ違う。この人は……」
「ノエル・サンライト、ですよね。存じています。昨夜、姉様と一緒に観た仮装舞踏会の人ですね」
ノエルの名前を口にするラズラピスは、何かを攻撃しようとする棘を持っていた。
明らかに機嫌が悪い。それに対して私はウンとしか返せなくて、続きの言葉が出てこなくなってしまう。
少年が知っているのは当然だ。
彼の言う通りに昨夜、一緒に彼の舞台を見ていたのだから。
けれども虫の居所を悪くするようなことが思い当たらず、なんて声をかければと悩んでいるところで、無邪気な声が投げ込まれた。
「ノエくん。ラズくんはユノさんの弟なんだって」
「弟? ユノ、キミに弟がいたなんて知らなかった」
「義理よ、義理。アンタと離ればなれになった後、養子になった家の子。というかラズ。貴方も挨拶を──」
ノエルとマリアナイトが会話を始めると、どうしても辺りに花畑が見えてしまう。
そんな緩い空気に任せてラズラピスの紹介をしようとするも、私の声は当の本人によって冷たく遮られた。
「ラズラピス・アントン・ブルームスター。姉様の許嫁です。よろしく、サンライトさん」
何かに対抗しようとしているのか。明確な敵対心を瞳に宿してノエルに名乗るラズラピス。
少年の握手すら求めず交流の拒絶を示す態度に、私は珍しさを感じつつも、間に挟まれた関係性に不服を覚えてしまう。
許嫁。
この単語だけで私の気は重くなり、ため息だって簡単に出てしまいそうになる。
「義理の弟で、許嫁。……なんか、大変そうだねユノ」
「気軽に言わないで、ノエル。それに私は許嫁なんて認めてない。この子はただの弟なんだから」
「僕はそう思っていませんよ、姉様。家の都合の前に、僕個人として姉様のことは好きですから」
「ラズ、それなら私も言ったはずよ。貴方のことなら私も好きだけど、それ以前に政治の駒になるのは気に入らないって」
私とラズラピズの間で結ばれている婚約関係は、私を家に繋ぎ止めるための手段の一つ。
政略結婚は貴族という人間社会においては、よくある話。
利益追求、安全保障、単純な友好関係からただの人質まで。
どれもこれも家の都合で、家の中で立場の低い者たちは使い倒すための持ち駒だ。
そして私は義父の──私たちの家にとっての、どうしても捕えたい一羽の小鳥。
鳥籠にずっと閉じ込めておきたくて、そのために用意されたのがラズラピスという名の人の形をした鎖だ。
義理の弟、許嫁、家での立場。
その全てがラズラピスという駒に対して張られたラベルで、どれもが私の餌になると義父たちは思っている。
正直に言って、彼らの考えは理解できない。
彼らのいう利益が本当に私にあるのなら、きっとノエルと別離することはなかったから。
「だから貴方は私の弟。許嫁なんかじゃない」
「……やはりその男ですか」
弟は弟。ラズラピスを許嫁として見られない。
そう断言する私には聞こえない呟きが、空気の冷たさに紛れて床へ落ちた。
何か言ったとラズラピスに目をやるも、私には分からない不満が頂点に達したのか、彼は口をつぐんでそっぽを向いてしまった。
「ノエル。アンタ、私の知らないところでラズと喧嘩してないわよね」
「ここで初めて会ったんだけど。ユノが分からないんじゃ、僕も分かんないよ」
私はこそっとノエルに耳打ちをするも、当たり前だが彼も首をかしげるばかり。
ラズラピスのそれは、まれに見る機嫌の悪さだ。
昔なら私の用事が忙しすぎて一緒に遊ぶ時間がなかったとか、お揃いのお菓子を食べられなかったとか。
私が人形を抱き枕にして寝ていたら怒ったりなど。
そんな理由でよく見た光景ではあるが、成長してからはここまでのものはそう見ない。
「なんなの、まったく」
訳が分からないと頭を抱える私の後ろで、一つの影が通っていった。
それはさっきまで、ヘぇー弟で許嫁なんだーと、ネジの外れた顔をしていたマリアナイトだった。
「ねえ、ラズくん」
「な、なんですかマリアさん」
マリアナイトは機敏に……ということもなく、黙り込んだ少年の後ろでどうしようかと手間取った後、ふてくされた表情の前に飛び出してはラズラピスを驚かせた。
自信満々に、陰るところ一つなく。
少女の思ったことを淀みなく告げていった。
「ラズくんはユノさんのこと好きなんだね。わたしもノエくんのこと好きだよ」
穢れのない笑みで言い放った、単純明快な想いの矢印。
それにラズラピスもノエルも呆気に取られて、私も開いた口が塞がらなくなって。
なる、はずだったのに。
──マリアナイトはノエルのことを好き。
その部分だけが頭の中で渦巻いて、黒色に濁って、思わず私の方がと言いそうになって。
そんな嫌悪感が心に届く前に、門を降ろすがごとく私は口を閉じた。
でも、胸の傷跡はズキンと痛みを主張してくる。
「お姉ちゃんも、お兄ちゃんも。大切だもんね」
「……マリアさん。それ、何か違う気がします」
「そうかな」
「そうです。いえ、大切ではないという意味ではなくて」
しかし胸の痛みを堪える私をよそに、ラズラピスは目の前の少女とのやり取りによって、尖らせていた態度を丸くされていた。
「とにかく姉様は僕の許嫁だということを、覚えておいて下さい」
「うん、分かったよ。ラズくん」
「……貴方にその呼び方をされる筋合いはないです」
どうしても私の義弟ではなく、許嫁であることを主張したいラズラピス。
だがノエルは、間違いなく彼の心境を理解できない笑みを浮かべており、結局不満が残った少年はもう一度そっぽを向いてしまった。
弟分の少年二人。出会って早々、関係性が悪い方向へ進んでしまっている。
これは頭痛の種ではあるが、痛みの激しさでいえばもう一人を意識する方がツラい。
「あれ、でも待って」
こうして私たち三人の空気が悪くなっている中で、マリアナイトだけは明るさを保っている。
雲を知らない太陽のように。悪い空気なんて知らず、抱いた疑問を口にした。
「ノエくんがお兄ちゃんだから、じゃあユノさんは私のお姉ちゃん?」
「ノエル。アンタとしては、この子のことはどうなの」
「可愛い妹かな。少し前まで、僕のことお兄ちゃんって呼んだりしてたんだよ」
「うえぇ! ちょっとノエくん。それは言わないでって言ったじゃん!」
良くも悪くも空気が読めない少女に、もはや呆れが全てを押し流してしまい、私は悩んでいるのがバカバカしくなってしまう。
マリアナイトは恋敵ではなく、ノエルの義妹。そう考えただけで気持ちはスッと軽くなっていった。
だからよく分からない謎に迫った少女は放っておき、兄と呼ばれたノエルにどう思っているのかを聞いてみると、返って来たのは私がラズラピスに思っているのと近い答え。
それはただの年下の弟妹だ。
「それよりマリアとアンタ。どういう関係なの。私とラズと同じで養子?」
「ううん。お世話になっている家の娘さんだよ、マリアは」
「ならやっぱり──」
マリアナイトがどこかの貴族の出なのは想像できる。
ならノエルも私と同じように家の都合で養子に取られて、そしてマリアナイトと十年も一緒にいたのか。
そう聞こうとしたところで講義室の下方、教卓の近くにあった扉が物々しい音を立てながら開かれた。




