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マーズの涙  作者: 黒心
それは
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48

 装甲を施したホバー車に揺られる彼は手に持っているマイクを念入りに洗浄している。


 窓の外は相も変わらず化学物質を含んだ猛毒の雨が降り注いでおり、いつもと何ら変わりない。だが、確かに彼は普段と違う雨を横目にマイクを布で拭いている。ロザリナ・ヴァレアンナへの挨拶を仮面を外した映像で済ませている彼はもう心残りなどなかったが、それでもマイクを拭かなければ安静に成れなかった。


 そして今、彼はホバー車の中で仮面を外している。サリーナは秘書らしく隣に控え、トルエはぎこちない運転をしていた。


「大尉、君とは長い付き合いだ。一度ぐらい振り向いたらどうだ、運転はオートでも支障はない」


「知ってる」


 トルエは意地でもハンドルを握ったままだ。


「命令だ。トルエ大尉、振り向け」


「ちぇ、どうせ変わってないんだから」


 操縦をオートに切り換えたトルエは機嫌の悪い顔で彼の素顔を直視した。


「……年取った?私よりも皺多いじゃん」


 微笑みながら言う。


「大佐の地位は楽じゃない。それに過度な機械化はホルモンバランスの関係で齢の進みが早くなるらしい」


「ふん、命拾いした中隊長のお守りが達者な口を」


 声は少し震えていた。


「……トルエ大尉、燃える戦車から引きずりだてくれたことを、感謝する」


「もちろん、感謝されなきゃやってらんないね」


「この五本指は、あの中隊を引き継いだときからずっと私を呪ってきた」


「……」


「ようやく、ようやく呪いから解放される」


 トルエは彼の表情から目を背けた。


「さぞ恨まれたのだからな」


「そんなことはありません」


 サリーナはホバー車に乗ってからずっと仮面を外した大佐の顔を見ないように、タブレット端末の情報に注目していたつもりだったが彼の言葉に反応しないことは出来なかった。


「大佐、なぜその傷を呪いだと断言するのですか。トルエが目算もなく火に手を入れるはずがありません。大佐はそのとき、ハッチ付近に押し上げられていたのではないですか?実際に見たわけではありません。ありませんが……トルエの能力を間近で見てきた私にはわかります」


「……」


「可燃物だらけの戦車で引火しない時間は僅かです。トルエの足を以てしても人一人を救出するだけの時間しかなかったのは想像できます」


 普段のサリーナと変わらない声調であるものの、長い付き合いの二人にはサリーナがとても興奮しながら話していることは明らかだった。

 雨の音がホバー車の中に響き、彼の言葉をトルエとサリーナは待つ。


「よい考えだ、少尉」


 ほんの少し仏頂面な顔が動いた。


「とめないでくれ、サリーナ」


「………………了解しました。大佐」


 普段の感情の読みずらい顔に戻り、歯を強く噛んでから言った。


「私はこのマイクで部下たちに逝けと言わなければならない。来るかもわからない平和な未来に私のような過去に引きずられた人は必要ないんだ」


 彼はサリーナに言い放ったあと、正面に体を直してトルエの瞳をみた。


「トルエはまだ引き返せる。因縁は祓ったのだろう?」


「……ええ、まぁ」


「私が死んでも恨むな」


 それは命令と言うには弱すぎた。

 願望と言うには強すぎた。


 結局、彼がマイクに声を流すまでホバー車には火星の雨の音しか聞こえなかった。

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