03.ようこそ、神世界へ
何故か浮いている彼女の後ろをついて歩いていくと、道が開けて先が見えてくる。
暗い森の中を歩いていたせいか、太陽の光が眩しい。
光を遮るように手をかざして、木々を抜けた先を見渡す。
「……なんだ、これ」
緩やかで長い坂を下っていった先には、まるでヨーロッパのような街並みが広がっていた。
白い壁に赤いレンガの屋根。大きな風車の付いた塔や、一番奥には城らしき建物も見える。
その街を囲うように出来た石の壁、なんだかマンガの世界のようだ。
その街に続くまでの道のりは、森の中と違いしっかり整備されており、道の両端には麦畑が広がっている。
『さて。ようこそ、神世界へ。この世界の管理者として、心から歓迎するよ。楓奏』
名画の彼女は、大きく腕を広げる。
視界に収まらないほど大きく広がるそこは、ただただ美しかった。
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麦畑を歩き、祭りのように賑わう街を歩いて宿に向かう。
街に入る前に、彼女から「はい」と小袋を手渡され、中には金色に光る硬貨が大量に入っていた。
『これで宿泊場所にはしばらく困らないよ』と、綺麗な目を細めて口角を上げるその顔も、やっぱり綺麗だった。
人を上手く避けながら歩く彼女の後ろをはぐれないように追いかけるので精一杯だった。
目に留まる文字は全部見たことも無い文字だし、すれ違う人々も、おおよそ現実では見たことがない見た目だ。
髪色も目の色もカラフルすぎるし、なにより美形が多すぎる。
宿に着いて宿泊料金と期間を、彼女に言われたとおりに指定して、部屋に入った。
なんだか肩の力が抜けて、木製のベッドに力なく倒れこんだ。
「それで、ちゃんと一から説明して欲しいんだが」
『分かってる分かってる。説明するから』
コホン、と咳払いをして、彼女は部屋にある背もたれのない椅子に腰掛けた。
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まず、俺は現実世界で不運なことにも死んでしまった。
家族に別れも告げられないまま、呆気なく電車にひかれたのだ。
それを見た彼女……彼?は、チャンスだと思ったらしい。
どうも、この世界は死後の世界でもなければ、俺の元いた世界でもない、言わば異世界だった。
【神世界】と、彼は呼んでいる。
この世界には【魔獣】と呼ばれる獣が蔓延っており、日々沢山の住民が犠牲となっている。
その原因にあるのは、【魔神】と呼ばれる存在が深く関わっているらしく、70年前に討伐隊(勇者?とか言っていた)が結成された。
が、【魔神】のいる【魔界】にたどり着く前に、力及ばず討伐隊は壊滅した。
それを見ていた、この世界の一神である彼は、その勇者よりも強い存在がいれば、【魔神】を倒せるのではないかと思い、消えるはずだった俺の魂を無理矢理この世界に繋いだ。
そして、彼は俺にとんでもない力を授けた。と言う。
なんで俺なのか?と聞くと、彼は『他にも沢山魂はあったけど、どれも上手く繋ぎとめられなかった。君だけが奇跡的に成功したんだ』と言った。
「とんでもない力、っていうのは、具体的に言うと?」
『神を除いて、この世界で一番強いのは君なんだ。なにせ、剣と魔法を両方使いこなせるように調整したからね』
「え」
死んで知らないところにつれてこられた挙句、神を倒せだのなんだの言われる俺の身にもなってほしい。
生かしてくれたことには感謝するが、あまりにも荷が重たくはないか?
『まあその分代償は伴う。人間には到底扱いきれない力を無理に扱えるようにしたんだ。どんな代償なのかは、僕にも未知数だけどね』
こうされたからには、やるしかないと腹をくくるべきだが、やっぱり状況が飲み込めない。
『君がしっかりとその力を扱いきれるまではついてあげるから、お願い!』
彼は手を合わせて姿勢を低くし、上目遣いで頼み込んでくる。
神を自称する彼にこう頼まれたら、断るのはすごく罪悪感がある。
「……分かりました。ちゃんと教えてくれるのであれば、引き受けます」
不思議と頭の中はすっきりとしていて、あまり悩むことも無く、覚悟を決めて彼の頼みを引き受けた。
――困っている人がいたら助ける。昔から俺はそうやって生きてきた。
始まった第二の人生、神から貰った力を使って、俺は魔神を倒す旅に出ることになった。
目指すは、魔界の最深部。
前世両親に、結局何も返せないまま死んでしまった分、この世界で沢山の人を救おうと誓った。
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――寒い。
先ほどまで痛んだ手足の感覚がなくなってきている。
今通っているのは恐らく、リリスの最北だろう。
リリスは五国の中でも一番気候が安定しているが、最北にある小さな街では何故か吹雪が止まない。
それよりも北にある、隣国のコウヨウ、レインでも、吹雪くことはあまり無い。
――本で読んだときは嘘だと思っていたけど、本当だったのね。
吐いた白い息だけでは、手をあっためることすら出来ない。
布で覆われた小さな鉄格子も酷く冷たい。
布の隙間から見える街も、街を行き交う人も皆、私には興味がないようだった。
――奴隷として売られる前に、寒さで死ぬんじゃないかしら。
売られてどことも知らないやつの好きにされるよりははるかにマシだが、それでも死ぬのは嫌だと、露出した二の腕を摩る。
乗り心地が最悪な荷台に乗せられ、何も出来ずうずくまっていると、先ほどまで揺れていた荷台がピタリと止まる。
さっさとこの街を抜けて欲しいんだけど、という気持ちをぐっと堪えて、また揺れだすのを待つ。
しばらくすると、鉄格子にかけられた布の隙間が大きく開き、そこから荷台を動かしていた商人のおじさんと、黒い布を纏った人が顔を出す。フードで顔は隠れているが、体つきからして恐らく男だ。
商人は、私が記憶していた顔より随分と下心の見える顔だった。ふと彼の手を見ると、両手でしっかり持った小さな布袋を持っていた。
――嘘、もしかして買われたの?
その瞬間は、怖さよりも、なんで私を?という気持ちのほうが強かった。
布を開けた男が、商人と話し終えて顔をこちらに向ける。じわじわと怖さが沸き立って、寒さよりも恐怖で体が震えた。
鉄格子の扉がゆっくりと開くと、彼がフードを脱いで手を伸ばす。
少しだけ襟の長い茶色の髪に、私よりも暗い赤の瞳。自分が想像しているよりもはるかに若い男性だ。
「そこじゃ寒いから、一旦出よう」
奴隷として売られた私に対しては、あまりにも優しすぎる言葉。
私は、初めて自分が救われたように感じて、彼の手を取った。
これが、かつて勇者と呼ばれた彼と、ただの奴隷だった私の一番最初。
そして、後に語り継がれるまでの物語。
――勇者だった琴宮 楓奏が魔神となり、かつて彼に仕えた私が、彼を倒すまでの物語。